2009年11月11日

大は小を兼ねない

 今日の午前中は某省庁の研究会だったのですが、その中で非常におもしろかった話しをご紹介したいと思います。

 環境問題など社会全体に関わる問題ではしばしば、「部分最適ではなく全体最適を目指せ」(※)と言われます。良かれと思ってどんどんファインチューニングしていっても、それが部分最適でしかない場合には、かえって全体に悪影響を与えてしまう。それよりも、もう少し広い範囲を見て、できれば全体を見て、その中で最適化する方がいい場合が多いということです。

 その例として委員のZさんが挙げてくださった例は、ヒートポンプを使った冷暖房です。

 日本のヒートポンプは非常に高性能です。ヒートポンプを使った冷暖房で、家庭におけるエネルギー効率をかなり上げることは可能です。効率の悪い冷暖房を使っている場合には、ヒートポンプ式の冷暖房(エアコンがそうです)にすることで、効率的に冷暖房できるようになります。

 ところがです。ヒートポンプを入れた後で、さらに根本的に家の断熱性も高める改修工事をするとどうなるか? 当然環境性能は高まるはずなのですが... 実はそれでも思ったほど改善できないことがしばしば起きるのだそうです。

 なぜか? 断熱性が高くなった家では、その前に比べて小さな仕事で冷暖房が出来てしまうのです。すき間風などないわけですからね。ところが、ヒートポンプの大は小を兼ねません。最大能力に近いところで運転する分には非常に効率の良いヒートポンプも、小さな出力で運転するとそれほど効率は良くならないのだそうです。となると、せっかく必要な出力が小さくなったにも関わらず、必要な電気エネルギーはあまり減らないということが起きるのだそうです。

 ですから冷暖房と家を個別に最適化してもダメで、家というシステム全体で最適化を図る必要がある。システムとしての性能が重要だというわけです。なるほどですね。

 また、家を改修する予定がなかったとしても、最悪の日(もっとも暑い日やもっとも寒い日)にあわせてヒートポンプの容量を選ぶのも、同様に愚かしいことになります。もしそんなことをすれば、一年の大半は効率が悪いところで運転をすることになります。それよりも、通常は最大能力周辺の効率が高いところで運転をし、それで能力が足りなくなる日には我慢するか、他の追加的手段でカバーすればいいわけです。

 「最悪の日に合わせてはいけない」、なるほどじゃありませんか?

 ヒートポンプの場合には、最大能力の付近で運転する場合が効率が良くなるという独特な性質も作用しているわけですが、似たような考えはいろいろな場面に応用できそうです。

 私たちはついつい「大は小を兼ねる」と、日頃使いもしない容量や能力を求めてしまいがちです。でも実際には、その「大」が必要になる場面は極めて限られるのであれば、そのときにまた別のカバー方法を考えれば十分なのではないでしょうか。

 さすがに都会で「客間」のある家は少ないと思いますが、もしかしたら客用の布団が押し入れを占領していたりしませんか? 滅多に使わない客用の布団のために、貴重なスペースが奪われるのは、都会暮らしではかなり勿体ないことかもしれません。

 あるいはもっと言えば... 月に2,3日しか乗らない車を所有していることは、もっと勿体ないことかも....  ちなみに僕の場合には、「お腹が空いてしまうかも...」とついつい腹12分目まで食べてしまうことがよくあるので(^^;)、この強迫観念をなんとかしたいと思います(笑)。

 身の回りの不必要に大きなものを探してみると、生活はもっと身の丈になり、無駄や環境負荷も減りそうですね。

※全体最適については他の重要な視点もあるので、あまり単純化するのも危険ではあるのですが... これについては改めてご紹介したいと思います。

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2009年11月10日

高いものが買いたい

 お弁当が290円だとか、ジーンズが780円だとか、ちょっと常識では信じられないような価格の商品が話題になりますよね。もちろんその背景には景気が悪くて、少しでも安いものを買いたいというニーズがあり、また安くなければ売れないという現実もあるのでしょうが、こんなちょっと異常としか思えない価格競争には、どうも違和感を感じてしまうのです。

 理由はいくつかあります。まず、安いのには、安いなりの理由があるはずです。製造プロセスを簡略化したとか、効率良く売りさばいていますとか、そういう理由ならいいのですが、これだけの安値がそのようなことで達成可能なのか、素人からは非常に疑問に思います。

 質が良くない程度であればまだしも、食品などの場合には健康面で問題がないのか気になります。安いものはたいてい、代替原料を使っているからです。ご存じの方が多いと思いますが、ハンバーガーが安いのは、肉に脂肪をたくさん混ぜているからですし、炭酸飲料は砂糖の代わりに安価なコーンシロップを使っています。いずれも毒とはいいませんが、健康に良くはありません。

 あるいは製造過程のどこかで、誰かに無理が押し付けられているのではないか、ということも気になります。サプライヤーが買い叩かれていたり、工場で働く方々の労働条件も心配ですし、もしや児童労働も... なんて想像しちゃいます。

 もう一つは、これだけの安価な商品は、国内ではなかなか作れないだろうということです。となると、当然製造の現場は海外へ。安いものを買う→価格競争のために工場は海外へ→職を失う→もっと安いものを買うように→・・・ 以下その繰り返し。悪循環です。つまり、無闇に安いものを買うということは、日本の職場をなくすことで、つまりは私たち自身の首を絞めているかもしれないのです。

 さらに嫌なことは、安く買ったものは、やはり値段なりにしか扱われないということです。ファストフードとはよく言ったものですが、モゾモゾと口に入れ、ゴクゴクと流し込み、それでおしまい。食事というよりは、栄養補給、いやただのカロリー補給になり下がってしまいます。

 あるいは500円とか1000円で買った服に、私たちは本当に愛着を持てるでしょうか。むしろ逆です。安ければ安いほど、愛着など感じることなく、使い捨てになってしまうのではないでしょうか。もしかしたら、一回あたりの価格はむしろ高くなってしまうかもしれません(^^;) 環境にはもちろん、結局はお財布にも優しくないかもしれないのです。

 それよりも、ちょっぴり高くても、いいものを長く使う。少し痛んできたら直したり、手を入れたりしながら使い続ける。そのうちに、そのモノの中に自分のいろいろな物語が同居するようになる。さらに自分にとってかけがえのないモノになっていく。そんな使い方の方が、はるかに楽しいのではないでしょうか。

 そう考えると、安いのが本当にいいことなのかなぁと思ってしまうのです。許される範囲内ではあるのですが、むしろ高いものを買いたいと思えてくるのです。

 もちろんただ高いものを買えばいいというわけでもないし、懐具合に応じて、無理をしない範囲でというのは当然です。あるいはそのときの状況で、どうしても安いものが必要なときだってあるかもしれません。それはそれでいいと思います。

 しかし、断じて安ければいいわけではありません。安いから買うのではなく、その商品の価値に見合った対価を支払いたいと思います。そしてできれば、その商品の背景にあるストーリーまで想像して、自分が納得するモノを、それに相応しい価格で買いたいと思います。

 本当は「対価」というのもオカシイのかもしれません。等しい価値のものを「交換する」というより、自分に必要なものを準備してくれてありがとう。その感謝の気持ちをこめて、自分が他のことをして稼いだお金を差し上げる。そのぐらいの方がしっくりきます。

 お店の方に「ありがとう」と言われるのではなくて、自分の方がお店の方や作ってくれた方に「ありがとう」と頭を下げる。そんな買い物をしたいと思います。皆がそういう気持ちなれば、安ければ安い方がいい、なんて気持ちには決してならないと思うのですが... 皆さんはいかがですか?

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2009年11月09日

さらばBAU

BAUと聞いてピンと来る方は、かなりの通とお見かけします(笑) BAUとは、Business As Usual、つまり「これまでどおりのビジネス(やり方)」という意味です。気候変動予測のシナリオなどにおいて、特別な対応をせず、これまでのやり方を続けたらどうなるかなどというときに、「BAUでは...」なんて書いてあったりします。

 もちろんBAUでは困るので、なんらかの対策を取るわけですが、対策Aの場合、対策Bの場合、BAUに比べてどのぐらい改善、改悪などと比較するわけです。

 BAUは気候変動に限った言葉ではありません。生物多様性の分野でも「対策なし」という意味でしばしばBAUが出てきます。

 3週間前のACB2009の基調講演でもETH-ZentrumのFischlin博士が、今のままのビジネス(BAU)では、生態系の構造とサービスを大きく変えてしまい、生物多様性は大きく損なわれる(大量絶滅が起きる)。その結果、陸上生態系が炭素発生源になり、生態系のレジリアンスを超えてしまうという恐ろしい指摘をしていました。もっともFischlin博士はIPCCのメンバーでもあるので、BAUという言葉はお馴染なのかもしれませんが...(レジリエンスについては、「アダプテーションが試金石」をご参照ください)

 気候変動が生物多様性に与える影響を正確に紹介すると、例えば平均気温のわずか1.5-2.5度の上昇で、20〜30%の高等植物と動物が絶滅の危機に瀕すると言います。今生物種はものすごい勢いで減少していますが、それにしても20〜30%が絶滅に瀕するとは尋常ではありません。気候変化が生物多様性に与える影響いかに大きいかがわかるでしょう。

 気候が変化すれば、たとえば温暖化によってメリットを受ける生物もあるのではないか? そんな疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。もちろんそうなのですが、Fischlin博士によれば、気候変動によってプラスの影響を受ける「勝ち組」は全体のわずか3%に過ぎないと言います。うまく適応できるものは15%、また変化を受けないのが9%ですが、残りの73%がなんと気候変動によってマイナスの影響を受けてしまう「負け組」なのです!

 つまりBAUは気候変動を確実に、しかもかなり速くもたらしますが、そのような倍、実に7割以上の生物種が被害を被るというのです。となれば、BAUというシナリオはあり得ません。生物多様性のためにも、ビジネスのあり方を変えなければいけません。早くBAUに別れを告げる必要がありそうです。

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2009年11月08日

デザインで世界は変わる

 世の中難しい問題が多いわけですが、でもホンのちょっとしたアイディアで一気に問題が解決する場合もあります。最近知って感動したのは、これです!
 
 アフリカなどで、毎日水を汲みに行くために女性たちが大変な苦労をしているということは、多くの皆さんが知っていると思います。

 途上国だから、乾燥地域だから、しかたないことなのか... 水を汲みに行く方々はもちろん、様々な技術や知識を持っているはずの私たち先進国の人間も、やはりしかたないことと考えてしまいがちです。

 しかしどうですか、この発想は! コロコロと転がせば、はるかに苦労なく大量の水を運ぶことができるのです。重い水がめを頭に載せて健康に害が及ぶことを防止できるどころか、女性たちにより自由な時間を増やすことができるのです! こんな道具であれば、男の子たちも喜んで手伝ってくれるかもしれません。すばらしいイノベーションです。

 これを開発したのはデザイナーの方で、こうした素晴らしいデザインを集めた「世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある」という本があるのだそうです。もちろんすぐに注文しました。以前、サスラボで紹介した、100ドルパソコンも載っているようです(「$100パソコンは世界を変えるか?」参照)。届くのが楽しみ!

 このQドラムを現地で作れば、これは立派なBOP。あるいは、まずこのQドラムを作って寄付するだけでも素材メーカーらしいCSRが出来ます。どこかの企業、考えないかな?

 それにしても悔しいのは、乾燥地域にある途上国で、毎日何百万人、何千万人という女性や子どもがこうした重労働を繰り返して来て、それを僕たちは何度も映像で見て知っているはずなのに、なんでこういう簡単な発想ができなかったのでしょうか? 僕の創造力なんかはあてにならないにしても、今まで誰も考える人がいなかったのは本当に悔しくありませんか。こういうところにこそ、私たちの頭が使われるべきだと思うのです。
《参考リンク》
世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある」(情報考学 Passion For The Future)

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2009年11月07日

透明性が武器

 昨日行われたサステナビリティ日本フォーラムのシンポジウムは、「中国の環境問題  〜日本企業と中国NGOの協働〜」がテーマでした。第一部で基調講演をした、公衆と環境研究センター代表の馬軍さんの話が非常に示唆に富むものでした。(Twitterで中継もしてみました)

 「公衆と環境研究センター」(Institute of Public & Environmental Affairs、以下IPE)は、2006年に中国の「中国水汚染地図」を作り、インターネットで公開したことで有名です。さらに2007年には、「中国大気汚染地図」も公開しています。
参考:「「中国大気汚染地図」に4千社以上がリストアップ」(「人民網日本語版」2007年12月13日)

 中国でそんなことが出来るのかと思われるかもしれませんが、それが出来たヒミツは.. IPEはすべて政府が公表したデータを使用しているのです。ですから政府はもちろん、企業としても反論しようがないのです。

 環境基準に違反し、大気汚染の原因になっている企業は、各地方の政府が発表しています。しかしそれは必ずしも使い勝手が良いものでもありませんし、また各地方だけのものです。そこでIPEは中国全土のそうしたデータを一つにまとめ、検索等が容易にできるよう、使い勝手の良いインターフェースを整備したのです。「中国大気汚染地図」では、英語での検索と表示もできるようになっています。

 もちろん、それでもIPEに対して直接、あるいは地方政府を通じて圧力をかけようとする企業もいるでしょう。そのようなことはないのかと馬さんに聞いてみたら、やはりあるそうです。ではなぜそうした企業の圧力に屈さずに済むのかとお聞きしてみたら、この活動を20のNGOで共同でやっているところがポイントだと教えてくれました。IPE一つだけであれば圧力をかけることは可能かもしれないが、20のNGOに圧力をかけ、事実をねじ曲げることは難しいからです。

 中国のような政治体制下で活動するのですから、政府を敵に廻してうまくいくわけはありません。政府のお墨付きのデータを使い、政府の意向と方向を合わせ、そしてそれを徹底的にオープンにすることで、うまーく目的を達成しているのです。非常に戦略的ですね。

 また馬さんは、「インターネットは、中国のような成長途上の巨大な国にとっては福音である」ともおっしゃっていました。「もしインターネットが使えなければ、同じをことするのに莫大な費用がかかり、事実上実行できなかった」からです。

 IPEのデータベースは、衛星画像などともリンクできるようになっており、最新の技術を非常にうまく活用しているのです。

 ただもちろん、実際にはこうした活動を進める上では様々な困難があったはずです。IPEが成功した秘訣は、一番重要なのは何かとお聞きすると、馬さんは間髪をいれず「諦めないことだ」と答えてくれました。そして、さらに「透明性がもっとも重要なツールである」と付け加えていました。中国だけでなく、どこで何をする場合でも、参考になるのではないでしょうか。

 ちなみにこのシンポジウムのパネリストの一人は、パナソニック・チャイナの環境分野の責任者である荒井喜章さんでした。実はパナソニック・チャイナは、従業員の単純ミスによって排水基準を達成できない事故を起こしており、IPEの水汚染地図にも社名が掲載されてしまいました。しかし、その工場の方々の真摯な努力の結果、問題が完全に解決された企業として、ブラックリストから名前を削除された最初の企業にもなりました。

 IPEの活動も素晴らしいものですが、ミスとはいえ起こしてしまった問題を、同じような問題が再発しないように徹底的に対処した日本企業の行動も素晴らしいと思います。ただ残念なのは、IPEのブラックリストにはまだブリヂストン、デンソー、ダイキン、ホンダ、味の素など、多くの日本企業の名前が掲載されていることです。(もちろん、欧米や中国企業も多数あります) そして中には、多くの工場で違反をしていたり、地域住民の再三の抗議に対しても無反応な会社もあるといいます。コンプライアンスという点では勿論ですが、自社のブランド、そして日本の評判を守るという意味からも、ぜひ早急に根本的な対応してくださることを期待したいと思います。

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2009年11月05日

なぜ原子力推進なのか?

 鳩山政権になり、2020年25%削減に向けて大きく舵が切られたのはいいのですが... いくつかどうしても気になることがあります。最大の懸念は、CO2削減のために原子力発電を容認していることです。

 それを受けたというわけではないのでしょうが、今日ついに国内初のプルサーマル発電に向け玄海原発(九電)が稼働し、先ほど午後11時過ぎに臨界状態に到達。9日には試験的に発電を開始し、12月2日から営業運転を始めるとのことです。

 原子力発電はCO2の排出量が少ないと言われますが、核廃棄物や原子炉の解体処理等まで考えたとき、その何万年にもなるライフサイクルで本当に排出量が少ないと言えるのか? もしそうだとしても、どうやってそんな長期間の安全性を担保するのか? 当然、誰一人として関係者はそんな「長生き」はできないわけで、明らかに将来の世代にお荷物を残すことになります。こんな無責任な先送りが、とても「持続可能」なわけがありません。

 もっと短い間で考えても、これだけ地震の多い国で、あるいはテロリストの多い時代に、果たして本当に安全に一つの大事故もなく運転できるのか?(一つでも大事故があれば、大変なことになってしまいますからね...)

 CO2削減だけでなく、有限の化石燃料の代替としてウランを使うのだという主張もありますが、ウランももちろん有限な資源であり、しかもその寿命は化石燃料より短いのではという指摘もあります。

 だからプルサーマルで再利用なのだという主張なのですが、これも資源量のメリットはないという専門家の指摘もあります。(例えば、「プルサーマルはエネルギー支出を正当化できるのか」(温暖化いろいろ)参照)

 そしてそれ以上に、プルトニウムを使うことから、安全性に対しての疑問も強く持たれています。

 話は飛びますが、今日たまたま、東北自動車道で核燃料低レベル濃縮廃液を積んだワゴン車にライトバンが追突するという事故が発生しています。「廃液は青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場でサンプルとして採取されたもので、微量のウランを含む400CC入りの容器が2本積まれていた。ワゴン車は六ケ所村から神奈川県に向かう途中だった」そうですが、こういう事故だって、当然ある確率で起きるわけです。
出典:「<核廃棄物輸送車>東北道で追突事故 放射能漏れなし 岩手」(毎日新聞、2009年11月5日)

 つまり、取り返しのつかない重大な事故につながる可能性がある、資源は有限、廃棄物の処理方法は確立されていないし、放射能がなくなるまでにはきわめて長い時間がかかる、費用も莫大にかかる... (全省庁に渡る「事業仕分け」で税金の無駄の削減を試みながら、例えば高速増殖炉サイクル技術だけでも37億円増の384億円を配分)こんな厄介なものをなんでさらに進めようとするのか、理解に苦しみます。

 電力会社にしても、原発を作ることは、地元を説得するのも大変だし、運用するのも大変、本当に気を使うことばかりです。しかも日本のエネルギー総需要はそろそろ頭打ち、10年以内にはピークに達するであろうときに、わざわざ何を好き好のんで、将来確実に厄介な遺産になるものを抱えこもうとするのか... 

 とても合理的な判断とは思えないのです。もしかすると、こうしたデメリットをカバーして有り余る、僕が見落としている大きな理由があるのかもしれません。だとしたら、ぜひそれを知りたいなと思うのですが...

 もしそんな理由がないのであれば、原子力にかけるお金と労力を、本当に再生可能な自然エネルギーの普及に使う方が、はるかに意味があるのではないかと。その方が、政策全体として首尾一貫したものになりますし... ぜひ本当のところを知りたいものです。教えてください、鳩山さん!

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2009年11月03日

どこに行った、CSR?

 最近、以前よりCSRという言葉を聞かなくなったような気がします。仕事が生物多様性に関わるものが増えているせいなのかという気もしたのですが、CSRで検索してひっかかるニュースも減っているようです。

 CSRという言葉自体は広まっているようにも思うのですが、その一方、「CSR=社会貢献的な活動」と捉えているような発言もよく耳にします。例えば、「それはCSRでやればいいでしょう...」云々。なんか違うんですけど、一体どうしちゃったんでしょう? もちろんCSRがしっかりと根付いている会社もそれなりにあるのですが、やっぱりCSRはブームだったのかなぁ、とちょっと悲しい思いもしてきます。

 念のため確認しておくと、今流の、あるいは欧州でいうところのCSRとは、持続可能な社会を作るための企業の自発的な活動のことです。決して外から押し付けられた、一律の義務や社会貢献のことではありません。自分たちの社会が抱える様々な問題に対して、自社の力をいかに生かすか。お金だけではなく、技術やノウハウ、人材、その経験や知識、そして世界に広がるネットワークなど、自社が持つあらゆる資産を活用し、社会を持続可能にシフトさせていく。そのような企業の特性を活かした取り組みが、CSRです。

 ですからresponsibilityも、単なる義務ではなく、社会が直面する様々な困難な問題に対応(response)する能力(ability)のことだと思い、僕は自分の会社にResponse Abilityという名前を付けています。企業がその能力を最大限に発揮し、社会と共に持続可能であり続けることをお手伝いするのが目的だからです。

 また、responsibilityには「責任」以外に「信頼性(度)」という意味もあります。response abilityのある企業が信頼に足る企業であると思いますが、CSRとは社会から信頼を得る企業であるための活動という言い方もできると思います。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが... なんでこんな話しをしたかと言うと、CSRどころか、会社の信頼性をわざと失わせているとしか思えない企業が最近どうも目につくように気がするからです。あるいは、社会的責任をまったく果たしていない企業と言ってもいいと思います。

 例えば、福知山線列車事故で106名の死者を出しながら、原因究明の過程において組織的な不正を働いたJR西日本。あるいは、地元住民との約束を反古にして、だまし討ちのようなことをしながら無理やり上関原発の建設を進めようとする中国電力。いずれも、いかにトップが立派なことを言おうと、CSRの取り組みをしていると喧伝したところで、まったく説得力を持ちません。自らの行動が、信頼を壊しているのです。

 こうした際にしばしば、企業の責任者は弁明をしたり、それは誤解だとおっしゃったりします。もちろん中にはそういう場合もあるかもしれません。しかし、そんなことで信頼が維持できるわけはありません。信頼は、相手がするものだからです。企業がいかに自らの視点からの説明をしたところで、それが相手に伝わり、相手もそのように感じてくれないことには意味はないのです。

 CSRの本当の意味が理解され、また企業内に浸透していれば、こんなことは決して起きないと思います。やはり社会との関係性を再び忘れてしまった企業が増えているということなのでしょうか?

 鳩山政権は、これまでの施策の見直しを行い、様々な無駄を省き、透明性を高め、必要なところにお金がまわるように大掃除をしています。大変に素晴らしいことです。こうした良い緊張感は、常に必要です。

 社会全体を再点検、再構築するこのような流れは、必ず企業にも及ぶはずです。そのときに、今までのような不透明なやり方、自ら信頼を損なうようなやり方をしている企業は、決して生き残れないでしょう。

 信頼性、あるいは社会の要求に応えることこそ、企業の存在を維持する条件であることを、CSRの本質が忘れられそうになってきた今こそ、再度確認するときだと思います。

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posted by あだなお。 at 23:59| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | CSR | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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