今やどこもが近代的な巨大空港に建て替えているなか、ジャカルタは昔からのスカルノ・ハッタ空港。作られたのは既にスハルト時代ですが、かなり古びた空港です。
暗い通路を通過して、まずはビザを取得。アセアン以外の国からの短期訪問者は、空港でビザを取得しなければいけないのです。7日間まで10ドル。お金を出すだけで、フォームに何も記入することなく、ペタリとビザを貼ってくれます。ビザを「買わされる」という感じで、まずこれでちょっとだけ嫌になります。
昔よりは随分良くなったものの、それでもイミグレーションはいつも混んでいて、長蛇の列。別にエコを目指しているわけではないと思うのですが、イミグレをやっと通過した頃にはじっとりと汗ばむぐらいです。ここでさらに不快感は高まります(^^;)
やっと荷物を受け取って外に出ると... 混とんとしたいかにもアジアの空港の風景が広がります。インドネシアではタクシーが強盗に早変わり(!)することがあるので、安全と言われている会社のタクシーに乗って一安心と思ったら.... おっといきなり渋滞。まぁ、これがまたジャカルタらしいわけですが、正直「やれやれ」です。
幸い夜だったので高速に入ると車は流れはじめましたが、ジャカルタ市内に入るとまた渋滞。片道3車線か4車線のかなり立派な道路なのにです。これでは日中、ましてや朝夕はいかに大変なことになるか、容易に想像がつくでしょう。
それにしてもなんでこんなに渋滞するのか? ジャカルタではそんなに自家用車が普及しているのか... いえ、決してそんなわけではありません。庶民が持てるのはせいぜいバイク止まり、みんなが自家用車を持てるほど豊かなわけではありません。
しかしもともと人口が多いのと、お金持ちはそれなりにいることに加え、公共交通網がほとんど整備されていないために、車がないと移動できないけれど、車に乗れば大渋滞という、きわめて不便な状況に陥ってしまっているのです。おまけに大通りはどこも片道3車線の立派な道路ですので、歩行者は道路を横断するのも一苦労で、とっても人に優しくない街です。
ホテルに入るには厳重な検問を通過する必要があります。ホテルを狙った爆弾テロが何度も起きているからです。しかし一度中に入れば、そこは別世界。壮麗なエントランスで、美しい民族衣装を着たホテルのスタッフが恭しく出迎えてくれます。
そして部屋に入れば、やっと一息つけます。何しろ広くて豪華な部屋は涼し過ぎるほどに冷房が利いていますし、もし何か足りないものがあれば、夜中でも電話一つで届けてくれます。朝食には焼き立てのパンを始め、中華、インド、和食、ローカルと、あらゆる新鮮な食材がこれでもかと並びます。ああ、なんという極楽! こんな生活がわずか1泊100ドル足らずで出来るのですから!
いや、でもちょっと待ってください。僕たちにとってはたかだか100ドルであっても、インドネシアの庶民にとっては一カ月の給料に相当するような金額。日本の感覚で言えば、「一泊20万円いただければ何不自由ない環境をご用意しますよ」と言われても、そんなものはまったく意味をなさないのと同じです。そんな世界が自分たちの住んでいる街の中にあったとしても、夢のまた夢でしかないのです。
ホテルと大企業の立派なオフィスを往復するだけのビジネス客は気付かないかもしれませんが、一歩路地裏に入ると、ブリキの板で囲っただけの掘っ建て小屋で、一日数百円で暮らしている人たちもたくさんいるのです。いや、むしろそんな人たちの方が、数としては圧倒的に多いのです。まぁ、テロだって起こしたくなるかもしれません(^^;)
もちろんこうした物価や貧富の差は、途上国であればどこでも多かれ少なかれあります。しかし、ジャカルタでさらに憂鬱になるのは、それがあまりに極端で、お金持ちにはそこそこ快適でも、お金のない、いやごく普通の人々にとってはきわめて住みにくい街であるということです。一部のお金持ちや、先進国からのビジネス客にとってはそこそこ快適でも、その街の主人公である一般の方々にとっては恐ろしく不親切な街であり、しかもその理由が単に「途上国である」からではないことです。
インドネシアは本来は豊かな国です。鉱物資源について言えば、東南アジアでもっとも恵まれていますし、生物多様性も豊かです。実際、第二次大戦直後はこの辺ではもっとも豊かで発展した国だったと言いますし、日本からも巨額の戦後賠償を得ています。人口が多いことも、20世紀型の国力という意味ではアドバンテージだったはずです。
にも関わらず、なぜマレーシアやシンガポールに圧倒的な差をつけられてしまったのか? 門外漢が大胆に想像し断言すれば、それはガバナンス、あるいは政治の差と言っていいのではないでしょうか。
どれだか豊かな資源があったとしても、それを有効に使わないことには、目的を考えずに使わないことにはダメだということです。資源の少ないマレーシアどころか、土地も水も不足しているシンガポールにすら、敗けてしまっているのです。
気の毒なことに最近のインドネシアは、地震や津波、洪水など、多くの自然災害にも苦しめられています。もちろんこうした自然現象自体はインドネシアの責任ではないのですが、もう少し社会インフラが整えられていたら、被害は最小限度にとどめられたはずです。その意味で、被害の何割かは人災とすら言えるかもしれません。
このようにジャカルタは、いかにガバナンスが重要であるか。そのことを如実に知らしめてくれる、わかりやすい反面教師に思えるのです。そして下手をすると日本も、特にもし自民党政権のままだったら、いつの間にはこんな風になってしまわないとも言い切れないのではないでしょうか。
幸いなことに現在のユドヨノ大統領はかなり頑張っているように聞きますが、いったんここまで混とんとしてしまった国を建て直すことは、どんな優秀な政治家にとってもかなりの難問でしょう。もちろん一日も早くインドネシアが見事に復活し、ジャカルタが住みよい街に変身することを切に願っています。そして、住む人たちが主人公だということ。住人にとって住みやすいことが、何より街にとって大切な条件だということを、決して忘れないようにしようと思います。
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