2006年07月13日

「物乞う仏陀」

「物乞う仏陀」石井光太、文芸春秋、1571円+税

 アジアの大都市を歩いていると、物乞いの姿をよく見かけます。それもただの物乞いではなく、どこか身体に不自由なところがあったり、赤ん坊を連れた女性だったりします。

 これについて、同情を引くために親がわざと子供を不具にするのだとか、赤ん坊も借りているのだとか、おぞましい話も聞きます。たしかにあまりに障害を持った人の数が多いし、赤ん坊とそれを抱く女性がミスマッチに見えることも多くあります。

 それが単なる噂ではないことを、実際に自分の目で確かめたのがこの本です。社会調査とか、報道とか、そんな大義名分があったわけではなく、単に著者の個人的な興味を、いや好奇心と言った方が正確かもしれませんが、どんどんと深めていった私的記録です。

 著者自身もそのことは素直に認めていて、後書きにも「正義と理屈を述べるよりも個人の心情を書き綴った」とあります。それが故に、時に著者のやじ馬的な視線にぎょっとすることもあるのですが、普通であれば目を背けたくなる現実をひたすら深く追っていこうとする姿勢は、著者なりの覚悟なのかもしれません。

 著者のそうした愚直ともいえる好奇心のおかげで、私たちは普通であれば見ることのない、知ることのない、アジアの深部を一緒に探ることになります。

 かなりキツイ場面も多く、全ての方にお薦めしようとは思いません。それでも、僕は貴重な追体験ができたことに感謝しています。今すぐに自分で何かをできるわけではないのですが、それでも知っておくべきことだとは思いました。なぜなら、この本のおかげで、いくつかの大切な示唆を得たからです。

 例えば、物乞いを「仕事」としてする人々。たしかに彼らは、不運な境遇にはあるのだけれども、それでも生きるために、家族を養うために、あえて職業として「物乞い」を選んでいるのです。それが望ましい状態であるわけではないのは勿論ですが、何をしてでも自分の力で生き抜いてやるんだというたくましさには、安っぽい哀れみなどはね返してしまう強さがあります。

 そしてもう一つ、持続可能な社会のための知恵として絶対に覚えておきたいと思ったことがあります。

 障害のある子供が生まれると、豊かではない家庭は、大変な困難に直面することになります。両親のどちらかはその子供につきっきりとなり、もともと豊かでない一家はたちまち経済的苦境に陥り、疲弊して、崩壊していくのです。

 ところが、障害のある子供が生まれても、たとえ経済的に豊かではなくても、精神的には豊かに、おだやかに暮らす家族もあります。

 その違いは、何だと思いますか? それは、障害のある子供を一家だけで面倒を見なければいけないのか、それとも地域全体が支えてくれるかの違いなのです。

 家族が孤立せずに、周囲の人たちがみんなで当然のように支えてくれる地域においては、障害のある子供はその地域にむしろ幸福をもたらす存在なのです。

 日本でもかつては各地に「福子伝承」があり、そうした子供は、「福子(ふくご)」あるいは「宝子」と呼ばれて大切にされたと言います。

 しかし、最近の日本ではどうでしょうか? 福祉の充実の名の元に、そうした子供たちは地域からは切り離され、多少の公的な支援はあるにしても、本当の負担は、以前よりもずっと小さくなった、家庭の中に閉じこめられているしまっているということはないでしょうか

 この本に登場するたくさんのたくましい人々を支えているのは、実はいずれの場合も、家族であり、仲間であり、地域の人たちだということは、きわめて示唆的であると言えます。その意味で、孤立した先進国の路上生活者は、家族や地域の絆が強いアジアの物乞いよりもさらに辛い立場に置かれているのかもしれません。

 しかしこれだけは本当に悲惨だと言わざるを得ないのは、内戦も含めた戦争による障害、麻薬による障害、そして最後の章に書かれたインドのレンタルチャイルドです。こうした負の連鎖をどう断ち切っていくのか。残念ながら僕自身は有効な回答を提出できませんし、著者も何もヒントは与えようとしません。

 次にどこかの都市で「物乞う仏陀」に出会った時、少なくとも見なかったことだけにはするまい。その存在を現実だと受け止めることが、まずはなすべきことのように思いました。

今日も長文を読んでくださって、ありがとうございました。
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posted by あだなお。 at 23:59| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は発達障害を持つ子供たちを支援するNPO法人と関わっています。そうしたちょっと違った子達を受け入れる学校や地域社会の対応を聞くにつけ「余裕ないんだな〜」と、つくづく感じてしまいます。
こんなに経済的にも豊かな国なのに、ちょっと違う子、ちょっと遅れてしまう子を待ってあげる心の余裕がないんですね。

先日新手の物乞いの話を聞く機会があり、ご紹介頂いた本には大変興味があります。
ぜひ読んでみたいと思います。
Posted by atsukero at 2006年07月14日 09:13
はじめまして。以前から興味深く拝見していました。どの記事も自分の見識や視野を広げられ、勉強になります。

私は現在障害者福祉の仕事をしています。また、数年前アジア数カ国を旅していた時、数多くの物乞いと出逢いました。

障害故多くの偏見や不利益を受けている人達が、いかにこの社会で幸せに暮らすことができるかは、この社会の成熟度を現す気がします。

まず知ること、そして考えることが大切だと感じます。是非「物乞う仏陀」を読んでみたいと思います。ご紹介ありがとうございます。
Posted by masa at 2006年07月14日 19:58
>atsukeroさん

そうですね、本当に余裕がないと思います。そしてそれは単に余裕がないだけではなく、福祉や専門家に任せればいいやという無関心でもあると思います。

>masaさん

こんにちは。いつも読んでくださっているようで、ありがとうごさいます。

おっしゃるとおり、成熟度の指標になりそうですね。日本もけっして成熟しているとは言えないことには、強く同意します。

ただ、もし僕の書き方が誤解を招いたようであれば申し訳ないのですが、やはり一般的に言えば、途上国の方が、弱者により大変なようです。

ところで、masaさんのブログを拝見して、カンポンという言葉に思わず反応してしまいました(笑)マレーシアでの生活を思い出しちゃいます。
Posted by あだなお。 at 2006年07月15日 01:23
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