日本の食の豊かさは、四季のおかげだけではありません。地域性もとても大きく影響しています。いろいろな場所を訪れると、その土地ならではの食材、料理方法があり、これまた本当に楽しみです。「食材図典 3 地産食材篇
そしてこれこそまさに、生物多様性のおかげなのです。生きものが多様な国で、生きものの営みが季節によってリズムがあることから、そこから得られる食べ物もまた多様なものになるのです。このような豊かな食生活を楽しむことができるのが、僕にとってはもっとも生物多様性のありがたみを感じる理由かもしれません(笑)
先日、前から気になっていたお鮨屋さんに出かけました。親方自ら全国に食材を求めて足を運び、意気投合した漁師さんから直接仕入れているというこだわりようです。「今週はようやくコハダがこのぐらいの大きさになったので、このぐらいの酢加減で〆ている。」そんな話をいかにも楽しそうにしてくれるので、こちらも海の中の季節感がわかるようです。
「利尻から直送されるバフンウニは今年はもう今週でオシマイ。次は来年まで食べられません。もう残り少ないので、一人一貫かぎり。」そんな口上を聞きながら食べると、ただでさえおいしいのに、それが二倍も、三倍もありがたく思えて来ます(笑)
秋鯖は、これからがいよいよシーズン。磐城沖で取れた戻りのカツオは、むしろ脂が少なく、実に上品。津軽のマグロもシーズン開始です。ちなみにこの日のマグロは大間で上がったものだそうですが、それでもこのお店では敢えて「大間の」とは呼ばず、「津軽の」と言っています。そして一本釣りではなく、必ず延縄で獲ったものを仕入れるのだそうです。すべては、魚の味を重視するためです。
こんな口福が続くと、本当に日本に生まれて良かったなと思います。単に食材が豊かであるだけでなく、その豊富な食材を生かすための技術の蓄積がスゴイからです。このお店ではもう他のお店ではまずお目にかかれないような古い仕事もしているのです。ですから、季節を味わう、地域を味わうだけでなく、歴史を味わう楽しさも加わるのです。そして考えてみれば、豊かな生物多様性が、こうした技をも育てたわけです。
で、ちょっと気になったのが、穴子。このお店では穴子は江戸前のものを煮上げており、ほっこりと実にいい加減の穴子を供してくれます。しかし親方曰く、「今年は穴子が少なくてねぇ。いつもの百分の一ぐらいしか出て来ない。こんなのこの商売をやっていて初めてだよ。」と嘆いていました。理由はわからないようですまが、心配になります。
季節ごと、地域ごとに変化のある食材を楽しめる私たちは本当に豊かな生物相に恵まれているわけですが、この楽しみを持続させるためにも、生物多様性は守りたいですね。え、ちょっと動機が不純ですか?(^^;)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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いえいえ、「生物多様性を守ろう!」よりも「江戸前のアナゴを守ろう!」の方がずっと純粋な動機のような気がします(笑)
アムネスティが「人権」ではなく「虐げられている人」を守ろうとするように、生物多様性に関しても、そうした「一つひとつの生き物を守る」
という視点が大切なのではないでしょうか。
どちらかというと「生物多様性」の方にあやしさを感じてしまうんですよねぇ・・・。
こんにちは。
そうですか、そちらの方がわかりやすいですか?
ただ実は、生物多様性という考え方は、個別の生物種の保全だけでは不完全ということで、すべての生き物を保全するために「生物多様性」という包括的な概念にまとめたという経緯があります。だからやはり抽象的に取られてしまうのでしょうか...
私はそんな理解の仕方もしていますが。
間違ってますか?汗
あとは、生物種同士のバランスが大切だからということと、未知の生物もたくさんいて、目に見える種を守るだけでは地球環境という観点からは不足してるんだろうな、と。
あやしいとは思わないですが、壮大だな〜とは思います。
そういったものがなく議論されているのは、所詮は観念論かなと感じます。
こうした直接的な動機から「だから生物多様性が重要」という方向に持っていくのがわかりやすいと私は感じるのですが、どうも生物多様性ありきで議論がされているようで、それ自体の議論は楽しいのですが、本当に意味があるのかな、と考えてしまうのです・・・。