2009年11月30日

ジャカルタの憂鬱

 昨夜からジャカルタに来ています。よく考えたらもう3年半ぶりぐらいになるのですが、その前はわりとよく訪れていたので、なんだか懐かしい感じがします。

 今やどこもが近代的な巨大空港に建て替えているなか、ジャカルタは昔からのスカルノ・ハッタ空港。作られたのは既にスハルト時代ですが、かなり古びた空港です。

 暗い通路を通過して、まずはビザを取得。アセアン以外の国からの短期訪問者は、空港でビザを取得しなければいけないのです。7日間まで10ドル。お金を出すだけで、フォームに何も記入することなく、ペタリとビザを貼ってくれます。ビザを「買わされる」という感じで、まずこれでちょっとだけ嫌になります。

 昔よりは随分良くなったものの、それでもイミグレーションはいつも混んでいて、長蛇の列。別にエコを目指しているわけではないと思うのですが、イミグレをやっと通過した頃にはじっとりと汗ばむぐらいです。ここでさらに不快感は高まります(^^;)

 やっと荷物を受け取って外に出ると... 混とんとしたいかにもアジアの空港の風景が広がります。インドネシアではタクシーが強盗に早変わり(!)することがあるので、安全と言われている会社のタクシーに乗って一安心と思ったら.... おっといきなり渋滞。まぁ、これがまたジャカルタらしいわけですが、正直「やれやれ」です。

 幸い夜だったので高速に入ると車は流れはじめましたが、ジャカルタ市内に入るとまた渋滞。片道3車線か4車線のかなり立派な道路なのにです。これでは日中、ましてや朝夕はいかに大変なことになるか、容易に想像がつくでしょう。

 それにしてもなんでこんなに渋滞するのか? ジャカルタではそんなに自家用車が普及しているのか...  いえ、決してそんなわけではありません。庶民が持てるのはせいぜいバイク止まり、みんなが自家用車を持てるほど豊かなわけではありません。

 しかしもともと人口が多いのと、お金持ちはそれなりにいることに加え、公共交通網がほとんど整備されていないために、車がないと移動できないけれど、車に乗れば大渋滞という、きわめて不便な状況に陥ってしまっているのです。おまけに大通りはどこも片道3車線の立派な道路ですので、歩行者は道路を横断するのも一苦労で、とっても人に優しくない街です。

 ホテルに入るには厳重な検問を通過する必要があります。ホテルを狙った爆弾テロが何度も起きているからです。しかし一度中に入れば、そこは別世界。壮麗なエントランスで、美しい民族衣装を着たホテルのスタッフが恭しく出迎えてくれます。

 そして部屋に入れば、やっと一息つけます。何しろ広くて豪華な部屋は涼し過ぎるほどに冷房が利いていますし、もし何か足りないものがあれば、夜中でも電話一つで届けてくれます。朝食には焼き立てのパンを始め、中華、インド、和食、ローカルと、あらゆる新鮮な食材がこれでもかと並びます。ああ、なんという極楽! こんな生活がわずか1泊100ドル足らずで出来るのですから!

 いや、でもちょっと待ってください。僕たちにとってはたかだか100ドルであっても、インドネシアの庶民にとっては一カ月の給料に相当するような金額。日本の感覚で言えば、「一泊20万円いただければ何不自由ない環境をご用意しますよ」と言われても、そんなものはまったく意味をなさないのと同じです。そんな世界が自分たちの住んでいる街の中にあったとしても、夢のまた夢でしかないのです。

 ホテルと大企業の立派なオフィスを往復するだけのビジネス客は気付かないかもしれませんが、一歩路地裏に入ると、ブリキの板で囲っただけの掘っ建て小屋で、一日数百円で暮らしている人たちもたくさんいるのです。いや、むしろそんな人たちの方が、数としては圧倒的に多いのです。まぁ、テロだって起こしたくなるかもしれません(^^;)

 もちろんこうした物価や貧富の差は、途上国であればどこでも多かれ少なかれあります。しかし、ジャカルタでさらに憂鬱になるのは、それがあまりに極端で、お金持ちにはそこそこ快適でも、お金のない、いやごく普通の人々にとってはきわめて住みにくい街であるということです。一部のお金持ちや、先進国からのビジネス客にとってはそこそこ快適でも、その街の主人公である一般の方々にとっては恐ろしく不親切な街であり、しかもその理由が単に「途上国である」からではないことです。

 インドネシアは本来は豊かな国です。鉱物資源について言えば、東南アジアでもっとも恵まれていますし、生物多様性も豊かです。実際、第二次大戦直後はこの辺ではもっとも豊かで発展した国だったと言いますし、日本からも巨額の戦後賠償を得ています。人口が多いことも、20世紀型の国力という意味ではアドバンテージだったはずです。

 にも関わらず、なぜマレーシアやシンガポールに圧倒的な差をつけられてしまったのか? 門外漢が大胆に想像し断言すれば、それはガバナンス、あるいは政治の差と言っていいのではないでしょうか。

 どれだか豊かな資源があったとしても、それを有効に使わないことには、目的を考えずに使わないことにはダメだということです。資源の少ないマレーシアどころか、土地も水も不足しているシンガポールにすら、敗けてしまっているのです。

 気の毒なことに最近のインドネシアは、地震や津波、洪水など、多くの自然災害にも苦しめられています。もちろんこうした自然現象自体はインドネシアの責任ではないのですが、もう少し社会インフラが整えられていたら、被害は最小限度にとどめられたはずです。その意味で、被害の何割かは人災とすら言えるかもしれません。

 このようにジャカルタは、いかにガバナンスが重要であるか。そのことを如実に知らしめてくれる、わかりやすい反面教師に思えるのです。そして下手をすると日本も、特にもし自民党政権のままだったら、いつの間にはこんな風になってしまわないとも言い切れないのではないでしょうか。

 幸いなことに現在のユドヨノ大統領はかなり頑張っているように聞きますが、いったんここまで混とんとしてしまった国を建て直すことは、どんな優秀な政治家にとってもかなりの難問でしょう。もちろん一日も早くインドネシアが見事に復活し、ジャカルタが住みよい街に変身することを切に願っています。そして、住む人たちが主人公だということ。住人にとって住みやすいことが、何より街にとって大切な条件だということを、決して忘れないようにしようと思います。

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2009年11月29日

COP10は出発点

 先週は平日は4日間しかありませんでしたが、その4日間でシンポジウムや講演、研究会などが続いて慌ただしい日々でした。いずれも生物多様性関係で、企業の方々の関心の高まりを感じます。

 その中で特に盛り上がったのは、25日(水)にあった「企業が語るいきものがたり Part3」というシンポジウムです。三井住友海上主催なのですが、企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)が全面的にバックアップしていることもあり、JBIBの活動の年次発表会的な位置づけもあり、5つの分科会では日頃の研究や活動の成果をもとに活発な議論が行われました。

 人気が高かった「関係性マップ」に関する分科会は、今年は企業活動の影響を定量的に把握することがテーマだったのですが、正直かなりマニアックな内容で、はじめて参加なさった方はちょっと引いてしまわれたかも...(^^;) そんな心配をしなければならないほどの内容でした。

 第三部のパネルディスカッション「COP10を来年に控え、企業の役割を考える」ではファシリテータを務めさせていただきましたが、こちらではCOP10に向けて企業の役割を議論すると同時に、敢えてCOP10の先を議論しました。

 というのも、COP10はたしかに節目になる重要な会議ではあるものの、それが目的ではありません。昨今の生物多様性への関心が高いのもCOP10の影響大なのですが、下手をすると企業による「COP10対策」になってしまいかねない懸念もありますし、「COP10が終われば生物多様性はもういいや」、となってしまったのでは本末転倒です。

 ご存じのようにCOP10の大きな議題の一つはポスト2010年目標、つまり2050年に向けて地球の生物多様性をどうしていくか、その具体的な目標を世界で合意することです。生物多様性を保全し、生物資源を持続可能に利用するために具体的な目標(今回はなるべく定量的な目標にすることが望まれていますが)を定めることは非常に重要ですが、大切なのはそれをどう達成するか、そのためにどういう行動するかです。

 このことからだけ考えても、COP10はゴールではなく、そこでやっと目標が決まるのだということがわかるでしょう。つまり、COP10の先が本番なのです。

 そんな議論をしていたら、最後に環境省の鈴木渉補佐が、非常に良い表現を使われたので、それをご紹介したいと思います。「COP10は出発点」というのが、それです。

 重要な一里塚であるCOP10に向けて活動を加速するのはもちろんですが、そこが本当の出発点なのだということをくれぐれも忘れないようにしたいと思います。皆さんも、来年の10月に向けてどうか準備体操を怠りなく!(笑)

 さて、かくいう僕は、明日からほぼ一週間ジャカルタで会議。これは生物多様性条約の第三回ビジネスミーティングで、企業の役割を議論するために世界中から関係者が一堂に会します。もちろんCOP10でのアジェンダや、COP10に向けての準備のために重要な議論や情報交換が多数行われる予定です。

 それでは、行って来ま〜す!

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2009年11月26日

「あと少しの命です」

 2日ほど前にTwitterをかけめぐった話しです。
あるスーパーの話。賞味期限切れ間近の 商品に、「ここの商品どれでも半額!」というPOPをつけていたが、「あと少しの命です。お助け下さい」と書き換えた。すると客の意識が「半額を買って悪 い」から「助けてあげる」に変わり、ためらいなく購入。売上は向上、廃棄処分がほぼなくなった。 日経MJ
 なるほどね! やはり、一般的には賞味期限が近いものはどうしても避けられてしまいます。もちろんそれを見越してお店も値引をしたりするわけですが、今度はそうなると「値引目当てか?」と思われないかと、恥ずかしがる方も多いようです。あ、もちろん我が家では、値引になってなくても(笑)、賞味期限が近いものを選んで買うことが原則にしていますが...

 しかしこのお店のようにストレートに「助けてください」、ましてや「あと少しの命です」なんて言われると、本当は必要なくても思わず買ってしまうかもしれません(笑) 実にうまいコピーです。

 つまり、単に「安いですよ」というより、「助けてください」の方が、人の心に訴えるわけですね。これがまさに行動を喚起する言葉、表現ということなのでしょう。ちょっといいことをした、人の役に立った。そう思えることがあ、人間にとっては重要な意味を持つということなのですね。

 もしかすると、こういうところに人間社会存続の望みがあるかもしれない。ちょっと大げさですが、そんなことを思いました。なんでも「損か得か」、どちらが「より儲かるか」、そんな利己的な視点に流れがちな世の中で、「役に立つ」という利他的な視点を実は人間が好むところに、社会や経済が変わるきっかけが潜んでいるかもしれないと思うのです。その気持ちをどう掘り起こしていくか、そこに新たな言葉や仕組みが必要なのではないかと思います。

 であれば、私たちは本質的に利他的である。人間にとって利他的な行動は心地良いのだということを信じて、その気持ちを刺激するような言葉をもっともっと探し、仕組みをもっともっと作って行きたいですね。頑張りましょう。

※ちなみにこの話は、11月25日日経MJに掲載された、小阪裕司さんさんの「招客招福の法則」というコラムが出典だそうです。
《参考リンク》
谷川俊太郎の「詩情」を商売に持ち込め!」(結城義晴のBlog[毎日更新宣言])

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2009年11月24日

The Girl Effect

 途上国でのCSRは、貧困削減を中心とした地域開発の話題が多くなります。そしてより途上地域になると、女性関係の話題が多くなるような気がします。もちろん先進国だって問題はあるのですが、とにかく途上濃くでは圧倒的に女性が抑圧されている場合が多く、そのことは当の女性だけでなく、社会の発達や繁栄の足かせにもなっているし、また貧困の再生産にもつながっていて、本当に悪循環なのです。

 ですからもし女の子が男の子と同じように教育を受ける機会を与えられたら、その結果収入になる仕事を得たら、経済的に自立できるようになったら... 次に次ぎに良い出来事の連鎖も起きるはず。これをThe Girl Effect(女の子効果)と名づけた人たちがいます。
The Girl Effect, n.
The powerful social and economic change brought about when girls have the opportunity to participate in their society.

<仮訳> 
女の子効果(名詞)
 女の子たちが社会に参加する機会を持つときにもたらされる強力な社会的、経済的変化。




 実際、アジアでも頑張っている女の方々、たくさんいます。何もしないでブラブラしているのはいつも男。お母さんたちはいつだって働き者。そして、CSRの世界やNGO活動で頑張っている女性もたくさん。日本はNGOに元気な女性はたくさんいるけれど、企業では数は圧倒的に少ないですよね。なんか勿体ないですよね。

 途上国に住む6億人の女の子たち。彼女たちが学校に通い、仕事を得るようになったら... 地域も、国も、地球も、間違いなく変わるはず。その変化を作るのに、私たちも参加できる。そんなサイトをご紹介します。



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2009年11月23日

マニラご報告

 昨日マニラから帰国したのですが、「着きました」以来、ブログの更新が途絶えてしまいすみませんでした。前半は忙しくて書けなかったのですが、後半は実はちょっと体調を崩してしまい(^^;)、書けませんでした。流行のインフルエンザにかかったわけではないのですが、かなりキツイ食あたりになり、参りました...(お返事出来ていないメールも溜まっていてゴメンナサイ)

 ただ幸いなことにメインの発表は初日でしたし、最終日に急遽また別の出番が出来たのですが、こちらも気力で乗り切りました(笑) 1時間半ほど気力で乗り切り、そのまま自分の部屋に戻ってバタンキューでしたが...

 そんなわけで、当初予定したよりは少なくなってしまいましたが、それでもいろいろな講演を聞いて、友人と再会したり、新しく知り合った人もできたり、やっぱりこういう会議に行くのはいいですね。最終日も、フィリピン、タイ、マレーシアと、いろいろな国の友人に助けられて、体調は最悪でしたが、密度の濃い議論が出来たことに感謝しています。

 さて、今年のAFCSRのメインテーマは、"SUSTAINING CSR IN DIFFICULT TIMES: How business can benefit and why it still makes business sense"でした。実際、どこの国もまだ今回の世界不況の影響で大変で、AFCSRの出席者も500名弱と、前回、前々回に比べて減っています。それでも、参加している方々は、「だからこそ今CSRをきちんとするのだ」と前向きでした。

 一方、日本からの参加者はいつも少ないのですが、今回は僕を含めて3人! しかも、事業会社からの参加者はゼロでした。実際いくつかお誘いした企業の方からは、「今の業績では海外出張はとても出来ない状況で...」という元気のないお返事ばかりだったのですが、こんなことでは「不況になったらCSRは縮小します」と言っているようなものです。ただでさえ「顔の見えない」国なのに、これではますます顔が見えなくなるだけではなく、間違ったメッセージを発してしまっているということに気付いて欲しいと思います。

 日本では「不言実行」とか、「陰徳の美」と言われますが、国際的にはそのような考えは通じません。というか、やっていることがまったく見えないし、伝わらないのです。「良いものを作れば売れる」という方も多いのですが、そのモノが売れないとき、あるいは差別化できないとき、売るためのポイントは企業の姿勢とそれに対する信頼なのです。業績が悪い今だからこそ、CSRをしっかりと続け、地域に貢献し、自分たちの姿勢をきちんと伝えることが必要なのです。それとまったく逆の行動をしていては、いくら自分たちではそのつもりではなくても、「形だけのCSR」とか、「結局あの会社は何もやってない」と思われてもしかたないでしょう。実際、そういう暗黙のメッセージを発しているのですから。

 そんなわけで、「大丈夫なのか、日本?」と例年以上に心配になったのですが... 来年のAFCSRは北京か上海で開催される予定とのこと。中国からもAFCSRへの参加者は決して多いわけではないのですが、やはり中国にはみんなが興味があるのです。本当は今年、北京で開催したかったそうなのですが、この不況と北京の物価の高さでぽしゃり、AIMの本拠地マニラでの開催となったのです。ですから来年は北京でなくても、上海でぜひ開催したいというわけです。残念ながら日本でという話は、もちろんどこからも出てきません。

 そんなことを思い出していたらまた頭が痛くなってきましたので(^^;)、今日はこの辺で...

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2009年11月17日

マニラに来ました

 今日は夕方の飛行機でフィリピンはマニラへ移動。先ほどホテルに到着しました。マニラは残念ながらかなり治安がよろしくないので、タクシーに乗るのにも気を使います。そんなわけで、空港からホテルに着いただけで一安心です。社会が安全であることがいかにありがたいか、逆に社会が不安定になるといかに高い代償を払うことになるか、痛感します。

 さて、今回の訪比は僕にとってはこの時期の年中行事となっている、AFCSRへの参加のためです。今回でたぶんもう5回目です。今年は経済危機の影響で昨年よりは参加者が少ないと聞いていますが、そうはいっても500名近くが集るアジア最大のCSRの国際会議。誰と再会できるのか、どんな話が聞けるのか、楽しみです。

 またもう一つ今年は嬉しいことがあります。アジアでCSRというと、どうしても貧困削減などの社会的な課題への取り組みがメインになるため、AFCSRでは環境の話題が比較的少ないのです。

 しかし今回は会議前日のサイドイベントとして、「ビジネスと生物多様性」のワークショップが開かれるのです。というか、僕も主催者の一人なので、開くのです、の方が正確ですが...

 サスラボにも度々登場するACB(ASEAN Centre for Biodiversity)がマニラ郊外に事務局を構えているので、マニラでAFCSRが開催され、COP10を来年に控えた今年、ぜひ今回のAFCSRで生物多様性を話題にしようと企画したのです。

 地元フィリピンの他にも、日本やタイから企業や行政関係者が集り、いよいよアジアでもCSRとしての生物多様性の議論が始まります。明日はどんな展開になるか、楽しみです。

 僕も基調講演をしたりしないといけないので、今日はゆっくり休むことにします。報告はまた明日!

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2009年11月13日

全体最適に、神は要らない

 一昨日もちょっと書いたように、部分最適ではなく全体最適を目指すことが、しばしば環境問題の解決に役立ちそうです。

 ただ実はこのことについて、正直に言えば、個人的にはちょぴっと違和感を感じています。たしかに全体最適というのは効率はいいのだろうけれど、それではそれをどうやって実現するのか? また、それは一歩間違えると全体主義に陥ってしまうのではないか? という疑問と懸念です。

 パーツではなく、システムで考えようということであればまだいいのかもしれませんが、あまり無邪気に「全体最適」と唱えると、ちょっと危険な気がするのです。

 このことは、共産主義が机上では理想的に見えても、実際にはなかなかうまく行かなかったことからも想像できます。「人間の性質」以上に、中央集権は無駄なコストがかかるという性質を持っているのだと思います。

 とは言うものの、「個々が好き勝手に」はもちろん、「個別最適の単なる積み重ね」でうまく行かないことも、私たちはたくさん見てきています。

 それでは一体どうしたらいいのか? こんなときには僕はいつも自然がお手本になるのではないかと思います。

 例えば空を飛ぶ鳥の群れや、海を泳ぐ小魚の群れ。いずれも司令塔があって指示を出しているわけではないのに、まるで全体が一つの生命体のように動きます。特に魚の群れなど、本当に信じられないような素早さ、信じられないような滑らかさです。

 つまり、たとえ全体像を正確に把握していないくても、司令塔がなかったとしても、個々がバラバラに動くよりはるかにスムーズに動くようなシステムというのは可能だし、それを真似すればいいのではないでしょうか。

 間違いなく一つのポイントは、相互のコミュニケーションです。隣の個体(部分)とお互いの情報を常にやり取りすることが、きっと鍵になるはずです。そしてもう一つは、すべての個体(部分)が従う、おそらくはかなりシンプルなルール。その二つがあればかなりスマートな挙動ができるようになるんじゃないかなと思います。

 以上は僕のまったくの直感なのですが、制御工学とか、そんな分野ではこの辺のことはもう随分と研究されているんじゃないでしょうか。どなたか詳しい方がいたら教えてくださいね。

 この原理を整理して、実際の社会に応用できれば、個々が全体のために縛られることなく、それぞれがある程度の自由を持ちながら、しかし全体としても高い効率を実現できるのではないかなと...

 つまり、私たちは必ずしも、全てを見て、全てをコントロールする、全知全能の神になる必要はなく、ほんのちょっとしたシンプルなルールを見極め、従うだけで、もっとうまく行くようになるのではないかと思うのですが... 皆さんはどう思われますか?

 そしてもしこれが正しいようであれば、ぜひそのシンプルなルールを見つけて、様々な社会や環境の問題を解決したいなぁ。

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2009年11月11日

大は小を兼ねない

 今日の午前中は某省庁の研究会だったのですが、その中で非常におもしろかった話しをご紹介したいと思います。

 環境問題など社会全体に関わる問題ではしばしば、「部分最適ではなく全体最適を目指せ」(※)と言われます。良かれと思ってどんどんファインチューニングしていっても、それが部分最適でしかない場合には、かえって全体に悪影響を与えてしまう。それよりも、もう少し広い範囲を見て、できれば全体を見て、その中で最適化する方がいい場合が多いということです。

 その例として委員の善養寺幸子さん(オーガニックテーブル株式会社 代表取締役)が挙げてくださった例は、ヒートポンプを使った冷暖房です。

 日本のヒートポンプは非常に高性能です。ヒートポンプを使った冷暖房で、家庭におけるエネルギー効率をかなり上げることは可能です。効率の悪い冷暖房を使っている場合には、ヒートポンプ式の冷暖房(エアコンがそうです)にすることで、効率的に冷暖房できるようになります。

 ところがです。ヒートポンプを入れた後で、さらに根本的に家の断熱性も高める改修工事をするとどうなるか? 当然環境性能は高まるはずなのですが... 実はそれでも思ったほど改善できないことがしばしば起きるのだそうです。

 なぜか? 断熱性が高くなった家では、その前に比べて小さな仕事で冷暖房が出来てしまうのです。すき間風などないわけですからね。ところが、ヒートポンプの大は小を兼ねません。最大能力に近いところで運転する分には非常に効率の良いヒートポンプも、小さな出力で運転するとそれほど効率は良くならないのだそうです。となると、せっかく必要な出力が小さくなったにも関わらず、必要な電気エネルギーはあまり減らないということが起きるのだそうです。

 ですから冷暖房と家を個別に最適化してもダメで、家というシステム全体で最適化を図る必要がある。システムとしての性能が重要だというわけです。なるほどですね。

 また、家を改修する予定がなかったとしても、最悪の日(もっとも暑い日やもっとも寒い日)にあわせてヒートポンプの容量を選ぶのも、同様に愚かしいことになります。もしそんなことをすれば、一年の大半は効率が悪いところで運転をすることになります。それよりも、通常は最大能力周辺の効率が高いところで運転をし、それで能力が足りなくなる日には我慢するか、他の追加的手段でカバーすればいいわけです。

 「最悪の日に合わせてはいけない」、なるほどじゃありませんか?

 ヒートポンプの場合には、最大能力の付近で運転する場合が効率が良くなるという独特な性質も作用しているわけですが、似たような考えはいろいろな場面に応用できそうです。

 私たちはついつい「大は小を兼ねる」と、日頃使いもしない容量や能力を求めてしまいがちです。でも実際には、その「大」が必要になる場面は極めて限られるのであれば、そのときにまた別のカバー方法を考えれば十分なのではないでしょうか。

 さすがに都会で「客間」のある家は少ないと思いますが、もしかしたら客用の布団が押し入れを占領していたりしませんか? 滅多に使わない客用の布団のために、貴重なスペースが奪われるのは、都会暮らしではかなり勿体ないことかもしれません。

 あるいはもっと言えば... 月に2,3日しか乗らない車を所有していることは、もっと勿体ないことかも....  ちなみに僕の場合には、「お腹が空いてしまうかも...」とついつい腹12分目まで食べてしまうことがよくあるので(^^;)、この強迫観念をなんとかしたいと思います(笑)。

 身の回りの不必要に大きなものを探してみると、生活はもっと身の丈になり、無駄や環境負荷も減りそうですね。

※全体最適については他の重要な視点もあるので、あまり単純化するのも危険ではあるのですが... これについては改めてご紹介したいと思います。

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2009年11月10日

高いものが買いたい

 お弁当が290円だとか、ジーンズが780円だとか、ちょっと常識では信じられないような価格の商品が話題になりますよね。もちろんその背景には景気が悪くて、少しでも安いものを買いたいというニーズがあり、また安くなければ売れないという現実もあるのでしょうが、こんなちょっと異常としか思えない価格競争には、どうも違和感を感じてしまうのです。

 理由はいくつかあります。まず、安いのには、安いなりの理由があるはずです。製造プロセスを簡略化したとか、効率良く売りさばいていますとか、そういう理由ならいいのですが、これだけの安値がそのようなことで達成可能なのか、素人からは非常に疑問に思います。

 質が良くない程度であればまだしも、食品などの場合には健康面で問題がないのか気になります。安いものはたいてい、代替原料を使っているからです。ご存じの方が多いと思いますが、ハンバーガーが安いのは、肉に脂肪をたくさん混ぜているからですし、炭酸飲料は砂糖の代わりに安価なコーンシロップを使っています。いずれも毒とはいいませんが、健康に良くはありません。

 あるいは製造過程のどこかで、誰かに無理が押し付けられているのではないか、ということも気になります。サプライヤーが買い叩かれていたり、工場で働く方々の労働条件も心配ですし、もしや児童労働も... なんて想像しちゃいます。

 もう一つは、これだけの安価な商品は、国内ではなかなか作れないだろうということです。となると、当然製造の現場は海外へ。安いものを買う→価格競争のために工場は海外へ→職を失う→もっと安いものを買うように→・・・ 以下その繰り返し。悪循環です。つまり、無闇に安いものを買うということは、日本の職場をなくすことで、つまりは私たち自身の首を絞めているかもしれないのです。

 さらに嫌なことは、安く買ったものは、やはり値段なりにしか扱われないということです。ファストフードとはよく言ったものですが、モゾモゾと口に入れ、ゴクゴクと流し込み、それでおしまい。食事というよりは、栄養補給、いやただのカロリー補給になり下がってしまいます。

 あるいは500円とか1000円で買った服に、私たちは本当に愛着を持てるでしょうか。むしろ逆です。安ければ安いほど、愛着など感じることなく、使い捨てになってしまうのではないでしょうか。もしかしたら、一回あたりの価格はむしろ高くなってしまうかもしれません(^^;) 環境にはもちろん、結局はお財布にも優しくないかもしれないのです。

 それよりも、ちょっぴり高くても、いいものを長く使う。少し痛んできたら直したり、手を入れたりしながら使い続ける。そのうちに、そのモノの中に自分のいろいろな物語が同居するようになる。さらに自分にとってかけがえのないモノになっていく。そんな使い方の方が、はるかに楽しいのではないでしょうか。

 そう考えると、安いのが本当にいいことなのかなぁと思ってしまうのです。許される範囲内ではあるのですが、むしろ高いものを買いたいと思えてくるのです。

 もちろんただ高いものを買えばいいというわけでもないし、懐具合に応じて、無理をしない範囲でというのは当然です。あるいはそのときの状況で、どうしても安いものが必要なときだってあるかもしれません。それはそれでいいと思います。

 しかし、断じて安ければいいわけではありません。安いから買うのではなく、その商品の価値に見合った対価を支払いたいと思います。そしてできれば、その商品の背景にあるストーリーまで想像して、自分が納得するモノを、それに相応しい価格で買いたいと思います。

 本当は「対価」というのもオカシイのかもしれません。等しい価値のものを「交換する」というより、自分に必要なものを準備してくれてありがとう。その感謝の気持ちをこめて、自分が他のことをして稼いだお金を差し上げる。そのぐらいの方がしっくりきます。

 お店の方に「ありがとう」と言われるのではなくて、自分の方がお店の方や作ってくれた方に「ありがとう」と頭を下げる。そんな買い物をしたいと思います。皆がそういう気持ちなれば、安ければ安い方がいい、なんて気持ちには決してならないと思うのですが... 皆さんはいかがですか?

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2009年11月09日

さらばBAU

BAUと聞いてピンと来る方は、かなりの通とお見かけします(笑) BAUとは、Business As Usual、つまり「これまでどおりのビジネス(やり方)」という意味です。気候変動予測のシナリオなどにおいて、特別な対応をせず、これまでのやり方を続けたらどうなるかなどというときに、「BAUでは...」なんて書いてあったりします。

 もちろんBAUでは困るので、なんらかの対策を取るわけですが、対策Aの場合、対策Bの場合、BAUに比べてどのぐらい改善、改悪などと比較するわけです。

 BAUは気候変動に限った言葉ではありません。生物多様性の分野でも「対策なし」という意味でしばしばBAUが出てきます。

 3週間前のACB2009の基調講演でもETH-ZentrumのFischlin博士が、今のままのビジネス(BAU)では、生態系の構造とサービスを大きく変えてしまい、生物多様性は大きく損なわれる(大量絶滅が起きる)。その結果、陸上生態系が炭素発生源になり、生態系のレジリアンスを超えてしまうという恐ろしい指摘をしていました。もっともFischlin博士はIPCCのメンバーでもあるので、BAUという言葉はお馴染なのかもしれませんが...(レジリエンスについては、「アダプテーションが試金石」をご参照ください)

 気候変動が生物多様性に与える影響を正確に紹介すると、例えば平均気温のわずか1.5-2.5度の上昇で、20〜30%の高等植物と動物が絶滅の危機に瀕すると言います。今生物種はものすごい勢いで減少していますが、それにしても20〜30%が絶滅に瀕するとは尋常ではありません。気候変化が生物多様性に与える影響いかに大きいかがわかるでしょう。

 気候が変化すれば、たとえば温暖化によってメリットを受ける生物もあるのではないか? そんな疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。もちろんそうなのですが、Fischlin博士によれば、気候変動によってプラスの影響を受ける「勝ち組」は全体のわずか3%に過ぎないと言います。うまく適応できるものは15%、また変化を受けないのが9%ですが、残りの73%がなんと気候変動によってマイナスの影響を受けてしまう「負け組」なのです!

 つまりBAUは気候変動を確実に、しかもかなり速くもたらしますが、そのような倍、実に7割以上の生物種が被害を被るというのです。となれば、BAUというシナリオはあり得ません。生物多様性のためにも、ビジネスのあり方を変えなければいけません。早くBAUに別れを告げる必要がありそうです。

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2009年11月08日

デザインで世界は変わる

 世の中難しい問題が多いわけですが、でもホンのちょっとしたアイディアで一気に問題が解決する場合もあります。最近知って感動したのは、これです!
 
 アフリカなどで、毎日水を汲みに行くために女性たちが大変な苦労をしているということは、多くの皆さんが知っていると思います。

 途上国だから、乾燥地域だから、しかたないことなのか... 水を汲みに行く方々はもちろん、様々な技術や知識を持っているはずの私たち先進国の人間も、やはりしかたないことと考えてしまいがちです。

 しかしどうですか、この発想は! コロコロと転がせば、はるかに苦労なく大量の水を運ぶことができるのです。重い水がめを頭に載せて健康に害が及ぶことを防止できるどころか、女性たちにより自由な時間を増やすことができるのです! こんな道具であれば、男の子たちも喜んで手伝ってくれるかもしれません。すばらしいイノベーションです。

 これを開発したのはデザイナーの方で、こうした素晴らしいデザインを集めた「世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある」という本があるのだそうです。もちろんすぐに注文しました。以前、サスラボで紹介した、100ドルパソコンも載っているようです(「$100パソコンは世界を変えるか?」参照)。届くのが楽しみ!

 このQドラムを現地で作れば、これは立派なBOP。あるいは、まずこのQドラムを作って寄付するだけでも素材メーカーらしいCSRが出来ます。どこかの企業、考えないかな?

 それにしても悔しいのは、乾燥地域にある途上国で、毎日何百万人、何千万人という女性や子どもがこうした重労働を繰り返して来て、それを僕たちは何度も映像で見て知っているはずなのに、なんでこういう簡単な発想ができなかったのでしょうか? 僕の創造力なんかはあてにならないにしても、今まで誰も考える人がいなかったのは本当に悔しくありませんか。こういうところにこそ、私たちの頭が使われるべきだと思うのです。
《参考リンク》
世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある」(情報考学 Passion For The Future)

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2009年11月07日

透明性が武器

 昨日行われたサステナビリティ日本フォーラムのシンポジウムは、「中国の環境問題  〜日本企業と中国NGOの協働〜」がテーマでした。第一部で基調講演をした、公衆と環境研究センター代表の馬軍さんの話が非常に示唆に富むものでした。(Twitterで中継もしてみました)

 「公衆と環境研究センター」(Institute of Public & Environmental Affairs、以下IPE)は、2006年に中国の「中国水汚染地図」を作り、インターネットで公開したことで有名です。さらに2007年には、「中国大気汚染地図」も公開しています。
参考:「「中国大気汚染地図」に4千社以上がリストアップ」(「人民網日本語版」2007年12月13日)

 中国でそんなことが出来るのかと思われるかもしれませんが、それが出来たヒミツは.. IPEはすべて政府が公表したデータを使用しているのです。ですから政府はもちろん、企業としても反論しようがないのです。

 環境基準に違反し、大気汚染の原因になっている企業は、各地方の政府が発表しています。しかしそれは必ずしも使い勝手が良いものでもありませんし、また各地方だけのものです。そこでIPEは中国全土のそうしたデータを一つにまとめ、検索等が容易にできるよう、使い勝手の良いインターフェースを整備したのです。「中国大気汚染地図」では、英語での検索と表示もできるようになっています。

 もちろん、それでもIPEに対して直接、あるいは地方政府を通じて圧力をかけようとする企業もいるでしょう。そのようなことはないのかと馬さんに聞いてみたら、やはりあるそうです。ではなぜそうした企業の圧力に屈さずに済むのかとお聞きしてみたら、この活動を20のNGOで共同でやっているところがポイントだと教えてくれました。IPE一つだけであれば圧力をかけることは可能かもしれないが、20のNGOに圧力をかけ、事実をねじ曲げることは難しいからです。

 中国のような政治体制下で活動するのですから、政府を敵に廻してうまくいくわけはありません。政府のお墨付きのデータを使い、政府の意向と方向を合わせ、そしてそれを徹底的にオープンにすることで、うまーく目的を達成しているのです。非常に戦略的ですね。

 また馬さんは、「インターネットは、中国のような成長途上の巨大な国にとっては福音である」ともおっしゃっていました。「もしインターネットが使えなければ、同じをことするのに莫大な費用がかかり、事実上実行できなかった」からです。

 IPEのデータベースは、衛星画像などともリンクできるようになっており、最新の技術を非常にうまく活用しているのです。

 ただもちろん、実際にはこうした活動を進める上では様々な困難があったはずです。IPEが成功した秘訣は、一番重要なのは何かとお聞きすると、馬さんは間髪をいれず「諦めないことだ」と答えてくれました。そして、さらに「透明性がもっとも重要なツールである」と付け加えていました。中国だけでなく、どこで何をする場合でも、参考になるのではないでしょうか。

 ちなみにこのシンポジウムのパネリストの一人は、パナソニック・チャイナの環境分野の責任者である荒井喜章さんでした。実はパナソニック・チャイナは、従業員の単純ミスによって排水基準を達成できない事故を起こしており、IPEの水汚染地図にも社名が掲載されてしまいました。しかし、その工場の方々の真摯な努力の結果、問題が完全に解決された企業として、ブラックリストから名前を削除された最初の企業にもなりました。

 IPEの活動も素晴らしいものですが、ミスとはいえ起こしてしまった問題を、同じような問題が再発しないように徹底的に対処した日本企業の行動も素晴らしいと思います。ただ残念なのは、IPEのブラックリストにはまだブリヂストン、デンソー、ダイキン、ホンダ、味の素など、多くの日本企業の名前が掲載されていることです。(もちろん、欧米や中国企業も多数あります) そして中には、多くの工場で違反をしていたり、地域住民の再三の抗議に対しても無反応な会社もあるといいます。コンプライアンスという点では勿論ですが、自社のブランド、そして日本の評判を守るという意味からも、ぜひ早急に根本的な対応してくださることを期待したいと思います。

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2009年11月05日

なぜ原子力推進なのか?

 鳩山政権になり、2020年25%削減に向けて大きく舵が切られたのはいいのですが... いくつかどうしても気になることがあります。最大の懸念は、CO2削減のために原子力発電を容認していることです。

 それを受けたというわけではないのでしょうが、今日ついに国内初のプルサーマル発電に向け玄海原発(九電)が稼働し、先ほど午後11時過ぎに臨界状態に到達。9日には試験的に発電を開始し、12月2日から営業運転を始めるとのことです。

 原子力発電はCO2の排出量が少ないと言われますが、核廃棄物や原子炉の解体処理等まで考えたとき、その何万年にもなるライフサイクルで本当に排出量が少ないと言えるのか? もしそうだとしても、どうやってそんな長期間の安全性を担保するのか? 当然、誰一人として関係者はそんな「長生き」はできないわけで、明らかに将来の世代にお荷物を残すことになります。こんな無責任な先送りが、とても「持続可能」なわけがありません。

 もっと短い間で考えても、これだけ地震の多い国で、あるいはテロリストの多い時代に、果たして本当に安全に一つの大事故もなく運転できるのか?(一つでも大事故があれば、大変なことになってしまいますからね...)

 CO2削減だけでなく、有限の化石燃料の代替としてウランを使うのだという主張もありますが、ウランももちろん有限な資源であり、しかもその寿命は化石燃料より短いのではという指摘もあります。

 だからプルサーマルで再利用なのだという主張なのですが、これも資源量のメリットはないという専門家の指摘もあります。(例えば、「プルサーマルはエネルギー支出を正当化できるのか」(温暖化いろいろ)参照)

 そしてそれ以上に、プルトニウムを使うことから、安全性に対しての疑問も強く持たれています。

 話は飛びますが、今日たまたま、東北自動車道で核燃料低レベル濃縮廃液を積んだワゴン車にライトバンが追突するという事故が発生しています。「廃液は青森県六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場でサンプルとして採取されたもので、微量のウランを含む400CC入りの容器が2本積まれていた。ワゴン車は六ケ所村から神奈川県に向かう途中だった」そうですが、こういう事故だって、当然ある確率で起きるわけです。
出典:「<核廃棄物輸送車>東北道で追突事故 放射能漏れなし 岩手」(毎日新聞、2009年11月5日)

 つまり、取り返しのつかない重大な事故につながる可能性がある、資源は有限、廃棄物の処理方法は確立されていないし、放射能がなくなるまでにはきわめて長い時間がかかる、費用も莫大にかかる... (全省庁に渡る「事業仕分け」で税金の無駄の削減を試みながら、例えば高速増殖炉サイクル技術だけでも37億円増の384億円を配分)こんな厄介なものをなんでさらに進めようとするのか、理解に苦しみます。

 電力会社にしても、原発を作ることは、地元を説得するのも大変だし、運用するのも大変、本当に気を使うことばかりです。しかも日本のエネルギー総需要はそろそろ頭打ち、10年以内にはピークに達するであろうときに、わざわざ何を好き好のんで、将来確実に厄介な遺産になるものを抱えこもうとするのか... 

 とても合理的な判断とは思えないのです。もしかすると、こうしたデメリットをカバーして有り余る、僕が見落としている大きな理由があるのかもしれません。だとしたら、ぜひそれを知りたいなと思うのですが...

 もしそんな理由がないのであれば、原子力にかけるお金と労力を、本当に再生可能な自然エネルギーの普及に使う方が、はるかに意味があるのではないかと。その方が、政策全体として首尾一貫したものになりますし... ぜひ本当のところを知りたいものです。教えてください、鳩山さん!

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2009年11月03日

どこに行った、CSR?

 最近、以前よりCSRという言葉を聞かなくなったような気がします。仕事が生物多様性に関わるものが増えているせいなのかという気もしたのですが、CSRで検索してひっかかるニュースも減っているようです。

 CSRという言葉自体は広まっているようにも思うのですが、その一方、「CSR=社会貢献的な活動」と捉えているような発言もよく耳にします。例えば、「それはCSRでやればいいでしょう...」云々。なんか違うんですけど、一体どうしちゃったんでしょう? もちろんCSRがしっかりと根付いている会社もそれなりにあるのですが、やっぱりCSRはブームだったのかなぁ、とちょっと悲しい思いもしてきます。

 念のため確認しておくと、今流の、あるいは欧州でいうところのCSRとは、持続可能な社会を作るための企業の自発的な活動のことです。決して外から押し付けられた、一律の義務や社会貢献のことではありません。自分たちの社会が抱える様々な問題に対して、自社の力をいかに生かすか。お金だけではなく、技術やノウハウ、人材、その経験や知識、そして世界に広がるネットワークなど、自社が持つあらゆる資産を活用し、社会を持続可能にシフトさせていく。そのような企業の特性を活かした取り組みが、CSRです。

 ですからresponsibilityも、単なる義務ではなく、社会が直面する様々な困難な問題に対応(response)する能力(ability)のことだと思い、僕は自分の会社にResponse Abilityという名前を付けています。企業がその能力を最大限に発揮し、社会と共に持続可能であり続けることをお手伝いするのが目的だからです。

 また、responsibilityには「責任」以外に「信頼性(度)」という意味もあります。response abilityのある企業が信頼に足る企業であると思いますが、CSRとは社会から信頼を得る企業であるための活動という言い方もできると思います。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが... なんでこんな話しをしたかと言うと、CSRどころか、会社の信頼性をわざと失わせているとしか思えない企業が最近どうも目につくように気がするからです。あるいは、社会的責任をまったく果たしていない企業と言ってもいいと思います。

 例えば、福知山線列車事故で106名の死者を出しながら、原因究明の過程において組織的な不正を働いたJR西日本。あるいは、地元住民との約束を反古にして、だまし討ちのようなことをしながら無理やり上関原発の建設を進めようとする中国電力。いずれも、いかにトップが立派なことを言おうと、CSRの取り組みをしていると喧伝したところで、まったく説得力を持ちません。自らの行動が、信頼を壊しているのです。

 こうした際にしばしば、企業の責任者は弁明をしたり、それは誤解だとおっしゃったりします。もちろん中にはそういう場合もあるかもしれません。しかし、そんなことで信頼が維持できるわけはありません。信頼は、相手がするものだからです。企業がいかに自らの視点からの説明をしたところで、それが相手に伝わり、相手もそのように感じてくれないことには意味はないのです。

 CSRの本当の意味が理解され、また企業内に浸透していれば、こんなことは決して起きないと思います。やはり社会との関係性を再び忘れてしまった企業が増えているということなのでしょうか?

 鳩山政権は、これまでの施策の見直しを行い、様々な無駄を省き、透明性を高め、必要なところにお金がまわるように大掃除をしています。大変に素晴らしいことです。こうした良い緊張感は、常に必要です。

 社会全体を再点検、再構築するこのような流れは、必ず企業にも及ぶはずです。そのときに、今までのような不透明なやり方、自ら信頼を損なうようなやり方をしている企業は、決して生き残れないでしょう。

 信頼性、あるいは社会の要求に応えることこそ、企業の存在を維持する条件であることを、CSRの本質が忘れられそうになってきた今こそ、再度確認するときだと思います。

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