2010年04月28日

宝物を探そう

 前回紹介した滋賀などもそうなのですが、外の目から見ると素晴らしい自然や文化がありながら、地元の方はなかなかその価値に気付いていない場合が多くあります。いえ本当は、外の目からも簡単には見えないけれど、どこにでも素晴らしい宝物はあるのです。少なくとも、その場所の歴史はそこだけのものであり、決して他にはありませんし、その場所においても同じものを再び作ることはできません。

 ところが大体どこに行っても、皆さん口を揃えて「ここには何もないから」とおっしゃいます。たしかに世界一や日本一の「特別なもの」はないかもしれませんが(いや、ひょっとしたら本当はそれだってこれから発見されないとも限りませんが)、そこの場所にしかない「特別なもの」はきっとあるはずです。

 そういうその地域の宝物を運良く探し当てるための合い言葉があります。「ないものねだりから、あるもの探し」です。他所の宝物を引き合いに、「うちにはそんなものはない」と言って、ないものねだりをしてもしかたがないのです。そうではなくて、自分たちの地域には何があるのか、それをきちんと探しましょうということです。

 沖田地区でお年寄りが昔の経験を屏風に仕立てたのは、「心象絵図」と呼ばれています。「風景の記憶」なんていう風流な呼びかたもあるようです。ググるといろいろな地域の話が出てきますので、興味があればぜひ検索してみてください。
《参考リンク》
心象図法で地元学」(東近江地元学ネット:講演記録:上田洋平)

 心象図法は、自分たちの五感の記録を発掘し、その中で宝物を探していくやり方ですが、それ以外にも地域にあるものを探すのに役立つ視点があります。若い人たちの視点、常識に囚われない視点、外からの視点です。内部にずっといるとわからないこと、当り前に思えることでも、ちょっと視点をずらせば見えてくるものがあるということです。わかりやすく、「若者、馬鹿者、余所者」なんて言ったりもしますが(笑)

 特に里山の風景などは、地域の方々にとっては当り前の、あるいは当り前だった、おのです。ちょっと視点をずらしてみないと、なかなかその真価はわからないかもしれません。COP10の今年、日本は「里山イニシアティブ」をぶち上げています(中身は今一つよくわかりませんが(^^;))。皆さんの周りにある、あるいは失われつつある、普通の風景の素晴らしさを再認識するのにいい機会なのではないでしょうか。

 ところでちょっと話は変わりますが、そんなヤヤコシイことを言わなくても、誰が見ても素晴らしい、だけれど案外知られていないところも日本にはたくさんあります。例えば、僕がいま一番見に行きたいのは、山口県の田ノ浦です。中国電力が建設計画中の上関原発の予定地になっている場所です。対岸には、これまた美しい祝島があります。写真や映像でしか見たことがないのですが、例えば以下の記事の中にあるような写真を見ると、もうそれだけでクラクラして来ます。
《参考リンク》
■「生物多様性の宝庫・田ノ浦を埋め立てればこの美しい海は死んでしまう」(Liberal Utopia 持続可能な世界へ)

 なるべく早く実際に見に行きたいと思っていますが、すぐには行けそうにありません。そんなことを思っていたら、鎌仲ひとみさんから、新作の「ミツバチの羽音と地球の回転」がついに完成、試写会をしますというお知らせをいただきました。上関原発予定地の対岸にある祝島の方々を中心に、エネルギーの未来を問いかける映画です。エネルギーと人々の暮らし、生物多様性、そんなことの関係を考え、そして田ノ浦や祝島の美しい自然を、まずは映画で見てみたいと思います。

 間もなく、ゴールデンウィーク。皆さんもぜひ、身の回りや旅行先で、まだ知られていない宝物を探してみませんか?

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posted by あだなお。 at 10:24| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 手法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月27日

60年の変化

 一週間ほど前に、滋賀県のいくつかの地域を訪問して廻りました。生物多様性に関わりのある活動や、滋賀の生物多様性を体験するというのが目的だったのですが、生きもの以上に感じたのは時間の流れです。

 琵琶湖の西岸、いわゆる湖西には、比較的昔ながらの風景と生活様式が残っています。滋賀の写真家、今森光彦さんの写真や映像ですっかり有名になった針江では、今なお川端(かばた)と呼ばれる井戸が残っていて、料理や飲料の水に使われています。12度前後で一年中ほとんど変わらない水温のお蔭で、夏涼しく、冬暖かいのです。
kabata.jpg
家屋がなくなった後に残された川端
 
 冷蔵庫のない台所など今はもう信じられませんが、しかしほんの50年前まではまだそんな暮らしがあったのです。その時代、この川端からの水や、川端の周りの空間はいかに貴重なものであったことでしょう。今の私たちからするとちょっと不便に思えるかもしれませんが、ほんの少し前まではそれが当り前だったのです。そして、今の60代、70代の方々は、そんな生活もしっかり体験していたのです。古い街並みを歩いていると、僕だって、「あぁそう言えば、子どもの頃にこんな景色があったよな」と思うときがあります。ものすごく古めかしいように見えて、でも実はたかだか40〜50年前まではそんなだったのです。

 その近くの沖田という地区では、村のお年寄りが書いた昔の光景を屏風に仕立てたものを見せていただき、それを見ながら、昔の話をお聞きしました。洪水で苦労した話や、土葬だった葬儀、子どもたちの遊びや、村の若者の出征の壮行。そう、そこに描かれているのはちょうど戦争の前後、今から60年ぐらい前、お話をしてくださったお年寄りたちが子どもの頃のことなのです。今の生活とはあまりに違うので、遠い、遠い、昔のことのように思ってしまいますが、実はわずか60年前のこと。その暮らしも今の暮らしも、その両方とも一人の人間が体験したことなのです。

 そしてその翌日は、沖島という琵琶湖に浮かぶ小さな島を訪れました。日本で唯一、人が住む、淡水に浮かぶ島です。島が近づいて来ると、思わず皆から歓声が上がりました。ちょうど桜の花も散る間際で、いろいろな深さの緑の間に桜の花が見え隠れする静かな島は、信じられないぐらいにのどかに美しいたたずまいなのです。誰もが、「こんなところが残っているなんて」とか、「桃源郷のようだ」と思わずもらしたくなる。そんなうっとりするぐらいに美しい島でした。
okinoshima.jpg

 ここでは70過ぎの漁師の方に、昔の話を少しうかがいました。今のような立派なエンジンもなければ、そもそも戦時中で油もなく、手漕ぎで漁に出たこと。暖房もなく、かじかむ手足を、七輪で沸かしたお湯で暖めこと。そんなやり方は今では信じられませんが、やはり60年ほど前には、実際にここでそういう暮らしがあったのです。

 いずれの生活も、今よりはるかに不便で、そして厳しいものだったでしょう。苦労も多い生活だったと思います。ただ同時に、その頃の生活は、今では信じられないぐらいに自然と近しいものであったことも確かです。生きものと一緒に、自然の中で暮らしていたのです。

 それが今のように自然から切り離されてしまったのは、その変化はわずかこの60年ほどの間に起きたことなのです。これはもちろん滋賀だけでなく、日本全体、いや世界の多くの国々がそうでしょう。そう考えると、わずか一人の人間の一生の間に、とんでもない大きな変化が起きたことがわかります。地球の歴史上、こんな短時間に、こんな大きな変化が起きたことはなかったのではないでしょうか。

 その変化の大きさに驚くと同時に、今の私たちの生活はちっとも当り前ではないのだということに改めて気がつかされました。私たちが当り前と思っている今の便利な生活は、たかだかこの数十年の間に生まれたものなのです。それまでの数千年、人間はそんな生活はして来なかったのです。

 そう考えれば、今の生活がこのまま続くと考えることの方がおかしいのだと思えてきます。何せ私たちはまだ数十年しかこの生活を試していないのです。しかも、その中で数々の不都合が噴出しています。地球の環境がこの変化にとても耐えられないことも明らかになって来ました。だとすれば、おかしいのは、今の生活ややり方の方でしょう。これがこのまま続けられるのではなく、私たちは無理のない方法に変えなければならないのです。

 60年前の暮らしを垣間見ることで、この60年間の変化を振り返ったと同時に、私たちはどこを目指すべきなのか、少なくともそれが今の延長ではないことを確信した二日間でした。

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posted by あだなお。 at 01:35| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

PCI考えてますか?

 最近いろいろな企業が生物多様性に関して、方針、ガイドライン、行動指針、基準を発表なさっています。いい傾向と思う一方、これだけできちんと機能するのだろうかと、心配になることがあります。
《参考リンク》
■「生物多様性ガイドライン 幅広い企業から続々登場」(環境経営フォーラム EMFレポート)
■「広がる生物多様性保全 企業にリスクとしての認識広がる」(ECO JAPAN)

 というのは、方針というのはその問題について最上位かそれに近いところに位置づけられる基本的な考え方ですから、あまり細かいところまでは立ち入らないのが普通です。しかし実行上は、それだけでは心許ないので、一つ一つの行動がその方針に合致しているかどうかを判断する具体的な基準が必要になります。

 原材料がある考え方に合致したものであることを認証しようという場合には、こうしたことを明確に、また公正に行う必要がありますので、principles(原則)、criteria(基準)、indicators(指標)というPCIの3段階、PCI frameworkで規定し、管理したりします。

 つまり基本的な考え方をまずpriciplesで述べます。それに合致しているかどうかはcriteriaを用いて判断します。また、パフォーマンスの程度を定量的に示すものがindicatorです。PCIの3つが揃っていれば、ある項目の状態やパフォーマンスが、どのような状態にあるかを定量的に示し、それが求めている条件に達しているかどうかをブレずに、一意的に判断することがでいます。すなわち、明確に、公正に判断できるわけです。

 「生物多様性『方針』」は認証とは目的が違いますが、この考え方は応用できるのではないかと思います。もし方針そのものは比較的一般的でざくっとしたものであったとしても、それに基づいた明確な目標を設定し、そのための具体的な行動計画を立て、進捗状況を計る指標を設定する。そうなれば、生きた方針、すなわち機能する方針になるはずです。

 あるいは「原材料調達『方針』」であれば、それは当然基準を伴わなければなりません。できれば、方針、基準、指標と揃っていると、一番わかりやすいでしょう。

 方針、指針を作るのは、企業活動の方向性を示し、進捗を評価、管理するためのはずです。だとすれば、単に方針を作って示すだけでなく、それとセットで定量的な目標や指標も作らないと、きちんと機能しないのではないでしょうか。

 海外の団体などがルールを作るのを見ていると、このPCIをしっかり意識しながら構造化されたルール作りをしていることがよくわかります。PCIフレームワークを作ることを目指して、どんどん細部まで詰めていくのです。日本では「方針」だけがぽーんと発表になることも多いので、その辺はどうなっているのかなと気になってしまうのです。

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posted by あだなお。 at 15:18| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 手法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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