暴力が問題の解決手段にならないことは、明白です。歴史をふり返ってみれば、戦争で問題が解決したことは決してありませんでしたし、私たち自身の過去の経験を考えてみてもそうでしょう。
暴力に対する言葉として「非暴力」という言葉があり、例えば「ガンジーは非暴力主義者であった」などと聞きます。しかし、それではその「非暴力」とはなんなのでしょうか? たとえ酷い仕打ちを受けても、ときに暴力を受けても、ただそれを受け入れる無抵抗な態度のことなのでしょうか?
その問いに答えてくれるのが、この本です。著者は「非暴力って消極的な、受け身の態度ではないの?」という娘の質問に答えることから始めます。「受け身なんかじゃない。非暴力とは、暴力を使わないで暴力に対抗することなんだ。」と。
なるほどね、たしかにそうです。されるがままの受け身の態度では問題は解決しません。ガンジーも、キング牧師も、暴力は使わずに、しかし、それ以上に強い精神と行動で毅然と戦ったのです。
正直に言えば、この本を読んでも、どうすれば非暴力で効果的に戦うことができるのか、問題が解決できるのか、わかるわけではありません。むしろ、非暴力という行動には、覚悟も、忍耐も、精神的な強さも必要なことを痛感させられます。
しかしそれでも、非暴力こそが解決への希望であることも感じさせてくれます。たとえそれが困難であっても、それしか道はないのです。そんな、非暴力について、じっくりと考えてみる機会を与えてくれるのが、この本の効用と言えるでしょう。
そして個人的には、この本を読んで3つ驚きがありました。
一つ目は既に書いたように「非暴力とは受け身の態度ではない」ということを、明確に気付かされたことです。今まで非暴力の意味なんて、ちゃんと考えたことがなかったわけです。
もう一つは、フランスには調停員がいる中学校があるそうなのです。もちろん、生徒が調停員になるのです。人の話をしっかりと聴く訓練を受け、自分で判断をするのではなく、両者の共通点を見つけ、当事者同士に解決法を見つけさせるのだそうです。これってすごくないですか?
最後の一つは、高橋源一郎氏の解説でした。何かを語り、説得しようとする時、語り手はややもすると、説得のために「暴力」を用いるようになる。しかも、父と娘という「権力関係」が存在する場所は、「暴力」が発生する根源でもある、と氏は指摘します。つまり、著者がこの本で試みたことは、非暴力をわかりやすく説明することではなくて、それを「自分の娘に説明する」ということなのだと。
なるほど。その構造に僕は最後まで気付かず、高橋氏の解説を読んで初めて、ハッとさせられました。そして同時に、自分や自分の行動の中に潜む暴力にも、気付かされたのです。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。
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キューバでは子供の躾に「叩く」という“暴力”ほとんど用いません。 子供が悪さをしても、せいぜい2-3時間部屋に閉じ込めておくか、ひどいときには<ただ外に遊びに行かせない>だけで罰は終わってしまう。 当然子供にとっては大したダメージではないので、毎日同じことを繰返す。 親の権威は失墜し、子に対するコントロールは失われ、子は親を<友達>だと勘違いし始めます。 結果、若年者の妊娠・出産など様々な問題の原因となっているように感じます。
キューバの家族の絆の強さは有名で基本的に私も素晴らしいことだと思っています。 しかし、昔は親しさのなかにも親・年長者に対する敬意はきちんと存在していたそうです。
子供の躾のなかに必要悪としての“暴力”はそれが適切な場合には用いるべきであるというのが私の意見です。
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家での教育で最も重要な中学・高校の時期に親から引き離して寮生活をさせるという政策の是非も問われるところです。
お菓子を頬張りながら何もしていないのに、忙しく働いている母親に「ママー、ちょっと来て!」と叫ぶ娘は撲滅しなければなりません。(苦笑)
こんにちは、コメントありがとうございます。
なんと、日本の学校でも「調停員」を育てているのですか。それは素晴らしい。中学校を出てン十年の僕は、最近の動きを全く知りませんでした(^^;)
それにしても「ピアミディエーション」はあんまりな表現ですよね。最初なんのことかと思ってしまいましたが、peer mediationなんですね。
BUENA FE2005さん
こんにちは。
キューバもそうなんですか? なんか日本でも、親や先生にタメ口の子ども、増えていますね(^^;)
これはきちんとした方がいいと思いますが、ただ、その方法として「暴力」というのは、ちょっと安易なのではないかと思いますが。