しばらく前に念願叶って大原美術館と倉敷の街を訪ねた際には、その素晴らしいコレクションにも、周囲の美しく保存された街並みにも感嘆しましたが、それよりもさらに心打たれたのは、この大原美術館を作った大原孫三郎氏の「社会から得た財はすべて社会に返す」という考え方、そしてそれを実践した生き方です。
大原孫三郎氏の実に多くの活動の中で、大原美術館を作ったことはごく一部でしかありません。かなりのお金も使ってはいますが、それ以外の活動に比べたら、ほんの大した額でしかないでしょう(そのこと自体がすごいことですが....)
美術館の売店で画集の代わりに「わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯
《参考サイト》
■「大原孫三郎 やる可し大いにやる可し」(クラボウ)
よくそこまで財力が続いたなということにも呆れるぐらいに驚きますが、孤児や工員など、弱い立場の人々のために考えられるありとあらゆる支援をし、才能ある若人たちが海外で学ぶことを助け、とても一人の人間がしたこととは思えないような業績を残しています。
なぜそこまで出来たのか、小人にはまったく理解できません。孫三郎氏は「わしの眼は十年先が見える」と言って、他の役員が反対する場合にも押し切ったそうですが、10年どころか、100年先が見えていたのではないでしょうか。
工場内に女工たちの学校を作り、大部屋の寄宿舎を数人で住まう平屋の社宅にし、食事を改善し、診療所を作り、賃金を上げ、特別手当を配し、株式引受権を与え、組合を作り、労働安全衛生のための研究所を作り、深夜勤務を廃し、クーラーを設置し... 倉紡の株主でなくても呆れるぐらいで、頭がクラクラして来ます。
本当にこんな経営者が実在していたことが信じられません。もちろんこうしたことを可能にするぐらい、日本の経済が右肩上がりの時代でもあったのでしょう。しかし、同時代、ほとんどの企業はこんなことはしていないのですから、やはり孫三郎氏は、きわめて特異な経営者であったのです。
こんな経営者がいて、「労働をより人間的に」することを目標に、生理学、心理学、栄養学など、多面的に労働を科学する研究所が今から90年近くも前、1921年に作られていることを、日本人として誇りに思わないわけにはいきません。
その日本で今、CSRが喧伝される一方で、労働者が使い捨てにされていることは、まったく時代に逆行する恥ずべき状況としか言いようがありません。孫三郎氏が今の世を見たら、果たしてなんと言うのでしょうか。経済状況が悪くなり、業績も落ちてきたとき、孫三郎氏であれば、どうしたのでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
皆さんのご感想、お待ちしています!
応援してくださる方は、Click me!
【関連する記事】







大原孫三郎氏本当にすごい方ですね〜!!
ご紹介をありがとうございます。
この発想と行動の源は一体なんだったのでしょうね?
バックボーンに興味が出て来たので、本を読みたいと思いました。
重要なステークホルダーである従業員も大切にして欲しい物です。
美術とか景観とか自然史も含めて文化に対する感覚に尊敬するものを何気なく感じていました。
さっそく近くの本屋に寄ったらありました。ざっと読ましたが、大原孫三郎の気概が倉敷の文化に根付いていると思うと多少とも理解した気になります。
でも私が住んでいる神戸にも同年代に大原さんのような社会還元を目指した企業家はいたのにあまり評価されてはいません。大原さんのつくったものを育てたクラボウ、クラレ、倉敷市民の素養もあるんでしょうね。
この大原さんをバルブ直後の平成6年に小説の題材に選んだ城山三郎さんの歴史感覚もすごいですね。