それが今や一般事務だけではなく、2003年からは製造や医療の分野にまで「派遣」が認められるようになりました。それでも、建設、警備、港湾運送などの危険な職場には認められていません。そうやって、労働者の安全が守られているはずなのですが...
派遣で働く労働者の労働災害事故が急増していることが、東京都内の派遣業者を対象とした東京労働局の06年の調査で明らかになった。前年に比べ5割近い増加となっている。急増の背景には、日々派遣先が変わる「日雇い派遣」が増え、仕事に不慣れなことがあると見られる。派遣労働者の労災実態が明らかになるのは初めて。出典:「派遣労働者:労災急増 「日雇い」増え仕事不慣れ」(毎日新聞、2007年5月12日)
(中略)
同局では「正社員に比べ安全教育がおろそかになりがちで、注意を呼びかけたい」と話している。
派遣労働者の労組「派遣ユニオン」の関根秀一郎書記長は「日々違う現場に派遣される日雇い派遣の増加と軌を一にするように労災の相談も急増している。解体片づけ現場でのクギの踏み抜きなどのけがは日常茶飯事で安全教育の欠落を感じていたが、数字的にも裏付けられた。派遣業者が安全衛生教育の脆弱(ぜいじゃく)さを何とかしない限り派遣労働者の被災は増え続けるだろう」と話している。
そもそも職場(派遣先)が毎日変わる!んです。注意しろって言ったって、どこに注意したらいいかもわからないうちに事故にあって不思議ではありません。大体、事故がなくても、「日雇い派遣」なんてそんな不安定な雇用があっていいのでしょうか。
出典:同上グラフを見ると、経験年数0ヶ月でケガをした派遣労働者の数は19人(4.7%)で、1ヶ月以上の場合より少なくなっています。のべ人数がわからないので単純には比較できませんが、本当は発生率で比較したら、経験日数とかなりきれいな逆相関が出てくるかもしれませんね。
と考えてからハタと気付いたのですが、そもそも「日雇い派遣」できちんと労災申請されるのでしょうか。正規雇用ですら労災申請がなかなか出来ない雰囲気のところもあるやに聞きますが、日雇い派遣となったら... 実際にはこの統計の何倍もの事故が起きていてもおかしくありません。
さらに、うがった見方をすれば、危険な労働を日雇い派遣にさせようという企業すらあるかもしれません。そもそもその日限りの「使い捨て」なのですから。
本当に恐ろしい話ですが、そうやって直接の人件費を削減し、さらに本来であれば負担すべき社会的コストも外部化しているのではないでしょうか。外部化されたコストは一体、誰が負担するのでしょうか。
短期的には、ケガをしたり、不安定な生活を強いられる派遣労働者の方々でしょう。また、そのコストを税金で負担することになれば、社会全体も負担していることになります。しかし、長期的に見れば、当の企業だって、自社内の安全衛生管理や技術継承が疎かになるのではないでしょうか。それで本当に「コスト削減」になっているんでしょうか。
少なくとも、そんな無責任な企業も、そうした制度を認める社会も、とても持続可能とは思えません。日雇い派遣は、社会も危険にしているのではないでしょうか。
どんどんおかしな社会になっていきそうで憂鬱ですが、それでもまだ方法はあります。どんな企業が、どんな雇用のし方をしているのか。それをきちんと見極めることです。正社員だけではなく、期間雇用や派遣社員など、それぞれどんな形で、どのように使っているかを見れば、逆にその企業の品格が浮かび上がってくるはずです。
《引用文献》
中野麻美(2006) 「労働ダンピング」
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あだなお様のご意見に心から同意します。
私は日本社会の底辺で生きるものとして、企業の雇用形態に関しては常々歯がゆいものを感じてました。
企業は社会的な存在でなければならないと思ってますが、私の目にする実態は、経営者一族の利益の私有化、それを阻害する優秀な社員のリストラなど本当にひどいものです。「危険な労働を日雇い派遣にさせようという」のは、あだなおさまのうがった見方ではなく、企業の裏の実態だと思います。「女工哀歌」は過去のことだと思ってましたが、90年代後半あたりから、そうとも言えない実態が浮き彫りになっているようです。
私の友人は一流企業に勤めていましたが、仕事上のストレスやセクハラなどで鬱病になり、会社をクビになりました。社則に「社員が精神病だと診断された場合は解雇してよい」という条項があったそうで、その通り実行されたのです。
彼女はその後、失意の中、自ら命をたちました。彼女の死の責任を企業だけに求めるつもりはありませんが、こんなことがありふれた実態だということが許せないのです。
日雇い雇用に関しても、事故が起こっても自己責任として処理されるのでしょうか?最近、自己責任という言葉が組織に都合良く使われているようで気になります。
優しい人や、優秀でも企業内の理屈にあわない人は駆逐される組織というのは、接続不可能な組織です。あだなおさまの活動が企業の理屈を変えていくことを心から祈ります。
雇用形態の格差についての一つの方向を探るのに、日本人の労働観から探る記事がありました。
ソフィアバンク代表の田坂広志さんの提言です。
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061227/116261/
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061227/116261/?P=3
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070416/122878/
以前に読んだ『スモール イズ ビューティフル 人間中心の経済学』E・Fシューマッハー著 講談社学術文庫、をいま一度読み直さなければいけないのではないかと思っています。
はじめまして。コメントをいただき、どうもありがとうございます。お返事が遅くなってしまって、ごめんなさい。
お友だちのお話、本当に心が痛みます。やり切れません。おっしゃるようにすべてが企業の責任ではないとしても、もっと別の対応のし方もあったであろうし、あってはならない結末です。
「こんなことがありふれた実態」である社会であってはいけない。そのみかんさの気持ちはごく普通のものだと思いますし、そのごく普通の感覚が実現される社会であって欲しいと思います。
そのためにも、私たち自身がどんな企業を応援するのか、どんな企業にNoを言うのか、常に見極めていきましょう。
>空っぽの皿さん
そうですね、今まさに働くというのはどういうことなのかが問われているのだと思います。
仕事そのものに誇りをもつことなく、ただ生活の糧を稼ぐためだけに働いていると、どんどんとシステムに取り込まれてしまいます。
ただ、これと賃金を切り下げざるを得ないという状況はまた別の問題です。この先、日本の産業をどういう構造にするのかということを、真剣に考えなければならない時期なのです。行き当たりばったりでは、大変なことになってしまいます。