原子力発電は、残念ながらまったく持続可能であるとは言えません。ざっと考えたただけでも、以下のような理由が挙げられます。
・ウランという燃料が有限であり、資源量的にもけっして潤沢ではないこと。
・高速増殖炉は技術的に完成にほど遠く、これで燃料の寿命を伸ばすのは難しいこと。
・使用済み燃料や放射能を帯びた廃棄物の安全な処理方法が確立されていないこと。
・廃炉の安全な処理方法が確立されていないこと。
・事故発生時にはきわめて広範囲で、不可逆的な大災害を起してしまう可能性が否定できないこと。
・たとえ運転は安全に行われたとしても、天災やテロにあう可能性もあること。
・定期点検や修理において、被害にあう人が出ること。
・建設時に生態系を大きく破壊し、また運転中にも生態系に大きな影響を与えること。
・発電時の廃熱や送電時のロスなど、エネルギー利用効率が決して高くないこと。
・ライフサイクル全体で考えると、とてつもなく巨額な費用がかかること。
・発電所を作る地域への負荷やリスクが非常に高く、効用とコストが社会全体で公平に負担されていないこと。
・一度作ってしまうとその影響がほぼ半永久的に残り、効用とコストが世代間でまったく不公平であること。
つまり、技術的な問題だけでなく、あまりに人にも、他の生物にも優しくなさすぎるのです。もちろん持続も不可能です。それをなぜ今さら無理やり作ろうとするのか、理解に苦しみます。
他に方法がないというのは、言い訳にはなりません。もし本当に他にまったく選択枝がないのであれば別ですが、持続可能な自然エネルギーがいくつも存在しているのですから。それにも関わらず、原子力を選択することは、肯定することは、倫理的にとても許されることではありません。僕は、そんなに負担をかけて作ったエネルギーを使いたいとは思いません。使うエネルギーを減らすこと、そして再生可能エネルギーへのシフトを、できるだけ実行しようと思います。
いま、中国電力の上関原発の開発をめぐって、大きなうねりが出来つつあります。30年続いた反対運動を無視して、中国電力が無理やり開発を強行しようということに関して、各界から大きな批判がされています。国の原子力政策のためか、産業界の意向に過剰に配慮するためか、マスメディアはこの問題をほとんど報じていません。
しかし、個人、生活者、生きもの、未来世代、そして国際社会、そうした視点で見ていると、ものすごく大きな動きが起きています。ぜひ皆さんも自分自身のアンテナを伸ばして、自分と子どもたちの未来を考えたときに、いま私たちがどのような選択をすべきなのか、考えていただければと思います。マスメディアの情報を信じているだけでは、私たちは未来と自然に対して、取り返しのつかない大変な罪を犯すことの共犯者になってしまうかもしれません。
環境問題においてよく、”NIMBY: Not in my back yard”ということが言われます。つまり、「自分の家の裏庭には嫌だよ」というわけです。しかし、原発反対は、NIMBYではないのです。それはNot on our planet、私たちの星には要らない存在だと思います。
《関連リンク》
■「今だからみんなで考えたいこと。」(いしだ壱成オフィシャルブログ)
■祝島島民の会blog
■上関からの中継(ustrema)
■映画「ミツバチの羽音と地球の回転」オフィシャルサイト
■「ミツバチは地球を動かすか?」(サステナ・ラボ)
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非常に分かりやすくて説得力のある理由ですよね。
引用させていただいていいですか?
個人的にはここに運用者である
『電力会社の隠ぺい体質が信用できないこと』
が入ります。
これまでの事故やトラブルに関する
虚偽の説明の数々、人災の多さなど
あんな危険な設備を任せるに値するとは
とても思えません。
雪○乳業の製品をいまだにボイコットするなど
僕はわりと極端な考え方をする方ですが
電力も出来れば利用拒否をしたい位です。
それは難しいことですけど。