2006年05月14日

聖地に敬意を

 聖地とは、神聖で汚されるべからず土地のこと。由緒ある神社や、原始の自然が残る深山、あるいは自分の家族の歴史が刻まれた場所。どこであれ、聖なる土地に戻れば、人は自然と厳粛な気持ちになり、背筋が伸びます。ゆっくりと目を閉じれば、自分自身やそこに連なる祖先の過去と対峙することができます。

 聖地は、もっとも冒すべからず土地であり、それが傷つけられれば、私たちはアイデンティティを傷つけられ、自らの身体が傷つけられた以上の痛みを感じるかもしれません。ですから、私たちは自分たちの聖地を大切するのと同時に、他の人々の聖地に敬意を払い、それを守ることに手を差し伸べる必要があると思うのです。

 ベア・ビュートというアメリカ・インディアンの聖地に、ハーレーの酒場の建設が予定されており、それに反対する署名を呼びかけている記事を見かけました。元マガジンハウスの編集長でインディアンの文化を日本に紹介し続けている北山耕平さんという方のブログ"Native Heart"です。

このベア・ビュートは、ラコタやシャイアンのみならず、30を超える北米先住民のグルーブが聖なる山と見なしており、その山体だけでなく周辺の自然の神聖さは他に類を見ない。そこにはスピリットたちが住まわれており、先住民たちは等しくそのスピリットの力を敬い続けてきた。彼らの信仰においては、そこは「すべての人びと」の精神的肉体的な健康に欠かせない場所とされている。
出典:「聖なる山を守らなくてはならない理由

beautifulmahtopaha.gif


 そんな大切な聖地に、今何が起きようとしているのでしょうか。北山さんのブログのエントリーを一部引用して、経緯を紹介しましょう。

サウスダコタ州のブラックヒルズの山々の東の草原の静寂のなかにベアー・ビュートというけっこう険しい山がそそり立っている。ブラックヒルズ国立公園のなかに位置し、古代からシャイアンなど平原インディアンの人たちの聖地としてあがめられてきたこの山は、あきらかに誰が見ても特別な力の山である。おそらくそこはとてつもなく神聖な山であり、中東のシナイ山にも匹敵するとされる。

この瞑想とヴィジョン・クエストのための土地であるベアー・ビュートの山麓にスタージスという町があって、この町は知る人ぞ知るハーレイのメッカとされる町であり、毎年8月になると全米から50万人ほどのバイカーがさながら巡礼のごとく轟音を響かせて押し寄せては、浴びるほど酒を飲みまくり、マッチョを競い合い、胸をあらわにした女の子たちが叫声を上げるらんちき騒ぎを繰り返してきた。

そしてこのたび、その狂乱を求めて押し寄せるバイカーたちを一年中呼び寄せようと、このスタージスの町のはずれに、バイカーたちのための巨大な酒場と、広大な駐輪場が完備された収容人数がなんと3万人というとてつもなく巨大な野外ロックコンサート劇場が作られることになったことで、この山を聖地としてあがめてきたネイティブの人たちからいっせいに抗議の声があがりはじめていると、ロサンジェルスタイムズ紙が3月26日付の記事「ビールと女とバイク、そしてグレイト・スピリット(Beer, broads, bikers -- and the Great Spirit)」で伝えた。

(中略)

スピリチュアルなものの存続の源としてのその持続的な役割もさることながら、それ以上に、社会的、宗教的、政治的に平原インディアンにとってのベア・ビュートの重要性は、はかりしれない。貧困、アルコール中毒、社会的機能障害および居留地システムという内なる植民地主義からの出口を求めて戦ってきたアメリカン・インディアンたちは、過去をけして忘れないためにそこを訪れてきたのだ。今造られようとしている娯楽複合施設がもたらすであろうけたたましい騒音や、これ見よがしな自己顕示欲、アルコールによって加速された軽薄さが、アメリカ・インディアンにとっての最後の聖域とでも呼べるベア・ビュートの神秘さを破壊してしまうことは想像に難くない。
出典:「聖なる山には特別な時間が必要なのだ

bearbutte.jpg


 敬意を払うとは、何もとってつけたようなお世辞を言ったり、形ばかりのお辞儀をすることではないでしょう。彼ら自身のやり方に任せること、そしてそれをただじっと見守ること。そうやって、すべてを委ねることが、部外者が取り得る最大限の敬意なのではないかと思います。

 そして、彼らが自分たちのやり方を続けることを可能にするために私たちができることは、"Protect Bear Butte a National Monument"に行き、自らの意志を表明することです。当初は4月4日までに世界中から50万人分の署名を集めることが目標だったようですが、まだ6000人弱で、署名継続中です。ここ数百人は、日本人の名前も多く並んでいます。

 じっと見守るとは、ただ傍観者であるということではなく、私たちが彼らの味方であり、彼らのやり方を尊重しているということを意志表示すること。直接手を延ばさずとも、しっかりと一緒に見て、守るという行動なのだと思います。遠く離れた日本からも、私たちが彼らの聖地に、文化に敬意を払っていることを示す方法があるのですから。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。
今日のエントリーはいかがでしたか? 共感していただけたら、人気blogランキングへの投票をお願いします。
banner_04.gif応援してくださる方は、Click me!
posted by あだなお。 at 23:59| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも本当にすばらしいエントリーをありがとうございます。
人類が時を越えて守ってきたものに対して敬意を表す。本当は当たり前の事だと思えるようなことが、なぜできないのか。人間ってのは本当に悲しい生き物ですね。
英語苦手ですが、さっきがんばって署名してみました。合ってたかな?
Posted by pig at 2006年05月15日 05:04
pigさん

コメントありがとうございます。そして、署名もしてくださったのですね。たとえ表現が思い通りではなくても、いいえ、むしろそれでも署名してくれた方が、気持ちは伝わるんじゃないでしょうか。

pigさんのように行動を起こして下さる方がいると、僕もこのエントリーを書いて良かったと思います。ありがとうございました。
Posted by あだなお。 at 2006年05月15日 23:28
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

聖地は守られなければならない
Excerpt: その地域をどうするかは、その地域での生活者に委ねるべき、というのが環境社会学の考え方。ネイティヴの聖地をどう扱うかも、当然、彼らに委ねるべきで、外部による力づくの強引な開発は止められなければなりません..
Weblog: 鯵、環境民俗学ヲ嗜ム
Tracked: 2006-05-16 13:30
Google
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。