2006年04月23日

先進国のエゴ?

 熱帯林を伐採したり、プランテーションを開発するのは、環境負荷が大きいので止めましょう。こう主張したときに必ず出て来る反論は、「それは現地の人の生活を考えない先進国の人間のエゴだ」というものです。

 しかし、僕は、その反論を現地の一般の人からはほとんど聞いたことがありません。自分たちの住む森がなくなって困る、様々な問題が生じて困っているという人には何人もお会いしたことがあるのですが... もちろん、各国の政府や企業でこうした開発を進めようとしている立場の人は、「いや環境は大丈夫だから、ちゃんと配慮するから、買ってくれ」と言います。ただこのときも、買ってくれないと、地元の人が生活できなくなって困るからではなくて、自国の産業や、自社の商売が発展しなくて困るからというのが理由です。

 もちろん国や地域によって状況は異なるので、一概には言えませんが、僕が実際にマレーシアで見てきたのは、例えばこうです。

 ボルネオ島は100年前は完全に緑の熱帯雨林で覆われていました。そこにイギリスや日本が入り、木材の伐採を始めました。戦後はマレーシアの企業が伐採し、それを日本など先進国が盛んに買い付けました。しかし、ここでいう企業はほとんどすべて、華僑系。つまり、もともとこの地域に住んでいた人ではありません。マレー半島など、他の地域から、森を伐採するために入ってきた企業です。彼らは自分たちの土地で木を伐り出すのではなく、政府から伐採権を買い受け、木を伐って売るということを生業ではなくビジネスとして行っているのです。もちろん労働者として雇われた地元民にも多少のお金は落ちますが、利益のほとんどは、外からやってきた企業が吸い上げます

 そもそも、地元民は森が伐られて、森の中で伝統的な生活ができなくなったために、森林伐採の賃仕事をしなければならなくなったという側面も見逃せません。しかも、その賃仕事も、一時的です。その地域の木をすべて伐り出した後、企業は別の場所に移動すればいいのですが、地元の人たちには、すっかり変わり果てた土地が残されるだけです。持続可能な仕事や暮らしではないのです。

 こうした現場を見ていると、「地元経済は森林伐採に依存しているのだから、森林伐採をやめろと言うのは先進国のエゴだ」とはとても思えないのです。もちろん森林伐採で儲けている人はいますが、それは本当の地元民ではないのです。

 農業もそうです。本当に自立した農民がいて、公平な価格決定のメカニズムがあるのであれば、農民も農産品の輸出で経済的なメリットを享受していると言えるでしょう。しかし残念ながら、現実は違います。

 実際、ゴムの自作農園とオイルパームの商業的プランテーションの違いはそこにあります。ゴムのときには、農民は自分でゴムの木を植え、取れたラテックス(樹液)を良い値段を示す仲買人を選んで売ることができました。オイルパームの場合には、初期投資が嵩むため、そもそも個人で始めることが困難です。多額の借金を背負ってオイルパームの生産を始めても、取れた実は、その地域に一つしかない搾油工場に、工場の言い値で買い取ってもらうしかありません。

 すべてのプランテーションや一次産品の生産現場が、地元の人を搾取していると言うつもりはありません。具体的な数値は持ち合わせないものの、僕がこれまで見てきた場所について言えば、かなりのところで儲けているのは企業だけ。先住民族や、その地域に本当に長く暮らしている人は、十分な恩恵を受けているようには思えないのです。しかもこの企業も地元の方がやっている企業ならまだいいのですが、外国企業や、同じ国の中でも、別の大都市に本拠地を構える全国的な大企業が多いのです。つまり、そこで得た利益は、すべて他の国や、他の地域に吸い上げられるということです。

 もちろん、一次産品の輸出が、途上国の経済を発展させる可能性があることは確かです。しかも、単に一部の企業や利権を持つ金持ちを潤すだけではなく、地元の人々の生活を向上させる力を持っています。実際、その素晴らしい例をタイで見たことがあります。この話は、また別の機会にご紹介したいと思います。

 しかし、そうしたことが達成できるのは、地元の利益を考えるという理念があり、そのことに配慮しながら進めた場合だけです。通常は、企業は地元からなるべく安く買って、外国には高く売ろうとします。海外のマーケットでの価格が下がれば、まずは地元から買う値段を下げるのです。そこに地元の人たちを配慮する仕組みはありません。

 だからこそ、CSRなのです。一次産品を輸入したり、加工する企業に対して、原料まで遡って環境と社会へ配慮することを求めるCSR調達の動きが、地元の人たちを配慮させるのです。これまでの経済メカニズムでは、配慮されなかった、むしろ様々なしわ寄せが集中していた地元の地域や人々に対して、配慮の視線をもたらす新しいメカニズムが、CSR調達、つまりCSRの一環として企業に原料調達の配慮を求めることなのです。

 以上の話をまとめましょう。

 単に海外から一次産品を購入するだけでは、地元の人の生活レベルを上げたり、安定させることには必ずしも結びつきません。ですから、地元の人たちの生活レベルを向上するために新たに開発をしようという意見には、十分に注意する必要があります。

 もしどうしても開発が必要なのであれば、あるいは既に開発が行われているのであれば、本当に地元の人たちの生活レベルが安定して向上するように、十分な配慮を払う必要があります。それを可能にするメカニズムが、CSR調達です。

 現場に十分な配慮がなされていない調達については、むしろ私たちはNoと言うべきだと考えます。より良い管理がなされるようにならなければ、私たちの消費が、現地の経済や生活を向上させることにはならないのです。


 途上国の森林伐採やプランテーション開発を問題にするがエゴなのではなく、途上国の現状を考えず、「安い」という理由で消費続けることこそ、先進国の人間や企業のエゴなのではないでしょうか。


今日もすご〜く長い記事読んでくださって、ありがとうございました。最後まで読んでくださったことに、深く感謝します。
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posted by あだなお。 at 23:59| 東京 🌁| Comment(3) | TrackBack(3) | 経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。いつも勉強させていただいてます。私自身、ステレオタイプの意見で満足しており、目から鱗の記事でした。こういう現地での声を反映した意見というのはなかなか聞くことができないので非常に参考になります。
今回、自分のブログにも引用させていただきましたので、どうぞよろしくお願いします。
Posted by ふぁるこん at 2006年04月25日 00:13
先進国の企業のエゴですね。。
企業って投下資本を回収して利益を得るのが目的ですものね。
でも他人の国を荒らして、吸い上げるものがなくなったら撤退して別の場所に移動するのでは、本当に無責任です。会社存続のために、オフショア化するのは構いませんが、元の状態に戻してから返すのが当然のことです。各国で法令化できないのでしょうか。。
Posted by benny at 2006年04月25日 12:37
ふぁるこんさん

コメントありがとうございました。
意外と盲点だと思ったので、書いてみました。お役に立てたようで嬉しく思います。ふぁるこんさんのブログも拝見しますね。

bennyさん

まず第一には企業なのですが、それを知ってか知らずにか、企業の行動に無関心な消費者にもある程度の責任はあるのではないかと思います。
経済合理性だけでコロコロと場所を変え、現地に根付かない企業は、結局は誰からも信用されなくなるかもしれませんしね。
Posted by あだなお。 at 2006年04月26日 00:38
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先進国のエゴとは何か
Excerpt: せめて、この利益が地域に還流すれば良いのですが、そうでないのならばそのようなシステムは是正されるべきで、地域環境に則した生業、伝統・民俗を活かした産業で地域が潤うシステムができないものでしょうか。
Weblog: 鯵、環境民俗学ヲ嗜ム
Tracked: 2006-04-24 20:01

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Excerpt: 情報は様々な視点からのものを収集し、それぞれの意見の中から自分なりに判断する。一応、そういう考え方で情報収集を行ってきました。 しかし、自分の専門分野から完全にかけ離れている「国際関係」の情報につい..
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Tracked: 2006-04-25 00:05

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Excerpt:  以前、持続可能な社会ってどんな社会?という問いかけをしたことがあります。私がこう問うたとき回答者の頭にまず浮かぶのはおそらく、近未来の理想的に持続可能になった日本だったと思います。
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Tracked: 2006-04-25 16:30
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