2009年08月29日

ミツバチの目で見る

 新オフィスへの引越、とりあえず搬入は無事終了しました。あとは明日、本と書類の整理をすれば月曜日からフレッシュな気持ちでスタートです!

 で、今日の本題はまた別の話です。このところすっかりミツバチファンになっているのですが(笑)、今週また機会があって、銀パチ(銀座のミツバチ)を見に行きました。今度は巣箱だけでなく、ミツバチたちが採蜜している近くの屋上庭園にもお邪魔しました。

 今回訪れた屋上庭園には、そのビルに入っているレストランが使っているというたくさんの種類のハーブなども植えられていました。そして花畑にはなるほどミツバチが飛んで来てセッセと蜜を集めていますし、またコオロギなど虫の声も聞こえてきて、その一角だけを見ていると、とても銀座のビルの上とは思えません。

 銀座はそもそも皇居や浜離宮に近く、いろいろな種類の街路樹があり、そして最近ではこんな屋上緑化をしているビルも増えてきて、ミツバチたちは採蜜にはまったく困らないのです。しかも素晴らしいことに、銀座周辺ではほとんど農薬は使われていないのです! ミツバチたちの目には、銀座は案外住みやすく、居心地がいい場所に映っているのかもしれませんね。

 これはこれまで養蜂が行われてきた地方では、急性毒性は低い、しかし静かにゆっくりとミツバチを大量死に追いやっているネオニコチノイドのような農薬の使用が増えており、ミツバチたちの生活環境が急激に悪くなっているのは対照的です。

 このことを山田養蜂場は最近、「いま、世界中のミツバチが沈黙の警鐘を鳴らしています。」と題して、新聞の全面広告で訴えました。
■「8月3日は、はちみつの日。今週ははちみち週間です。」(山田養蜂場)

 「養蜂場にとっては死活問題だから真剣になるのは当然。」そう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これはとても養蜂場だけの問題ではありません。農薬に敏感なミツバチの目で見てみると、きっとそこには私たちが見ているのとはまったく別の世界が広がっていることでしょう。ミツバチをはじめ、生きものの視点で社会を見直し、住みよいものにできるかどうかが、私たちの社会を持続可能にする鍵の一つであるように思います。

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2009年08月16日

やっぱり地元の食材

 経由地の多い移動があり、ちょっと間が開いてしまいました。今日ようやく東京に戻りましたが、話題はもう少し「自然の法則」シリーズです。

 前回の「自然界にゴミはない」とも少し共通するとこがありますが、「無から有は生まれない」(法則3)ので、私たちは必要な物質を系の外から取り込むか、あるいはその系の中で循環させることになります。これが、循環型の社会の方がより安全な理由と言っていいでしょう。自給自足ができる地域(系)は、より安全なのです。

 さて、ベネチアですが、きわめて狭い地域(系)ですし、食料生産に使える土地はほとんどありませんので(というか、緑地すらほとんど見当たりません)、自給自足はまったく出来ていません。外から食料という物質を取り込まなければこの系は廻らないのです。

 これだけ小さい場所ですので、そのこと自体は止むを得ないのでしょうが、一つおもしろかったのは、魚についてはかなりの部分をごく近くで獲っているということです。周りが海だから当り前と思われるかもしれませんが、実はそれほど単純な話ではありません。

 ベネチアはベネチア湾に面した潟(ラグーナ)の上に作られており、島と言っても正確には海の上に浮かんでいるのではなく、砂州で囲まれた内海にあります。巨大な湿地帯の中にある中州と言った方がわかりやすいかもしれません。

 もちろん外海に出て漁をすることもあるのでしょうが、ベネチアらしいのは、このラグーナをうまく利用した天然の「養殖」です。養殖といっても、ふつう私たちが想像するのとはちょっと違っていて、ラグーナの一部を囲い、さらに水門を作り、そこから入ってきた魚を、サイズごとに深さの異なる「養殖池」に誘い込み、そこで魚を養育するというものです。入り口には水門がありますから、一度この池に入った魚は外に戻ることはできません。

 このように、他から卵や稚魚を持って来て放流するのではなく、そこに集まって来た魚を囲い込んでしまうのです。この養殖池のお蔭で、ベネチアでは稚魚が冬越しを出来るのだそうです。自然の地形をうまく利用した方法と言えます。いつごろからこんなやり方をしているんでしょうね?

 そんなわけで、ベネチアでは料理と言えば、肉より魚です。日本でもお馴染のイカ墨のスパゲティやリゾットも、もともとはベネチアの料理なのだそうです。ラグーナで獲れる唯一のイカがコウイカで、これを使って作るのが本式のようです。

 それ以外にも、イカやシャコ、そしてズッキーニなどの野菜も一緒にカラリと揚げたフリット・ミスト(ミックス・フライ)。微塵も気取りのない庶民的な料理ですが、やっぱり地元の食材で作ったこういう料理がおいしいんですよね。ベネチアの食事は高くてマズイともっぱらの噂ですが、それでもよーく探せば、安くておいしいお店もちゃんとありました!

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2009年08月13日

自然界にはゴミはない!?

 「自然の法則」その2(順番にあまり意味はありませんが...)は、「自然界にゴミはない」です。

 このことはいろいいろな表現のし方、バリエーションがあります。色気のない言い方をしてしまえば、「エネルギー保存則」、あるいは古典力学的には「質量保存の法則」と実質的に同じことです。「質量保存の法則」というのは、どんな化学変化が起きようと、その前後で質量の総和は変化しない、つまり物質はなくなったりしない、というアレです。化学の時間に習いましたよね?

 だったら必ずゴミが出るだろうと言われてしまいそうですが、いえ、だからこそ、自然界ではゴミが出ないのです。ゴミを出していたら、ゴミがどんどん溜まってしまい、いつかはその系はゴミで溢れてしまいます。そうならないように、自然界では「誰かのゴミは、誰かの食べ物(材料)」という循環の仕組みが出来ているのです。

 動物や植物の遺体が微生物によって分解され、有機物は再び無機物となり、それがまた植物の栄養素となる。そんな自然界の物質循環の話は皆さんお聞きになったことがあるでしょう。

 そんなわけで、自然界では「ゴミ」というものは存在し得ないのです。おそらく唯一、人間がこのルールに反し、自然の循環を壊し、自然が容易に分解し、循環させられないものを排出しています。だからそれがゴミとして蓄積したり、環境を汚染したり、様々な問題を引き起こしているのですね。

 さて、舞台はまだベネチアです。ベネチアという狭い閉鎖系で、ゴミはどうするのか? 住民に加えてこれだけ大量の観光客が訪れているわけですから、毎日大量の人間的(^^;)ゴミは発生します。島の中にそれを処理するスペースはありません。そもそも、島のあらゆる「土地」は、家か路地で埋め尽くされているのです。

 であれば当然、そのゴミは外にもち出すしかないでしょう。毎朝路地を歩くと、家々の扉の前には、ビニール袋などに積められたゴミが置かれています。小さな手押し車を押す人がそれを次々に回収し、運河沿いに秘かにあるゴミ集積所へと運びます。そして今度は、運河を巡るゴミ収集船が集積所のコンテナから、ゴミを回収して行きます。

 自然界にはゴミはありませんが、自然界が容易に分解できないゴミを出し、またその速度も尋常でない人間の社会。こうやって、自分たちでゴミをなんとか、島という閉鎖系の外に運び出して処理しているようです。

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2009年08月11日

特権階級のない社会、ある社会

 一昨日の続き(?)です。法則という名前に適しているかどうかはちょっと微妙なのですが、僕の好きな自製の「自然の法則」の一つに、「自然は公平。特権階級もオールマイティーな生物も存在しない」というのがあります。

 「特権階級」というは擬人的に表現してみただけなので脇に置いておくとして、もしかしたら意外に思われるかもしれませんが、自然の世界には、オールマイティーな生物というのは存在しません。え、そんな。強いものも、弱いものもいるじゃない、と思われるかもしれませんが、それはあくまである特定の側面についてです。

 たしかに圧倒的に力が強かったり、足が速かったり、そんな動物は存在しますが、その動物が他の動物や生物に関してすべての面で勝っているわけではないのです。たしかに肉食動物は草食動物より力が強く、攻撃力、破壊力があることが多いのですが、そのために草食動物よりも多くのエネルギーを必要とします。あるいは草を食べて消化することはできません。したがって、常に狩りをして、獲物を食べなければ、自らの命をつないでいくことはできないのです。(ですから極端な場合、もしある肉食動物が増えすぎて草食動物を喰い尽くしてしまえば、もはやその肉食動物は生き延びられなくなってしまいます。)

 あるいは植物の場合はもっとわかりやすいかもしれません。というのも、すべての植物にとって、成長のために重要な資源は、光、水、そして二酸化炭素と共通だからです。この中でも特に激しい競争の対象になるのは光で、そのため植物は光を求めて背を高くしたり、大きな葉をつけたりします。しかし当然のことですが、そのために徒に背を伸ばせば、ヒョロヒョロして倒れてしまい、結局は元も子もなくなってしまいます。ですから無限に背の高い植物は存在せず、光を受け取る能力と、それを支える構造はうまくバランスさせる必要があります。光を獲得する能力も他より高く、強度も強いという、オールマイティーな植物は存在しないのです。

 オールマイティーな生物が存在しない理由の第一は、一つひとつの生きものが利用できる資源には限りがあるからです。もし無尽蔵の資源を持ち、使うことができれば、背も高くして、葉も大きくして、しかもそれを支える茎の強度も十分に高めることは可能かもしれません。しかし現実は、使える資源は一定であり、それを茎の長さ、太さ、葉の面積にどう分配するかという問題になるのです。

 もう一つの理由として、当り前ですが、いかなる生物も物理法則、化学法則には逆らえないということが挙げられます。ですから例えば他の生物より資源に恵まれている生物がいたとしても、物理法則や化学法則を超越したオールマイティーな性質は持ち得ないのです。

 そういうことを考えながら植物の形や生き方(生活史)を観察すると、非常に楽しいものです。この植物はどんな作戦でこういう形、こういう生き方をしているのだろうか? そこから私たちの生き方、暮らしの形へのヒントが見つかることもあります。

 実は昨日から、ベネチアに来ています。中世からの形が色濃く残る街です。人間の世界は他の生きものの世界とは違って、特権階級が存在します(した)。しかしそれが続くためには、いろいろと工夫をしたようです。しかし現実には、自然の法則に逆らう存在というべき特権階級は、やはり永遠には続きません。何がこの街を栄えさせ、かなりの長期間続かせ、そしてやはり変わらざるを得なかったのか。自然の法則と照らし合わせながら、そんなことを考え、持続可能な社会のヒントを探しています。

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2009年08月09日

自然の法則

 昨年ぐらいから、「自然の法則」ということをずっと考えています。「生物の世界の法則」と言った方がより正確かもしれません。というのも、もちろん「自然の法則」にはいわゆる物理法則や化学法則も含まれますが、これらは私たちはわりと意識している、少なくともこれを無視することはできないからです。どう頑張っても、水は高いところから低いところに流れ、その逆は起きないからです。

 ところが「生物の世界の法則」には、私たちはわりと無頓着です。環境に関心が深いサスラボ読者であれば、「環境収容力」とか「環境容量」という言葉をお聞きになったことがある方もいらっしゃるかもしれません。ある空間に収容できる生物量(個体数)には限界があるということですが、これは何も地球上の今の私たちの様子を見てそんな風に「表現」しているということではなくて、実際に多くの生物種の実験個体群において観察されている経験的事実です。

 どの種についてかによって値は変化しますが、一つひとつの空間(環境)についてある環境収容力が存在するということ、あるいはそれを著しく逸脱することはできないということ。それが例えば一つの「自然の法則」であると言えます。

 しかしこの環境収容力の例からもわかるように、自然の法則には私たちの目に直接的には見えにくかったり、あるいは感じにくいものも少なくありません。限界が明確ではないものも多くあります。そうしたどちらかというと関知しにくい法則を、私たちは無視しがちなのではないかと思うのです。

 気付かぬうちに環境収容力を超え家畜を飼い、草地はおろか、土地まで荒廃させてしまう。大量の肥料や灌漑で農業生産量を向上させたかと思ったら、実際には土地が疲弊して使いものにならなくなった。そんな例は枚挙に暇ありません。それが環境を破壊し、私たちの持続可能性を低めている、あるいは持続不可能な原因になっている場合も多いのです。

 逆に、自然の法則に従えば、それを尊重すれば、そうした愚を犯すことなく、持続可能なやり方を選んだり、創ったりすることができるのではないでしょうか。そう考えて、私たちが尊重すべき「自然の法則」を集め、その示唆するところを思い、またそれをどう応用できるかを考えてみたらと思うのです。

 前置きのような話が長くなりましたが、これからときどきそんな、僕が大事にしたいと思う「自然の法則」を紹介したいと思います。

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2008年10月13日

もっと真似よう

 昨日ちょっと紹介したバイオミミクリという言葉ですが、まだあまり馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんので、ちょっと紹介しておきましょう。

 バイオとはもちろん生き物を意味するbio、そしてミミクリとは真似る、模倣するという意味のmimicry。つまりバイオミミクリ(biomimicry)とは、「生き物を真似る」ことであり、そのことによって生物のように環境に負荷をかけない新しい技術に結びつけようという考えです。
《参考リンク》
■「バイオミミクリ・プロジェクト」(JFS)
Biomimicry Institute 

 実際ちょっと周囲を見回してみただけで、生き物たちは私たちにはとても出来ないことを安々としています。例えば、植物は高価な太陽パネルなど買わなくても、生まれつき持っている葉を使って太陽のエネルギーを固定することが出来ます。

 渡り鳥はコンパスを持たなくても、ジェット燃料もなしに、毎年数千キロの距離を行ったり来たりします。

 そもそも私たちを含めてあらゆる生物は身体の中で非常に複雑な生合成を行っていますが、その際に高温や高圧は必要としません。人間がするとしたら、複雑な化学工場で、ものすごいエネルギーをかけて、大量に廃棄物を出しながらしか出来ない化学反応を、生物は酵素(これもまた生物たちで作り出したものですが)を使って安々と行っています。

 こうした生き物たちの仕組みややり方に学べば、私たちはもっと効率が良く、環境に負荷をかけず、持続可能な産業や社会を作り出すことができるかもしれません。ですから明るい明日の社会を作る方法として、このように生物に真似るやり方が、今とても注目されているのですね。

 と思っていたら、ちょうど生き物を真似た新技術が開発されたとのニュースが流れていました!


 そして、私たちが存在すら知らない生き物もまだまだたくさんいます。


 生き物のうまく学ぶ。このことが私たちの明るい将来への鍵であることは、間違いなさそうです。

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2007年08月05日

自然から学ぶ

 土曜日から一泊二日で、企業のエクゼクティブの方々と「自然から学ぶ」というテーマで勉強してきました。アメリカから来日した進化生物学者の方を講師にお招きして、生物の進化から人間社会やビジネスが何を学べるかを考えたのですが、生命が40億年かけて経験してきたことは本当にすごいなと、あらためて感心です。

 しかしそうした進化の歴史もさることながら、多くの参加者の方が「おもしろかった」とおっしゃってくださったのは、進化の結果、私たちの周りに存在する生物たちの生き方でした。早朝のわずか1時間ほどでしたが、そうした生き物たちの生活を垣間見て歩く経験が、とても強烈だったようです。

 もちろんただ自然の中を歩いただけではそうは思えなかったでしょう。ところが生き物たちの世界を私たちに「通訳」してくれる素晴らしいインタプリターの方と一緒に歩くと、ふだん何げなく見ているときには「きれいな花だな」で終わってしまう野の花たちも、その色、形、花をつける位置にまで、さまざまな意味があることが実感できるのです。

 植物が自分の花粉を運んでくれる虫や鳥にだけ都合がいいように花の形を進化させるとその裏をかく虫が現れたり、植物が葉を食べられないように毒を作るようになると今度はそれを解毒する虫が現れたり... 生き物たちの相互作用は私たちの想像力をはるかに超越しています。

 そうした視点から身の回りの自然を見直してみると、あらゆるところに驚きが満ちているのです。例えば今ごろ日本中の道端で比較的小さな五弁の黄色い花と緑色のとげとげの実をつけているキツネノボタンという草があるのですが、この真ん丸の実はよく見ると、小さな小さな実がたくさん集まってできたものであり、その先端に一つずつ刺が付いていることがわかります。そしてさらにその刺をよく見てみると、鉤のように曲がっています。なぜこんな形をしているのか、わかりますか?

《参考リンク》
キツネノボタン(岡山理科大学波田研究室)

 キツネノボタンは道端に生え、その鉤の付いた実を動物に付着させることで、実を動物に運んでもらい、住む場所を拡大しているのです。もちろんキツネノボタンは頭で考えて意図的にそうしているわけではないのですが、長い進化の過程でこのようにきわめて合目的なやり方に到達したのです。すごいですよね。ちなみにマジックテープは、こうした植物の形にヒントに発明されたそうです。

 今回は部屋の中でも哲学的に深いレベルの議論ができて有意義だったのですが、むしろ自然観察をメインにしたビジネス研修もおもしろそうです。生き物たちを見ながら歩いていると、今度はそんなものを企画しようかなという気持ちがムクムクとおきてきました。これも自然からのインスピレーションかもしれません。

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2007年04月05日

自然の循環

 昨日のエントリーで、200年住宅は自然の再生産のサイクルと歩調があうので画期的であると書きました。私たちはふつうある瞬間で切り取られたものしか見ることができないので、森とか植物というと、動かないもの、とても静かなものと思ってしまいがちです。しかし、実は100年とか200年という長い時間で見れば、ものすごくダイナミックに動いています。

 これと同様に、自然の中でのモノの動き、いわゆる物質循環も、ふつうはなかなか感じたり、見たりすることができにくいものです。しかしこれも森の更新(再生と言ってもいいのですが、専門用語では普通「更新」を使います)と同様に、自然の中ではとてもダイナミックにモノが流れ、循環しています。

 無機物から有機物を作りだすことができるのは、植物だけです。具体的には、二酸化炭素と水から、ブドウ糖と酸素が作られます。二酸化炭素も水も無機物ですが、ブドウ糖は有機物(炭水化物)ですね。このときに使われるのが太陽の光エネルギーであるため、このプロセスが光合成と呼ばれることは、皆さんよくご存じでしょう。

 つまり、植物は二酸化炭素を糖へ変え、それを自身のエネルギーにすると同時に、自分の身体を作るためにも使っています。このとき、植物によって太陽のエネルギーが生物の体内に「固定された」とも言えます。また植物は、窒素や他のミネラルという無機物も使って、タンパク質や脂肪などの有機物も作ります。

 こうして植物が二酸化炭素と水で作った身体を、草食動物が食べるのです。動物は植物の身体(有機物)を体内で燃やして(酸化させて)、活動のためのエネルギーにしたり、自分の身体を作ります。つまり、植物から動物へ物質とエネルギーが受け渡されたわけです。

 草食動物はさらに肉食動物に食べられ、このことにより物質とエネルギーは生き物の間でリレーされていきます。植物も、動物も、最後は死んでしまいます。それを分解するのが、細菌や菌類です。これらは生物の身体を構成している有機物を、無機物と水、二酸化炭素へ分解します。もちろんこの無機物は、植物がまた有機物を作るのに使うわけです。

 つまり、無機物→(植物)→有機物→(動物)→有機物→(菌類)→無機物→(植物)→... と、食物網にそって物質とエネルギーはリレーされ、循環していくのです。これが自然界の物質循環です。

 自然界では物質は循環していますから、そこにゴミは一切ありません。誰かが排出したものは、必ず誰かのエサになるのです。

 そしてこの自然の物質循環を廻しているエネルギーは、植物が光合成で取り込み固定した太陽エネルギーだけです。これが唯一のエネルギー源なのです。でもそれは、実は世界で消費されている化石エネルギーの10倍に相当する莫大な量なのです。

 どうです、自然ってすごくないですか? 人間の眼に見えにくいかもしれないけれど、莫大な量の二酸化炭素と太陽エネルギーが植物によって固定され、それがいろいろな生き物の身体を通して受け渡され、巨大なループを描いて循環しているのです。自然のサイクルにあわせるということは、この流れにあわせようということです。

 こういうことを考えると、住宅だけではなく、あらゆるものをなるべく自然の循環やそのリズムにあわせた方がいいのではないかと感じます。おそらくそれがこの地球の上では一番合理的で、長続きするやり方であろうと思えるからです。いかに自然から学ぶか。そのことに持続可能性の鍵が隠されていそうな気がします。

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2006年10月11日

ダイビングの効用

 昨日に続き、渡嘉敷の海のことを紹介したいと思います。渡嘉敷の海はサンゴ礁よりは、むしろ真っ白な砂のなだらかな水底が広がるところが多く、明るい太陽が差し込む真っ白な砂地が続く海中の光景は別の美しさを持っていました。サンゴ礁の海が色とりどりでカラフルなのに比べると、白い砂地の続く水底は、ブルーと白のグラデーションだけで構成され、とても穏やかな光景です。そんなゆったりとした海の中をゆっくりと進んで行くと、もうそれだけで全身から余計な力が抜け、身も心もリラックスしていくのがわかります。
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サンゴ礁の向こうに広がる白い水底

 昨日も書いたように、残念ながらサンゴ礁は既にかなり衰退しているようでした。しかし、息を飲むような大サンゴ礁こそありませんでしたが、テーブルサンゴが連なるところや、エダサンゴが発達した場所、あるいはソフトコーラルの林なども見ることができました。サンゴのあるところは魚の種数も多く、美しいだけでなく、次々に目の前を横切る魚を目で追うだけでも飽きることがありません。
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イソギンチャクと共生するクマノミ

 別の場所では、海底に刻まれたV字谷や海中に切り立った断崖があったり、大きな岩が複雑に重なりあって洞窟のような地形になっているところもありました。陸上であればそんな急峻な地形の場所を登ったり降りたりするのは大変ですが、海の中では簡単に潜ったり、浮上したりしながら動き回ることができます。水という媒体にすっぽり囲まれ、身体が水中に浮いているが故にできることです。
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水中の洞窟は神秘的な世界

 海の上からは一見どこも同じようなのですが、実際に水中に潜ってみると、そこにはさまざまな地形と光景が広がっています。今度潜るポイントではどんな水中の景色が見られるんだろう? 陸からはうかがい知れない多様な水中の風景のが楽しめるのも、ダイビングの楽しさの一つです。

 もちろん一番おもしろいのは、多種多様な生き物が見られることです。魚やサンゴだけでなく、エビやカニ、ヒトデや貝、ウミウシなど、あらゆる色彩と形の生き物が次から次への現れ、まさに生き物の世界の多様性を実感させてくれます。生物多様性とは何かを体感したければ、ダイビングをするのが一番かもしれません。そして、実際にこれだけの多様性が存在していることを見ると、生き物の世界とその進化の歴史にただただ畏敬の念を感じるしかありません。
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モンガラカワハギ:こんなデザイン信じられますか?

 海の中でもう一つ痛感させられるのは、水中で人間がいかに無力であるかということです。なにしろ魚たちは水中をいとも自由に、しかも敏捷に泳ぎ回るのに比べ、人間はまるでスローモーションのようにゆっくりとしか動くことができません。しかも、大きなボンベを背負いながら、そのボンベの空気がもつ間だけしか水中には留まることができないのです。それに比べて、魚たちのなんと自由で軽やかなことでしょう。人間がとても逆らえないような流れの中でも、彼らは自由自在に動き回れるのです。そんな魚たちの様子を見ていると、自分たちがとてつもなく不器用に思えてきます。

 もっとも、アクアラングという道具を発明したおかげで、きわめて短時間ではあるのですが、本来は生活することができない水中で過ごすことが簡単にできるようになったことは、人間の素晴らしさと言うべきなのかもしれません。透明度の高い海で、水中の地形にあわせて潜ったり、浮上したりしていると、一瞬、自分が鳥になって青空を飛んでいるような錯覚に捕らわれることすらあります。本来の生得的な能力を超えたそんな経験を楽しむことができるのは、人間だけの特権でしょう。この点では、たしかに人間の能力も素晴らしいと言えます。

 このようにダイビングをすると、ふだんは体験できない様々な経験をすることが出来て楽しいのですが、それ以外にも、もう一つ僕がダイビングの効用だと感じていることがあります。

 それは一言で言えば、海の怖さ、厳しさを肌身で感じることです。陸上では穏やかな天気に見えたのに、海上に出てみれば波やうねりがきつかったり、表面は静かななのに潜ってみると流れがあったりと、海の様子は驚くほど変化しやすいものです。そして、その変化に対して人間はあまりに無力です。ほんのちょっとした流れであっても、それに逆らって泳ぐことは困難ですし、ましてや少しでも荒れ始めたら、大急ぎで退散するしかありません。魚たちはずっとその中で耐え忍ぶのにです。

 このように、他の生き物の優れた能力に感嘆し、自分たちの非力さを痛感する。そんな経験をできるのも、案外ダイビングの重要な効用ではないかと思っています。様々な技術のおかげで自らの身体能力をはるかに超えた能力を身につけた私たちは、しばしば自分たちの力を過信しがちです。しかし、海というふだんとは異なる生活圏に一時的に身を置くとき、私たちは自分たちの非力さやあっけないほどの限界を痛感させられ、自然の力に対して謙虚にならざるを得ないからです。

 考えてみれば、生物の多様性も人間の想像力と創造力をはるかに超えたものです。そのことに加え、生き物としての人間の力だって大したことはないのです。その限界を再認識させてくれること、自分自身の存在の小ささや危うさを感じさせてくれること。ちょっと大げさに言えば、自らの存在感をリセットしてくれることが、僕にとってはダイビングの魅力の一つになっている気もします。

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2006年09月21日

遺伝子が染る!

 一昨日、遺伝子組換え作物(GMO)について書いたところ(「遺伝子組み換えにNoを言う方法」)、遺伝子組換え大豆を食べると食べた人間の遺伝子も組み変わるのかというご質問をいただきました。

 もちろん、普通はそんなことはありません。牛肉を食べたからと言って、牛の遺伝子が私たちの遺伝子に組み込まれないのと同じです。GMOを食べたからと言って、その外来遺伝子(トランスジェニック遺伝子)が、私たちの遺伝子に移ることはありません。そうした遺伝子は、私たちの体内ですべて分解(消化)されてしまうからです。

 と断言したいところですが、実は100%そうとは言い切れない実験結果が報告されています。生物学の常識に反するような衝撃的な事実です。2004年にNature Biotechnologyという学術誌に掲載された英国のニューキャッスル大学の研究者たちの論文によれば、遺伝子組換え大豆の外来遺伝子は、結腸を通過するまでには完全に分解されたものの、小腸までは達しているというのです!

 小腸にはたくさんの細菌が存在しますが、こうした細菌や、小腸の上皮細胞によってGMOの持つ外来遺伝子は取り込まれるかもしれないのです。もしGMOが持つ抗生物質耐性遺伝子が小腸の細菌に導入されてしまうと、予期しなかった副作用が起きる可能性があります。

出典:バイオ21 No.188
原典:Trudy Netherwood et al., Assessing the survival of transgenic plant DNA in the human gastrointestinal tract,
Nature Biotechnology, 2004, Vol. 22 No.2 pp204-9.


 とは言うものの、おそらく一般的にはGMOの遺伝子が、それを食べた人間や、その腸内の細菌に組み込まれることは非常に起きにくいとは思います。しかし可能性がまったくゼロでないことは、やっぱりちょっと恐ろしいです。自然界は、何が起きるかわかりません。

 さらに根源的な質問として、GMOは何が問題なのかについては長くなりますので、また明日書くことにしますね。


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2006年09月13日

サツマイモが都市を救う?

 食料難になったら、大都市でもサツマイモを植えて育てよう。そうすれば何とか食いつなげる!という話ではありません(笑) (しかし、実際、食料難の際にはサツマイモでカロリーを摂取できると農水省は考えているようです(^^;))

 ヒートアイランド現象という言葉をお聞きになったことがある方も多いと思います。人間活動が中心する都市部では、排熱が多く、アスファルトやコンクリートが熱を貯めるため、郊外よりも2〜3度ぐらい気温が高くなるという現象です。都心部ではすごく暑かったのに、郊外で電車を降りたら涼しかったということは、誰しも経験されたことがあるのでないでしょうか。

 ヒートアイランドを軽減する方法として、屋上緑化が用いられることがあります。東京都の場合には、1000平方m以上の民間施設と250平方m以上の公共施設の場合、新築や改築の際には屋上緑化することを義務づけているほどです。

 しかし、屋上緑化にも盲点があります。屋上緑化するためには、通常はまず屋上に土を入れ、そこに植物を植えることになります。大きな木を植えようと思えば、土を深く入れる必要がありますし、植物自体、あるいは水やりした水で、屋上にはかなりの荷重がかかることになります。

 普通のビルは屋上にそんな荷重がかかることは設計に入っていませんし、もしそのような設計で作ればコストも余計にかかります。そこで、なるべく軽い植物、つまり根を張らず、浅い土で済み、水やりも少なくて済むようなものが選ばれるのです。

 でも、これってちょっと変じゃありませんか? 屋上緑化が屋上の温度を下げる効果があるのは、植えた植物が蒸散するときに気化熱を奪うことや、土がコンクリートの屋上に熱を伝えにくいためです。ですからあまり水分を必要としない、つまり蒸散をしない植物を植えたり、浅い土しか入れないのでは、期待されるような温度を下げる効果は得られません。むしろ、水やりがたくさん必要な植物ほど、温度を下げる効果は大きいはずなのです。

 屋上緑化に使われている乾燥や高温に強い植物で実際に測定してみると、中にはほとんど温度が下がっていない、つまりヒートアイランド防止には役に立っていない屋上緑化もあるようです。

 そんな中、ちょっとユニークな屋上緑化を試みた会社があります。NTT都市開発などが、ビルの屋上で水耕栽培システムでサツマイモを育てるシステムを開発して実験したところ、これまで使用されていた芝生による屋上緑化に比べ、蒸散量で1.5倍の効果があったそうです。

 屋上の表面温度も、緑化されていないところが最高55度に達したのに対し、サツマイモで緑化したところでは最高30度と十分な温度抑制効果があったようです。

 水耕栽培なので土による断熱は期待できませんが、サツマイモは高さが40〜50cmになり、葉が互いに重なりあうことから、遮熱効果があるといいます。そして、土を使わない水耕栽培なので、施行も、管理も簡単というメリットがあるということです。

 報告書に掲載の写真によればこんな景観になるのだそうです。僕は、荒れ地に蔓延るクズを思い出しちゃいました。見た目はなんだかちょっとどうかなという感じもしますが(^^;)、ヒートアイランド防止に役立つという意味では良さそうですね。
sweetpotato.jpg
出典:「屋上サツマイモ栽培によるヒートアイランド対策効果の実証実験」

 もちろん秋にはサツマイモも収穫出来ます。今回の実験でも、11月に実際に収穫するのだそうです。収穫の楽しみがあるというのも、いいかもしれませんね。それを焼き芋にしておやつにすれば、従業員への福利厚生にも役立つのかもしれません(笑) 形だけの屋上緑化ではなく、ちゃんと「実」のある屋上緑化ですね。

 《関連リンク》
ニュースリリース(NTT都市開発)
■屋上サツマイモ栽培によるヒートアイランド対策効果の実証実験(NTT都市開発)
http://www.nttud.co.jp/NewsRelease/85/ ←PDFです

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2006年08月03日

進化する動物園

 昨日「オランウータンの憂鬱」でご紹介した旭山動物園は、日本でもっとも元気な動物園ということで、メディアでも大きく紹介されています。閉園寸前だった典型的な地方の動物園が、動物たちの活き活きとしたしぐさや動きを楽しめる「行動展示」という手法で復活し、今では全国からお客さんが集まるようになったのです。
《関連リンク》
旭山動物園ホームページ(公式ページ)
旭川市旭山動物園(Wikipedia)

 オランウータンの他にも、シロクマがエサを採る様子を水中から観察できたり、猿山などもサルの知的好奇心を刺激するように工夫がしてあります。こうした行動展示は、形態展示が主流であったこれまでの日本の動物園に比べて、圧倒的に楽しいと思います。動物たちの住み処も、コンクリートと鉄がむき出しの檻ではなく、表面にはなるべく自然の素材を使い、動物にも見る人にも違和感を減らす努力をしています。Polarbear.jpg

 しかし、です。昨日書いたオランウータンもそうですし、動物たちを見ている間にこちらの方が憂鬱になって来ました。トラやヒョウなどの大型獣は、落ち着きなく獣舎の中をうろつき回っていますし、巨大に成長したワニは、自分の長さと同じぐらいの狭いスペースに閉じこめられています。旭川の夏はかなり暑いようですが、熱帯生まれの動物たちにとっては、冬はとても厳しいものに違いありません。

 シロクマもそうでした。エサの魚を投げられると、シロクマはプールの中を泳いで捕食します。なるほどシロクマってこんな風にうまく泳ぐのだなとわかりますし、なんといっても可愛らしいのです。しかし、そんな中に一頭、旭山動物園に連れてこられてから、まだ一度しか(*)プールに入ったことがない個体がいるそうです。説明の表示では、その個体を「頑固者」と呼んでいましたが、これは明らかにストレス、いや、精神を病んでいるのではないでしょうか。
(*:記憶が曖昧です。もしかしたら0回、あるいは2回だったかもしれません。いずれにしろ、おそろしく少数です。)

 「見せ物」から始まった動物園も、メディアが発達するにつれ、珍獣奇獣を見せて楽しませるという役割からは卒業し、教育機関として、あるいは絶滅の危機に瀕している種を人工環境下で一時避難的に保全するための機関に役割を移行しつつあります。もちろん従来の日本の多くの動物園と比べれば、旭山動物園は教育面でも頑張っているとは思うのですが、世界の先進的動物園と比べると、まだちょっと遅れているようにも感じました。

 と言いながら、そんなにいろいろな動物園を訪れた経験はないのですが(^^;)、動物園の役割や最近の流れについては、川端裕人さんの「動物園にできること」を読むとよくわかります。僕は何年か前に1999年に出た単行本で読みましたが、今年になって文庫版が出版され、こちらには2000年以降の日本の最新情報も追加されているそうです。

 これまでに実際に訪れた中で非常に印象的だったのは、純粋な意味での動物園ではないのですが、フロリダのディズニーワールドにあるアニマル・キングダムです。ディズニー流の動物園といった感じのテーマパークで、世界のいくつかの地域を巡りながら、その地方の風景の中で動物たちを見ることができます。
Disney's Animal Kingdom Them Park(公式サイト 英語)
ディズニー・アニマルキングダム(日本語公式サイト)

 例えばアフリカのサバンナなどは、限られたスペースを上手に使って、サバンナの雰囲気をとてもよく表現していました。そのエリアに立てられていたお土産屋さんやレストランも本当によく作り込まれていて、かつて訪れたケニアの記憶が甦って来たほどでした。

 そして、もっとも印象的だったのは、バックヤードツアーでした。動物園の裏側、つまり飼育係の人たちが仕事をしている様子を見学できるコースがあるのですが、動物の生態について、あるいは動物を世話するこの難しさについて、とても教育的に出来ているのです。もし子どもの頃に訪れていたら、きっと将来は獣医さんになりたいと思ったはずです。

 そこで一番驚いたのは、このアニマル・キングダムに「勤務」する大型獣には、十分な休日があることです。日本の多くの動物園のように、週に一日月曜日だけが息抜きできる日ではないのです。たとえばサイなどは、たしか週休4日制ぐらい。お客さんの前に出ている時間よりも、バックヤードで休んでいる時間の方が長いのです。もちろん休んでいる間には、「同僚」がお客様の相手をします(笑)。動物たちの視点から出て来る発想です。

 ディズニーワールドというと、ひどく人工的な、あるいは金もうけだけを考えているかのような印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際にアニマル・キングダムを見て僕が感じたのは、「動物園って、ここまで楽しくできるんだ」ということでした。訪れた人たちは、動物たちの世界を楽しみながらも、野生生物を保護することの大切さ、大変さをしっかり学んで帰るのです。正直、「やられた」と思いました。

 旭山動物園の話に戻りますと、もちろん評価すべきこともあります。特に、閉鎖寸前の地方の動物を、ここまで元気にしたのは素晴らしいことです。日本で一番元気な動物園という言葉にウソはないですし、ディズニーとは対極にある、素人の手作り感もいいと思います。

 しかし、マスコミからももてはやされ、有名になり過ぎたがゆえのキャパシティーオーバーは、マイナスの方向に働いていると思います。そもそも、こんなにたくさんのお客さんが来ることを想定して、作られている施設ではないのです。

 そして、ここの最大の悲劇は、過去の遺産とも言うべき珍獣大集合状態でしょう。旭山動物園に行けば寒冷地の動物をまとめて見ることができる。しかもその行動を理解することができるとなれば、これは意味のあることです。しかし、メディアの発達した今、北海道でオランウータンやライオンを見る必要はないでしょう。そういう動物は、その飼育にもっと適した環境の他の動物園に任せておけばいいのです。北国の動物だけに集中すれば、一種類あたりのスペースは増え、より自然な行動を観察することができ、なんと言っても、動物たちにとってもハッピーなはずです。そして、旭山動物園の位置づけも、より明確になります。

 幸い新しい動物舎も増えて、行動展示はますます広がっていくようです。あと何年もすれば、この過熱した人気も落ち着くでしょう。今いる珍獣たちが寿命を迎えるころには、世界中の珍獣を集めた見せ物小屋ではなく、この地域にしかできない、地域性を生かした展示に再編成するという選択もできるはずです。

 正直言えば、僕は、今の旭山動物園はわざわざ東京から見に行く価値があるとまでは思いません。しかし、もし旭川に用事があれば、ついでに立ち寄る価値はあるでしょう。そして、行くなら断然冬なのではないでしょうか。北国の動物たちが活き活きとしてる冬こそ、旭山動物園は似つかわしいように思います。

 そして何より、ここにはまだまだ可能性があります。おそらく動物園としても、まだ完成形であるとは考えていないのではないでしょうか。進化途上の旭山動物園に、エールを送りたいと思います。

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2006年08月02日

オランウータンの憂鬱

 オランウータンは、マレー語で「森(hutan)の人(orang)」という意味です。ボルネオとスマトラの熱帯林に住むアジア産の類人猿です。僕はボルネオの森やリハビリ施設で、何度か出会ったことがあります。身体は大きいけれど、とても静かで、穏やかなサルです。

 しばらく前に北海道を訪れた際、週末に旭川まで足を延ばし、人気沸騰中の旭山動物園を訪れて見ました。土曜日ということで、お客さんも一杯でした。

 ここにはボルネオから連れてこられたオランウータンが飼われており、人気者になっています。特に一日三回のオヤツタイムには、エサを取りに行くために地上十数メートルにあるかけ橋をオランウータンが雲梯を伝わるように渡ることから、大人気です。

 その時間に合わせてオランウータン舎に行って見ると、そこを取り囲むように黒山の人だかりができていました。飼育係のお兄さんが、「これは芸や餌付けショーではないので、エサを食べに行ってくれるかどうかは、オランウータンの気分次第です。野生のオランウータンはもっと高い樹の上を悠々と渡り歩き、このぐらいの高さはなんてことはありません。」などと説明をします。そして、「ここしばらく、エサを置いてもすぐには食べに行かないことが増えているので...」と気になる一言。

 そして実際、この日最初のオヤツタイムには、オランウータンは金属性の巨木に上ろうともしませんでした。どうもご機嫌斜めのようです。しかたがないことだとはいいながらも、飼育係のお兄さんもバツが悪そうでした。

 こちらも腹ごしらえを済ませてから、今度はお昼過ぎの本日二度目のオヤツタイムに再挑戦です。しかし、このときにもオランウータンは、まったく動こうとはしませんでした。しかし、一回目と二回目のオヤツタイムの間、人が少なくなった頃を見計らって、彼はオヤツを食べたようです。それではと、今日最後のオヤツタイムまでの間、こちらもずっと粘ってみることにしました。

 それから一時間半ぐらいたったでしょうか。三回目のオヤツタイムの30分くらい前、まだ人があまり集まっていない頃を見計らって、ついに彼は動き始めました。スルスルと柱(樹)を登ると、橋を上手に渡り、その先にあるもう一つの柱を降りてオヤツを食べ、そしてまたもとの居場所に戻りました。
orangutan.jpg
この無表情な顔つきは憂鬱なせいなのか、それとも地か?

 ここでちょっとびっくりしたのは、それを見るギャラリーの様子です。オランウータンが柱を登り、橋を渡ろうとし始めると、みんな大喜びです。大きな声を出したり、手を叩いたり、盛んに囃し立てるのです。気持ちはわからないでもないのですが、オランウータンにしてみたらどうでしょう? 本来であれば森の奥、樹上でひっそりと暮らし、人の姿や気配を認めたら、すっと隠れてしまうような臆病者です。いくら好物のエサを置かれても、そうそう近づく気になれない気持ちは容易に想像がつきます。さぞかし憂鬱なことでしょう。

 このところなかなかオヤツタイムには動いてくれなくなったと飼育係のお兄さんは嘆いていましたが、むしろそれがオランウータンにとっては自然な行動であり、囚われの身ながら、せめてもの抵抗をしているようにも思えました。

 もちろん、動物園がオランウータンの習性を利用して、オランウータンという動物のなるべく自然に近い生態をお客さんに見せたいという気持ちも理解できます。しかし、多くのお客さんにとっては、サーカスで芸をする動物も、動物園で見るエサを採る動物も、さして違いはないのかもしれません。このギャップはかなり大きいように思えました。その谷間にいて、僕はなんとも言えない違和感を感じてしまいました。

 それでは動物園は、どうしたらいいのでしょうか。少し長くなって来たので、この続きはまた明日書きたいと思います。


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2006年01月26日

熱帯の木はなぜ背が高い?

 写真の木は、東南アジアの熱帯林を代表するフタバガキ科(Dipterocarpaceae)の仲間です。フタバガキ科は非常に大きなグループで、約470種が知られていますが、これはその中でも代表的なDiptercarpus属の木で、マレーシアではクルインと呼ばれています。一口でクルインと言っても、実は約75種の総称です。
kuruing.jpg

 すらっと背が高いのが熱帯の高木の特徴で、幹の途中にはほとんど枝はなく、一番上の部分にだけ枝と葉があります。実に美しい、熱帯ならではの景観です。僕は自分の名前のせいか、特にこういう真っ直ぐな樹には愛着を感じてしまいます(笑)

 樹の上の葉を茂らせた部分は樹冠(canopy)と呼ばれ、葉で光合成をしたり、花を咲かせたり、実を付けたり、植物にとっても、それを利用する動物にとっても、もっとも重要な活動の舞台となっています。熱帯の生物の実に多くが、この部分に集まります。間違っても、「枝葉末節」などとは言えません。

 それではこうした熱帯の木は、なぜこんなに背が高く、またその上部にしか枝葉を持たないのでしょうか?

 植物にとってもっとも重要な資源は、光、水、栄養です。二酸化炭素と水から、光のエネルギーで糖を作り、副産物として酸素を発生します。二酸化炭素は大気から、水や栄養は根を通じて土壌から取り入れることができますので、一番問題になるのは光です。光をどう確保するかが植物にとってもっとも重要な課題なのです。

 当然、植物は光をめぐって競争します。より多くの光を得るためには、周りの植物よりも背を高くすることが有利です。周囲の植物より背が低く、その影になってしまっては、充分な光を獲得することはできません。いくら水や栄養は充足していても、光によって成長が制限されてしまいます。

 光をめぐる熾烈な競争が、熱帯樹の背を高くし、枝葉も樹冠に集中させたのです。マレーシアでは比較的背が高い高木層で30〜40mぐらい、それよりさらに頭一つ飛び出ている突出木と呼ばれるものは60mぐらいにもなるのです。冒頭の写真のクルインも、おそらく50mぐらいはあったと思います。

 ちょっと待った! それだったら、日本の木だってみんなもっと背が高くなってもいいし、葉も上部にだけ集中してもいいのでは? そんな質問が出てきそうですね。

 背を高くするためには、幹を作る資源が必要です。一年中葉をつけて盛んに光合成をすることができる熱帯では、幹もどんどん作ることができます。しかし、温帯ではどうでしょうか。冬の間は葉を落として光合成をまったくしなかったり、たとえ常緑樹であっても、気温が低く、乾燥していると、成長量は落ちてしまいます。熱帯ほどは成長量が高くない温帯では、背をあまり高くするとコストがかかり過ぎてしまうようです。

 もう一つの理由は、気候です。もし日本で高さが60mもあるまっすぐな木があったらどうなるでしょうか? 台風が来たら、おそらくいっぺんで折れてしまうのではないでしょうか。あるいは雪の重みに耐えられないかもしれません。

 一方、赤道近くの熱帯は一年を通じて非常に気候が穏やかで、風速が10mを超えるような強い風はまず吹きません。台風やハリケーンなどが発生するのは、もう少し緯度が高い地域で、赤道近くには暴風は存在しないのです。もちろん雪も積もりません。だとすれば、幹が細長くても、自重さえ支えることができれば問題はないというわけです。熱帯は、温帯ほど幹折れのリスクがないと言えます。実際、同じ熱帯でも強い風が吹く地域では、木の高さは低く、幹も太くなることが知られています。

 こうした植物の形は、その形を取ることよって得られる利益(ベネフィット)と、リスクも含めた費用(コスト)の兼ね合いで決まっているようです。つまり、植物たちは、自分たちの持つ資源をどう活用すれば、安全確実に、より効率よく生産(光合成)できるかを知っているのです。もちろん植物が自分で考えているわけではありませんが、より効率の良い形質が、長い長い時間の間に選択されて生き残って来たのです。これが生物の進化の過程です。いまこうした生物が存在するのは単なる偶然ではありません。必然とは言わなくても、地球45億年の歴史の結果なのです。

 ビジネスの世界では、最小のコストで、最大のベネフィットを上げようと、人間が知恵を絞り、日々様々な工夫をしています。自然界では、同様の最適化が進化という過程の中で行われています。それはとても長い時間という試練を経ているため、非常に合理的です。しかし一方、自然がこれまでに経験のしたことのないような、急激な人為的な変化には、対応しれきないことは忘れてはいけません。


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2006年01月22日

大木晩成

 テツボクという木を知っていますか? 漢字で書くと、鉄木、英語ではironwoodと言います。たぶん英名の方が先にあって、これを日本語に訳したのでしょうね。

 普通、木は水に浮かびますが、世の中には非常に重い木があって、水に入れると沈んでしまいます。それで、鉄のように重い(密度が高い)木ということで、テツボクという名前が付けられました。

ironwood.jpg
 テツボクにもいろいろな種類がありますが、写真のものはセイロンテツボク(学名Mesua ferrea、英名Indian ironwood)という種で、世界で最も堅い木として知られています。先日、ランカウイで撮った写真です。

 そう、木が重いということは、堅いということでもあるのです。したがって、テツボクは建築材として人気があります。鉄道の枕木や、船着き場など、特に耐久性が求められる場所にはぴったりです。

 しかし、堅い、重いということは、材が密に詰まっているということ。ですから、成長はゆっくりなのです。熱帯材の中でも、テツボクをはじめとするhardwoodは丈夫なために人気がありますが、こうした木は育つのが遅いため、人間が切ってしまうとすぐになくなってしまいます。しかし、こうした木ほど、人間は欲しがるのです。

 一方、softwoodと呼ばれる材の柔らかい木は、密度が軽く、成長は速いのが特徴です。緑化のための植林などにはよく使われます。しかし、材が柔らかければ建築用には適しませんし、すぐに虫に食われたり、あるいは曲がったりしてしまいます。ですから、用途はパルプなどに限られます。世の中なかなかうまくいかないものです。

 成長がゆっくりなこのテツボク、それでは大きくなるのにどのぐらいの時間がかかるのでしょうか? たとえばこの写真のセイロンテツボクは、樹齢何年ぐらいでしょうか? 

 残念ながらそれを正確に知ることはできません。というのも、熱帯の木には年輪がないからです。日本では冬の間に木の成長がほとんど停止するため、その時期に出来た細胞の大きさが小さくなって濃く見えます。これが年輪です。しかし、一年中ほぼ同じように成長を続ける熱帯の木には、年輪がないのです。

 ですから、熱帯の木の樹齢を正確に知ることはできません。直径からおおよその樹齢を推定することがせいぜいです。

 熱帯の木は成長が早いのは確かなのですが、大きさも温帯より大きくなります。熱帯でも高木が成熟するまでには、100年以上の長い期間が必要なのです。ましてやテツボクのような成長の遅い木が40〜50mの高さに成長して成熟するまでには、数百年の時間が必要です。

 熱帯林を持続可能な形で利用するためには、温帯以上に息の長い計画の元、丁寧に育て、大切に活用する必要がありそうです。


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2006年01月20日

Tsunamiの影響

 昨日まで、マレーシアのランカウイ島に出かけてきました。この島はマラッカ海峡のタイとマレーシアの国境に位置しています。ですから、一作年のインド洋地震のときには、当然この島にも津波が押し寄せました。

 けれど、このランカウイ島では、亡くなったのは一人だけ、被害もきわめて限定的でした。少し北に位置するプーケットが大変な被害を受けたとの比べると対照的です。

 なぜあまり被害を受けることがなかったのか土地の人に聞いてみると、一つには地理的な位置関係がプーケットとは異なり、津波があまり直接には押し寄せてこない位置にあったということもあるようです。

 しかし、島の皆さんが口を揃えていうのは、ランカウイにはマングローブが残っていたからだというのです。ランカウイはまだそれほど開発されていない島なので、山間部には熱帯林が、海岸部にはマングローブ林がかなりよく残されています。そのマングローブが自然の防波堤となって、島を守ったというのです。
Langkawi.jpg
マングローブに守られている島

 一方、被害の大きかったタイでは、エビの養殖池などを作るために、既に多くのマングローブ林が切り開かれています。人間による開発行為が、結局は人間の首を締めてしまったわけです。

 また、どこまで本当なのかはわかりませんが、その時の新聞報道によれば、津波で溺れたのは人間だけで、他の動物は事前に危険を察してみんな山へ逃げて無事だったのだとか。ゾウに至っては、飼い主を背中に乗せて山に逃げたという美談までありました。

 いずれも、人間がいかに自然に無頓着、無関心になっているかということを示しているように感じました。

 ランカウイの場合には、良好な自然環境が観光資源になっているという面もあるのですが、それでもやはり開発の波は強くなる一方です。自然の持つ「あそび」の意味をよく考え、尊重することが、自然と共存するために大切なのではないかと思いました。

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posted by あだなお。 at 23:32| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 生物に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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