琵琶湖の西岸、いわゆる湖西には、比較的昔ながらの風景と生活様式が残っています。滋賀の写真家、今森光彦さんの写真や映像ですっかり有名になった針江では、今なお川端(かばた)と呼ばれる井戸が残っていて、料理や飲料の水に使われています。12度前後で一年中ほとんど変わらない水温のお蔭で、夏涼しく、冬暖かいのです。
家屋がなくなった後に残された川端
冷蔵庫のない台所など今はもう信じられませんが、しかしほんの50年前まではまだそんな暮らしがあったのです。その時代、この川端からの水や、川端の周りの空間はいかに貴重なものであったことでしょう。今の私たちからするとちょっと不便に思えるかもしれませんが、ほんの少し前まではそれが当り前だったのです。そして、今の60代、70代の方々は、そんな生活もしっかり体験していたのです。古い街並みを歩いていると、僕だって、「あぁそう言えば、子どもの頃にこんな景色があったよな」と思うときがあります。ものすごく古めかしいように見えて、でも実はたかだか40〜50年前まではそんなだったのです。
その近くの沖田という地区では、村のお年寄りが書いた昔の光景を屏風に仕立てたものを見せていただき、それを見ながら、昔の話をお聞きしました。洪水で苦労した話や、土葬だった葬儀、子どもたちの遊びや、村の若者の出征の壮行。そう、そこに描かれているのはちょうど戦争の前後、今から60年ぐらい前、お話をしてくださったお年寄りたちが子どもの頃のことなのです。今の生活とはあまりに違うので、遠い、遠い、昔のことのように思ってしまいますが、実はわずか60年前のこと。その暮らしも今の暮らしも、その両方とも一人の人間が体験したことなのです。
そしてその翌日は、沖島という琵琶湖に浮かぶ小さな島を訪れました。日本で唯一、人が住む、淡水に浮かぶ島です。島が近づいて来ると、思わず皆から歓声が上がりました。ちょうど桜の花も散る間際で、いろいろな深さの緑の間に桜の花が見え隠れする静かな島は、信じられないぐらいにのどかに美しいたたずまいなのです。誰もが、「こんなところが残っているなんて」とか、「桃源郷のようだ」と思わずもらしたくなる。そんなうっとりするぐらいに美しい島でした。
ここでは70過ぎの漁師の方に、昔の話を少しうかがいました。今のような立派なエンジンもなければ、そもそも戦時中で油もなく、手漕ぎで漁に出たこと。暖房もなく、かじかむ手足を、七輪で沸かしたお湯で暖めこと。そんなやり方は今では信じられませんが、やはり60年ほど前には、実際にここでそういう暮らしがあったのです。
いずれの生活も、今よりはるかに不便で、そして厳しいものだったでしょう。苦労も多い生活だったと思います。ただ同時に、その頃の生活は、今では信じられないぐらいに自然と近しいものであったことも確かです。生きものと一緒に、自然の中で暮らしていたのです。
それが今のように自然から切り離されてしまったのは、その変化はわずかこの60年ほどの間に起きたことなのです。これはもちろん滋賀だけでなく、日本全体、いや世界の多くの国々がそうでしょう。そう考えると、わずか一人の人間の一生の間に、とんでもない大きな変化が起きたことがわかります。地球の歴史上、こんな短時間に、こんな大きな変化が起きたことはなかったのではないでしょうか。
その変化の大きさに驚くと同時に、今の私たちの生活はちっとも当り前ではないのだということに改めて気がつかされました。私たちが当り前と思っている今の便利な生活は、たかだかこの数十年の間に生まれたものなのです。それまでの数千年、人間はそんな生活はして来なかったのです。
そう考えれば、今の生活がこのまま続くと考えることの方がおかしいのだと思えてきます。何せ私たちはまだ数十年しかこの生活を試していないのです。しかも、その中で数々の不都合が噴出しています。地球の環境がこの変化にとても耐えられないことも明らかになって来ました。だとすれば、おかしいのは、今の生活ややり方の方でしょう。これがこのまま続けられるのではなく、私たちは無理のない方法に変えなければならないのです。
60年前の暮らしを垣間見ることで、この60年間の変化を振り返ったと同時に、私たちはどこを目指すべきなのか、少なくともそれが今の延長ではないことを確信した二日間でした。
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