最近気になっているのは、世の中が便利になればなるほど、本来自分たちが持っている力がどんどん退化させられることです。昔は、自分で食べるものは自分で作ったり、採ったりするのが当たり前だった。もちろんそれを自分で料理して、保存して... 外食はもちろん、出来合いのものを買ってくるなんて、とても稀なことだったはずです。
食べ物だけではありません。着るものだって家で作っていたし、場合によっては家だって自分たちで作っていたかもしれない。
世の中がだんだん複雑になり、洗練されたモノが出回り始めると、自分ですべてのモノを作るのは止めて、各人が得意なことをして、余ったモノをお互いに交換するようになる。たしかにその方が効率がいいし、自分だけの力より、便利なもの、美しいもの、繊細なものが手に入れられるようになるかもしれない。そこまでは、まぁいいんです。
ただそれが行き過ぎると、自分の力では何も出来なくなってしまう。お金があれば何でも買えるかもしれないけれど、お金がなければ、あるいはお金の通用しない場所では、何も出来ない人になってしまいます。
え、そんな状況はあり得ないから大丈夫? それが、案外そうでもないんですよ。例えば、森の中で道に迷ったとき、海でたった一人で泳いでいるとき、あるいは言葉の通じない国でお財布を落としてしまったとき... 十分にあり得るシチュエーションです(っていうか、いずれの状況にも限りなく近くなったことがあります、僕は(^^;))。あるいは、何か大きな災害にあったときも、そうかもしれません。
そんな時に一番頼りになるのは、自分の力で何ができるかです。自分の肉体だけで、どこまで生活することができるか。それが、もっとも基本的な生きる力ってものでしょう? そんな生きる力を、便利な生活にどんどん奪われているような気がするのです。30分歩くのが嫌で車に乗ってしまう、変なものを食べればすぐにお腹を壊す、.... あ、これって、みんな僕のこと?(^^;)
つまり、便利な世の中に浸っていると、食べ物を採ってくるどころか、自分の足で歩いたり、自分の手で運んだり、そんな力さえ退化してしまいます。なんだか、自分がどんどん無力化されていく気がしませんか? そして一番怖いのは、モノはお金を出して買うしかないという発想に染まってしまうこと。たしかに、個人の力でパソコンやケータイを作るのは無理だけれど、ホワイトバンドぐらい、自分で作ってみようという気にはならないのかなぁ(と、やっと本題に戻ってきましたね)。
ホワイトバンドのキャンペーンの原型となる運動がアフリカで始まったとき、アフリカの人たちは、包帯や白い糸、そんな身近なものを腕に巻いて、自分たちの意志を示したそうです。別にお揃いの、シリコン製のバンドじゃなくてもいいはずです。
と、こんなことを書きながらも、僕自身も便利でお気軽な現代社会にすっかりスポイルされています。自分で料理をするのも楽しいし、ホントはもっといろなモノを手作りしてみたいのになぁ。 究極の夢は、やっぱり晴耕雨読ですかね。と、今日も都会の住民は夢想するばかりです。せめて基礎体力と頭の退化だけは、なんとか防ぎたいものです。
さぁ、みんなで退化にNoを! 自分の力を取り戻しましょ。
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