2008年08月16日

「いま ここにある風景」

 風景とは通常自然が作り出したものですが、自然を破壊して、人間が作り出した風景もまた存在します。人工的なものであっても、その規模が大きくなればなるほど、それは「風景」と呼ぶしかないのです。

 人間が作り出して来たそんな風景を捉えるカナダの写真家エドワード・バーティンスキーが中国をテーマに撮影した「マニュファクチャード・ランドスケープ『チャイナ』」とその撮影現場をドキュメンタリーで紹介しているのが「いまここにある風景」です。
「いまここにある風景」公式サイト

 「これは"地球の壊され方"か、それとも"人類繁栄の足あと"か。」、「中国…この国で今なにが起きているのか。私たちが今生きている世界についての衝撃のドキュメンタリー!」という紹介の言葉が示すとおり、急速な世界的な経済発展が何をもたらしたのかをしっかりと見せてくれます。

 これらとても愚かしく、そして恐ろしい光景。いずれも明らかに人間活動の結果ではあるのですが、私たち個人のスケールをはるかに超越した巨大なスケールに圧倒され、何かもっと巨大な魔物の仕業のような気すらしてきます。

 僕はこれまで何度も中国や途上国の工場、あるいは鉱山やゴミ処理場、巨大なプランテーションを訪問してきました。それでもこの映画に出て来る工場や開発現場のスケールには圧倒されます。あまりに巨大で、私たちの知覚を超えているようにすら思えます。

 しかし、いかにそれが現実離れしているように見えても、それを作って来たのは私たち一人ひとりの欲望であるということを忘れてはいけないでしょう。

 例えばオープニングに登場する電気製品の巨大な工場。ここでこうやって作られるがゆえに、私たちは驚くほど安価な電気製品を、まるで消耗品のごとく消費することができるのです。
imakoko.jpg
写真出典:「「いま ここにある風景」映画作品情報」(cinemacafe.net)

 そしてその使い捨てられた電気製品は再び中国に戻り、人手で解体されます。つまり、ここに出て来るまるで別世界のような風景も、私たちの生活と無関係ではないのです。遠い国の出来事であっても、私たちと因果関係の糸でしっかりつながっているのです。

 バーティンスキーは、「これを良い悪いと言うつもりはない。ただ、この風景を見て欲しい。」と言います。良い悪いという問題にすり替えるのではなく、ただこの風景としっかり向かいあって欲しいというのです。

 僕もその言葉に賛成します。大判カメラで捉えた写真は風景のディテールまでしっかりと捉え、丁寧に見ていくと、その異様な風景の中にも、その風景の中で働き、暮らす人たちの表情が見えてきます。

 バーティンスキーはまた、20世紀に私たちは石油にどっぷりつかって経済というダンスを踊ってきた。そのダンスに遅れてやって来た中国は、ラスト・ダンスを踊っているのかもしれないと言います。その様子をじっと見つめていけば、その先にある私たちの未来まで見えてきそうな気がしてきます。

 私たちの生活を支えるためにいま何が起きているのか。それはこの先持続可能なのか。この延長には何があるのか。様々なことを知り、考えるために、ぜひとも見ていただきたい映画です。

 そして僕は今度は、ぜひスティルの作品、大判カメラで撮影した精緻な巨大写真を見てみたくなりました。日本でも展覧会をして欲しいですね。

 なお、この写真展は、中国や途上国の労働現場を知る上でも貴重だと思います。バーティンスキー以外にもこうした現場を撮影している写真家はいます。サスラボの過去記事「中国の労働環境」もぜひご参照ください。ドイツの写真家、Michael Wolfの作品へのリンクもあります。

今日も読んでくださって、ありがとうございます。
皆さんのフィードバックをお待ちしています。
応援してくださる方は、Click me!


posted by あだなお。 at 23:59| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
Google
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。