2007年06月11日

反対しないのは賛成と同じ

 昨日は「六ケ所村ラプソディ」という映画を観てきたのですが、なんとも言えない閉塞感を感じました。

 この映画は、青森県六ケ所村にある六ヶ所村核燃料再処理施設についてのドキュメンタリーです。昨年春から試運転を開始し、今年秋にはいよいよ操業開始の予定です。

 核燃料再処理については、安全上のさまざまな問題が指摘されていますが、それに加えて六ケ所村の場合には、昨年来、既に8件の事故・故障を起こしています。(試験開始前の工事段階でもさまざまな事故が発生しています)

 反対派が指摘する、再処理施設の問題にはたとえば以下のようなものがあります。
・再処理施設では、強い発ガン性をはじめとする毒性をもつプルトニウムを原料として扱う。
・原子力発電所よりはるかに大量の放射能を放出する。※
・280度以上の高温になる高レベル放射性廃液を30〜50年間、中間貯蔵する必要がある。温度が下がった後で最終処分するが、その最終処分施設は日本国内ではまだ建設されていない。

 なにしろ大量のプルトニウムを扱う施設です、何か事故が起こったときに取り返しのつかないことになってしまうことも怖いのですが(毎年原爆を1000発以上作れる量のプルトニウムが出てくると言われています)、もっと問題なのは、日常的に放射能を放出するということです。

 今年11月に本格運転を始めると、多種類の放射能が大量に保守されます。空にはクリプトン85という放射能がチェルノブイリ原発事故の10倍も放出され、海には、トリチウムやヨウ素129などの放射能が、2日に1回600トンも放出されます。200kgドラム缶に換算すると、1回に3000本、月に4万5000本、年間では54万本にもなります。
出典:「Yes is Love 私たちは何かを決めるとき七代先のことを考えて決める」(TEAM GOGO! 2007事務局)

 実際には、昨年の試運転開始以来、既に大気中にも、海中にも、大量の放射能が放出され始めています。
参考:「原発の濃度規制値の770倍もの濃度で放出」(美浜の会)

 なぜこんな危険を冒しながら再処理を強行しなければならないのか理解できませんが、それでもどんどん本格運転に向けて進んで行きます。かつては賛成派と反対派が拮抗した集落でも、今ではもうほとんど反対派の人はいません。仕事がなくなり、補償金を目の前に積まれれば、ほとんどの人は反対できなくなってしまうのです。

 この映画では、残り少ない反対派の方々の静かな反対活動を紹介していましたが、その中でも苫米地ヤス子さんという方の言葉が忘れられません。苫米地さんは、六ヶ所村の隣町、十和田市で手間暇かけて、完全無農薬のお米を作っている農家の方です。

 「私も以前は中立派でした。でもある時、先生に言われたんです。中立っていうのは、賛成と同じなんですよって。反対と言わなければ、黙認していると同じこと。どんどん進んで行ってしまいますよって。自分は中立って言っていれば、良心は痛まないで楽をできます。本当は中立派の方が楽なのだけれど、でもそれを聞いてから、反対って言うことにしたんです。」

 苫米地さんは、今までお米を買ってくれていた客に再処理工場が稼動したら買わないと言われて悩んでいます。去年の秋には、「これが放射能の影響がないと言える最後の農作物です」と言いながら、お客さんに作物を手渡しました。都会に住む私たちは、そんな苦しい思いで仕事を続ける人々に、一方的に負担を押しつけているのではないでしょうか。

 「反対しないのは、賛成しているのと同じ。」 この言葉の重さが、今もズッシリと響いています。

《関連リンク》
■「六ケ所村ラプソディ
■「今こそストップ六ケ所村」(サスラボ・ラボ)
STOP ROKKASHO
再処理・プルサーマルをめぐる動き



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