2008年09月28日

映画で学ぶCSR

 今日の朝はシアター・イメージフォーラムで「女工哀歌(エレジー)」のトークショーでした。まだこれから映画を観るという方々を前にしてだったので、細かく「あの場面は」というようにはお話しできなかったものの、実際の映像を見ながら話をすると、日本人には馴染みの薄い海外での問題でも理解していただきやすいのではと改めて思いました。

 今回は上映前にお話をしただけで、実際に映画をご覧になってからの感想をお聞きすることが出来なかったのは残念でしたが、逆に、事前の見所解説、映画観賞、観賞後の解説と質疑応答のようなプログラムを企業向けに開催すれば、良い研修になるのではないかとも思いました。(もしご興味をお持ちの企業さんがいらっしゃいましたら、御連絡ください!)

 さて、この映画に限らず、CSRの現場や課題を知るためにはもしかしたら映画はかなり良い教材になるかもしれません。サスラボでもこれまでにいくつもそんなCSRの関連の(?)映画を紹介して来ましたが、今日はそれをまとめてリストアップしておきたいと思います。

 以下は大まかにジャンル分けした映画のタイトルで、サスラボの紹介記事にリンクしてあります。ご興味のある映画があれば、ぜひ過去の記事をご覧になってみてください。

《中国の工場、労働条件等》
女工哀歌(エレジー)
いま ここにある風景

《食のグローバリゼーション》
いのちの食べかた
おいしいコーヒーの真実
ダーウィンの悪夢

《気候変動》
不都合な真実
earth

《原発》
六ケ所村ラプソディ

《世界の子ども》
それでも生きる子どもたち

《アフリカ》
ブラッド・ダイヤモンド
ナイロビの蜂
ホテルルワンダ

《企業の本質!?》
ザ・コーポレーション

 「ザ・コーポレーション」にはマイケル・ムーアーがコメンテーターとして登場していますが、マイケル・ムーアーも企業の体質を問題にした作品を多く発表していますね。これまでサスラボでは取り上げていませんが、ちょっとまとめてご紹介したいと思います。
 処女作「ロジャー&ミー」はムーアの生まれ故郷を舞台に、ゼネラル・モータースのレイオフがテーマ。さらに「THE BIG ONE」では、様々なアメリカ企業のリストラを取り上げています。グローバリゼーションによる工場の海外移転がその背景です。最後に出て来るナイキのフィル・ナイト会長とのやり取りは痛快です。
ボウリング・フォー・コロンバイン」は銃社会アメリカがテーマです。ウォルマートで簡単に銃弾が買えることにコロンバイン高校の銃乱射事件の被害者と抗議をし、ウォルマートは販売を取りやめるというスゴイ収穫付きです。
 また、アメリカの医療制度の不健全さを描いた「シッコ(Sicko)」(「ビョーキだ」参照)は一般的なCSRとはやや離れるかもしれませんが、持続可能な社会を考える上では必見でしょう。

 以上、CSRを考える上ではとても参考になる映画でオススメですが、いずれも「考えさせられる」映画であるので、ひょっとすると観た後は憂鬱になってしまうかもしれません(^^;)

 そんなときには、明るい映画も必要ですね。その場合、オススメしたいのが、「フラガール」。炭鉱が閉山となり雇用が失われる街を、企業と地元の方々が復活させる感動ストーリーです。

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2008年09月20日

街は再生できる

 都市や街というのは、私たちの生活を具現化したものであり、また同時に都市や街の構造が私たちの生活を規定しているとも言えます。その街が持続できない、いや既に崩壊しているということは、私たちの生活自体が持続不可能に向かって突き進んでいることを示しているのではないでしょうか。

 以前に紹介した「ファスト風土化する日本―郊外化とその病理」(「ゾッとした景色」参照)を挙げるまでもなく、今や明らかに日本も街並はは崩れつつあります。単に景観の問題として美しくないだけではなく、その先にあるものを考え得ると本当に暗澹たる気持ちになってくるのですが...

 世の中まだそんなに捨てたものではない。まだ希望はあるぞと思わせてくれたのが、同じ三浦展さんの編著による「脱ファスト風土宣言―商店街を救え!」です。ファスト風土化する商店街を、地域を、どう再生するか。そのことをテーマに、8人の著者が、実際の体験に基づく実践的な提案をしています。多くの著者が同年代であるということも、嬉しく読みました。

 ファスト風土化の問題点についても序章で三浦さんが簡潔にまとめています。本当は「ファスト風土化する日本」から続けて読むとおもしろいと思いますが、これ一冊でも問題点とソリューションの双方を学ぶことができます。

 僕が特に面白いと思ったのは、やはり「自分のためのエコロジー」(「「つながり」を「仕立て直す」」参照)の甲斐徹郎さん。ファストフードとの関係では、アメリカのニューアーバニズムを中心とした考えを紹介する渡和由さん、そして東京の日本橋で都市再生の実験を行っている馬場正尊さんの話などです。

 また、建築家の隅研吾さんは20世紀から21世紀の100年という時間の中で建築の変遷を整理していらっしゃいますが、20世紀のグローバル(普遍的な)な建築の代表であるコンクリートの建築が、地域性を超越することを目指していたのに対し、これから「もう一度、場所の固有性というものを復活したい」という力強い提言をなさっています。そして、材料の点でも、また文明の点でも、日本に大きなアドバンテージがあることを示唆していらっしゃって、とても勇気づけられます。

 というわけで、多くの具体的な事例と示唆に富むグッド・テキストになる本だと思います。持続可能な社会や街の姿、作り方に興味のある方は必読の書と言っていいでしょう。

 ところで、この本の中で一つとても印象に残っているのは、日本橋地区で街の再生を試みている馬場正尊さんの言葉です。馬場さんご自身は佐賀のご出身なのだそうですが、大学入学をきっかけに故郷を離れています。そしてそのことを振りかえり、「生まれ育った街の消失に自分自身も加担してしまっていることに気がつ」き、胸を痛めています。しかし、いざ街を再生しようと思っても、「まずそこに住み、そこで働かねばならない」、「そうしない限り、あらゆる言動は説得力を持ちえない」と言い切り、だから佐賀ではなく、今住んでいる東京で実験的な活動を行っているのだそうです。

 街を再生するということは、街をそこに住んでいる人のサイズで、視点で、作り直すということです。そう考えればこれは当然の言明ではあるのですが、実際には非常に重い言葉です。

 自分たちの街を、自分たちの力で、自分たちのために再生しよう。そう思う人が出現する街には、まだまだチャンスはありそうです。

今日も読んでくださって、ありがとうございます。
ヒント満載の本です、オススメします!
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2008年09月16日

「女工哀歌」トークショーやります

 先日もご紹介した映画「女工哀歌(エレジー)」は、中国の若い労働者の日常と実情を描いた必見の作品です(「中国の工場を見る」参照)。

 先週、試写会で実際に作品を見ましたが... かなり大変な労働条件です。映画の舞台となっている工場では児童労働が蔓延し、14,5歳の少女たちが、毎日深夜までの残業を強いられています。納品日には徹夜も少なくないというのですから... いやはや。

 さらには賃金の遅配や未払、あるいは不当に安い残業代や不合理に高い各種控除。典型的な労働搾取に強制労働です。なんのためにCSR調達が必要なのかと思う方は、まずはこの映画を見ていただきたいと思います。これがすべてではないにしても、少なくとも現実の一端ではあるのです。

 もちろんこの映画が撮られた6,7年前に比べれば、状況が改善した工場はたくさんあります。中国の工場のすべてが、ひどいわけではありません。さすがに今どき時給7円はありないと思いますし...

 しかし、やはりまだとても安心できる状況ではないのです。というのも、この映画にも出て来る中国の労働人権NGOの代表の劉開明は友人なので、先日来日したときにこの映画のことを聞いてみました。すると、「その後、あの工場の状況は改善されたけれど、あれと同じような工場はまだたくさんある。」という返事が...

 CSR調達の推進はこうした状況の改善に役立っているはずですが、それでもまだまだごく一部にしか影響を与えられていないのです。企業も、それを支援する僕のような仕事をしている人間も、そして何より外国製の安い製品を享受している私たち全員が、もっとその製品の先にいる作り手のことを意識する必要があることを痛感します。

 というわけで、この映画はぜひ一人でも多くの日本の消費者(つまり、私たち全員ですが)に見ていただきたいと思います。9月27日の日本公開の翌日、上映館の渋谷シアター・イメージフォーラムでトークショーが開催されます。僕もこの映画の背景をお話しさせていただき、また特典もあるそうですので(笑)、ぜひご来場ください。
『女工哀歌(エレジー)』トークショー概要

私たちが何気なくはいているジーンズから知る、世界の労働問題
世界30カ国以上で上映され、海外メディアからも絶賛されたドキュメンタリーがいよいよ日本で上映になります。
この映画『女工哀歌』公開を記念して、パネルディスカッションを行います。

会場:渋谷シアター・イメージフォーラム3F教室
時間:10:30開場/11:00開始/12:00終了
料金:入場無料(『女工哀歌』パンフレット・特典をプレゼント)
 ※但し、『女工哀歌』の前売券・当日券、あるいはすでにご覧になった半券をお持ちの方に限ります。
 ※前売券は当日受付でご購入頂く事も可能です。
パネリスト:あだなお。(サステナビリティ・プランナー)ほか
主催:エスパース・サロウ(пF03−3496-4871)
後援:アムネスティ・インターナショナル日本、特定非営利活動法人ACE

『女工哀歌(エレジー)』
上映時間:連日12:50/14:50/16:50/18:50
料金:当日一般1,800円 大学1,500円 高・中・小学生・シニア・イメージフォーラム会員1,000円

詳細はこちら→「『女工哀歌(エレジー)』トークショー」(アムネスティ・インターナショナル日本) 

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2008年08月16日

「いま ここにある風景」

 風景とは通常自然が作り出したものですが、自然を破壊して、人間が作り出した風景もまた存在します。人工的なものであっても、その規模が大きくなればなるほど、それは「風景」と呼ぶしかないのです。

 人間が作り出して来たそんな風景を捉えるカナダの写真家エドワード・バーティンスキーが中国をテーマに撮影した「マニュファクチャード・ランドスケープ『チャイナ』」とその撮影現場をドキュメンタリーで紹介しているのが「いまここにある風景」です。
「いまここにある風景」公式サイト

 「これは"地球の壊され方"か、それとも"人類繁栄の足あと"か。」、「中国…この国で今なにが起きているのか。私たちが今生きている世界についての衝撃のドキュメンタリー!」という紹介の言葉が示すとおり、急速な世界的な経済発展が何をもたらしたのかをしっかりと見せてくれます。

 これらとても愚かしく、そして恐ろしい光景。いずれも明らかに人間活動の結果ではあるのですが、私たち個人のスケールをはるかに超越した巨大なスケールに圧倒され、何かもっと巨大な魔物の仕業のような気すらしてきます。

 僕はこれまで何度も中国や途上国の工場、あるいは鉱山やゴミ処理場、巨大なプランテーションを訪問してきました。それでもこの映画に出て来る工場や開発現場のスケールには圧倒されます。あまりに巨大で、私たちの知覚を超えているようにすら思えます。

 しかし、いかにそれが現実離れしているように見えても、それを作って来たのは私たち一人ひとりの欲望であるということを忘れてはいけないでしょう。

 例えばオープニングに登場する電気製品の巨大な工場。ここでこうやって作られるがゆえに、私たちは驚くほど安価な電気製品を、まるで消耗品のごとく消費することができるのです。
imakoko.jpg
写真出典:「「いま ここにある風景」映画作品情報」(cinemacafe.net)

 そしてその使い捨てられた電気製品は再び中国に戻り、人手で解体されます。つまり、ここに出て来るまるで別世界のような風景も、私たちの生活と無関係ではないのです。遠い国の出来事であっても、私たちと因果関係の糸でしっかりつながっているのです。

 バーティンスキーは、「これを良い悪いと言うつもりはない。ただ、この風景を見て欲しい。」と言います。良い悪いという問題にすり替えるのではなく、ただこの風景としっかり向かいあって欲しいというのです。

 僕もその言葉に賛成します。大判カメラで捉えた写真は風景のディテールまでしっかりと捉え、丁寧に見ていくと、その異様な風景の中にも、その風景の中で働き、暮らす人たちの表情が見えてきます。

 バーティンスキーはまた、20世紀に私たちは石油にどっぷりつかって経済というダンスを踊ってきた。そのダンスに遅れてやって来た中国は、ラスト・ダンスを踊っているのかもしれないと言います。その様子をじっと見つめていけば、その先にある私たちの未来まで見えてきそうな気がしてきます。

 私たちの生活を支えるためにいま何が起きているのか。それはこの先持続可能なのか。この延長には何があるのか。様々なことを知り、考えるために、ぜひとも見ていただきたい映画です。

 そして僕は今度は、ぜひスティルの作品、大判カメラで撮影した精緻な巨大写真を見てみたくなりました。日本でも展覧会をして欲しいですね。

 なお、この写真展は、中国や途上国の労働現場を知る上でも貴重だと思います。バーティンスキー以外にもこうした現場を撮影している写真家はいます。サスラボの過去記事「中国の労働環境」もぜひご参照ください。ドイツの写真家、Michael Wolfの作品へのリンクもあります。

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2008年08月13日

ゾッとした景色

 先週、青森を訪れたときにびっくりしたことがあります。道路がとてもよく整備されているのです。たしかに主要幹線の国道ではあるのですが、それほど大きくない町と町をつなぐだけの交通量もそう多くない道なのに、片道2車線、場所によっては3車線の、実に広々とした立派な道がまっすぐに続いていました。そして道路の脇には屋上に巨大な看板を掲げた郊外型の安売店が並びます。

 こんな言い方をすると失礼かとは思いますが、青森の片田舎まで、こんな光景になってしまったのかと、驚きと恐ろしさを禁じ得ませんでした。お店のさらに後ろには美しい水田やリンゴ畑が広がっているのですが、道路沿いは無機質できわめて醜悪な光景です。

 ガソリンスタンドと大型スーパー、そしてハンバーガーショップにチェーン展開のレストラン。生活している人がいることが感じられない、砂を噛むように味気ない乾いた景色。そんなアメリカの風景がいつの間にか日本のしっとりした田園風景を置き換えてしまったようで、一瞬、自分が今どこにいるのかわからなくなったほどです。

 そしてその時に思い出したのが「ファスト風土化する日本―郊外化とその病理」という本です。バイパスが整備され、郊外に大型のショッピングセンターができ、そこへ車で買い物に出かけるようになり、消費することが唯一のエンターテイメントになる。そのことが都市だけでなく、人々の心を空洞化させ、コミュニティは液状化する。そんな日本の地方の姿を描き出した衝撃的な本です。「下流社会」がベストセラーになった三浦展氏の2004年の作品ですが、今なお、いや今いっそうリアリティをもって迫って来ます。

 以下は表紙の裏に書いてある説明と目次です。
のどかな地方は幻想でしかない!
地方はいまや固有の地域性が消滅し、大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、カラオケボックス、パチンコ店などが建ち並ぶ、全国一律の「ファスト風土」的大衆消費社会となった。
このファスト風土化が、昔からのコミュニティや街並みを崩壊させ、人々の生活、家族のあり方、人間関係のあり方もことごとく変質させ、ひいては人々の心をも変容させたのではないか。
昨今、地方で頻発する不可解な犯罪の現場をフィールドワークしつつ、情報社会化・階級社会化の波にさらされる地方の実情を社会調査をもとに探り、ファスト風土化がもたらす現代日本の病理を解き明かす!

<目次>
第1章 のどかな地方は幻想である
第2章 道路整備が犯罪を助長する
第3章 ジャスコ文明と流動化する地域社会
第4章 国を挙げてつくったエセ田園都市
第5章 消費天国になった地方
第6章 階層化の波と地方の衰退
第7章 社会をデザインする地域

 すべてがある特定の大型ショッピングセンターが出来たことのせいのように断定しているのはちょっとどうかと思いますが、バイパスと大型ショッピングセンターなどが出来たことにより、「地方」が大きく変化し、そこに住む人々の生活にも、人間関係にも大きな変化をもたらしたことは十分にあり得ることでしょう。

 私たちはその影響を考えることなく、実はとんでもない間違いをおかしてしまったのかもしれません。自分たちはどんな生活をしたいのか。どんな社会に暮らしたいのか。そのことを今きちんと考えなければとんでもない社会になってしまうという恐ろしさを感じました。

 そして冒頭の青森県の景色。それを目にしたとき、もうここまで事態は進行しているのか。そういう暗澹たる気持ちに襲われたのです。

 しかしもはやまったく希望がないというわけではありません。三浦さんも同書の最終章で、社会をデザインする地域づくりをすることが問題を解決する道だと、具体的な提案をしています。地域にコミット(関与)することで新しいコミュニケーション(関係)を生み出していく、そういう生活と仕事の場としての街を再生していくことを三浦さんは提案しています。

 人間は関係性の動物です。であればこそ、モノではなく、関係性が豊かな街や景色こそ、私たちが求めているものであり、安心できるものなのだと思います。これも持続可能な社会を考えるときの要件になりそうです。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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2008年03月18日

今年は水

 しばらく前に予告した「ちょっとおもしろい新刊」がいよいよ書店に並び始めました。昨年刊行した「いきものがたり」の続編に相当する本で、今年は「
みずものがたり―水をめぐる7の話
」です。

mizumonogatari.jpg

■「みずものがたり 水をめぐる7の話」(Think the Earthプロジェクト)
(写真も上記サイトから)

 私たち人間をはじめ、あらゆる生物は水なしに暮らしていくことはできません。地球が生命の星になることができたのは、水という不思議な物質のお蔭です。しかし、それがあまりに身近であたりまえの物質であるが故に、それがいかに変わっていて、特別な物質であるのか、私たちは案外きちんと認識していないのかもしれません。

 あるいは水の惑星と言われる地球でも、また、「水と安全はタダ」と言われる(言われていた?)日本でも、実は水はきわめて貴重な資源であり、それがさらにひっ迫しつつあることも、案外知られていないかもしれません。

 そのような水にまつわる様々なトリビア、いえ、むしろ知っておくべき知識が満載の本が「みずものがたり」です。

 そうは言っても、教科書ではありませんから、カタく、ムツカシイところはありません。例えば、
・地球上の水のうち、私たちが実際に使える水は何 %程度か?
・牛丼1杯を作るのに、水は何リットル必要か?
・私たちの身体の6〜7割は水と言われるが、赤ん坊は?、お年寄りは?

 驚くべき事実があなたをお待ちしています。
 
 最後の一章は、例によって僕が担当しました(「(7) 水の未来‐水問題を解決する21の方法」)。世界的な水問題を解決するために、企業が、NGOが、市民がどんな活動をしているのか、知恵を持っているのか。そんなことをまとめてご紹介しています。

 僕が担当した部分はともかくとして、知的好奇心を大いに刺激する、とてもおもしろい本に仕上がっていると思います。子どもから大人まで楽しめますので、ぜひ手に取ってご覧下さい。水色の表紙が目印です。

 なお、「みんなの水ものがたり」も、4月1日から9月30日まで作品募集します。こちらもよろしくお願いします。

毎日読んでくださって、ありがとうございます!
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posted by あだなお。 at 22:44| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月09日

本気な人

 最近は普通の雑誌の記事などの中にも社会起業家(ソーシャル・アトレプレナー)とか、フェアトレードとか、そういった話題をよく見かけます。特に若い人々がそういう仕事に興味を持ち、実際に取り組んでくれることは本当に素晴らしいことです。心から応援したいと思います。

 その一方で、実際にそれをやり遂げるのはとても大変だし、またそのやり方が危なっかしくてみていられない...という場合も多くあります。実際、成功する人はホンの一握りですしね。

 そんな中で、僕がこれまで見聞きした中でも最高に危なっかしく、でも心の底から応援したくなった、いや、応援するなんて偉そうなことなどとても言えません。本当に頭が下がる方を、ご紹介しましょう。

 バングラディッシュでジュート(黄麻)を使ったバッグを作り、それを日本で売るというビジネスを確立したマザーハウスの山口絵理子さんです。「裸でも生きる――25歳女性起業家の号泣戦記」という自著も売れていますし、マスコミでも何度も取り上げられているので、ご存じの方も多いかもしれません。

 実は僕も最初から注目していたわけではなくて、知人が書いたレビューを読んで、それなら読んでみるかと思ったのがきっかけでした。しかし、彼女の自伝的なこの本を読むだけで、そのスゴサ、普通でなさが十分に伝わってきました。

 23歳でビジネスを立ち上げてわずか数年で成功なんて聞くと、よっぽど運がいいのか、それともバックに強力なサポーターでもついているのかと思ってしまいます。しかし、彼女の場合にはその両方とも当てはまりません。ただただ、ひたすら体育会系的な頑張りで、地べたを這うようにして、愚直に突き進んだだけなのです(実際、もすごい体育会系なのですが...(^^;))。

 本当は「だけ」なんてとても言うのがはばかられるほどに強烈な頑張りなのですが、そのやり方は戦略的どころか、ほとんど何も考えずに直情径行そのものです。それだけに経験の密度は大変なもので、普通だったら10年かかっても出来たかどうかわからないようなことを、わずか数年の間で成し遂げてしまたのです。

 ですから「わすか数年で成功」ではなくて、本当は「十分な苦労と経験を重ねて、幾多の失敗を乗り越えた上での成功」なのです。

 そんな中、僕が一番いいなと感じたのは、今までフェアトレードの名で売られていたものは本当にお客さんが欲しいと思っていた商品なのかという疑問です。それが故に彼女は、自分が単純に「かわいい! 欲しい!」と心から思えるものを、バングラディッシュで作り、発信することに挑戦したのです。

 生産者は、うつむきながらミシンを縫うのをやめ、「誇りとプライド」を持ってモノ作りにあたる。そうしてできた商品を、先進国のお客様は使い、満足する。それはNGOや生産者を支援するという目的ではなく、企業としてのビジネスとして行うべきで、デザイン、品質管理、すべてを徹底する。
出典:「裸でも生きる」p.120「フェアトレードはフェアーじゃない」より

 それが「途上国発のブランドを創る」という夢のような、しかし見事に実現したコンセプトに昇華していきます。ですから「裸でも生きる」は、彼女の壮絶な体験記として読むのだけではもったいないのです。たしかにそれはものすごい経験と行動力で、涙なしではとても読めないほどです。しかしそれでは、単なる武勇伝で終わってしまいます。

 そうではなくて、自分で納得できるところまでトコトン突き詰めてみたら「フェアトレードではなくて、途上国発のブランドを創るしかないんだ」と彼女が気づくまでのストーリーを、読者の私たちが追体験することによって、私たち自身もいま本当に求められているビジネスのあり方を心の底から理解することができるのです。

 誇りとプライドを持ってできる仕事。途上国に限らず、これこそすべての仕事が満たしているべき条件だと思います。

 あまりネタバレしないようにと思ったら抽象的な話になってしまいましたが、ぜひとも皆さんにご一読いただきたい本です。このエントリーを読んだぐらいでは、僕がお伝えしたかったことの100分の1も伝わりません。ぜひ彼女の書いた文章を直接読んで、その体験と思考を追体験していただきたいのです。

 ですからこの本を読んで以来、サスラボで必ず紹介しなくてはと思っていました。しかし、こんなスゴイ人のことを一体なんと紹介したらいいのか、なかなか適切な言葉が見つかりませんでした。

 そして、いろいろと考えた末にたどりついたのはこの言葉です。「いつも本気な人」 その本気さが周りの人に伝わり、不可能を可能にしていったのだと思います。そして同時に、自分はどこまで本気になれているんだろうかと、とても恥ずかし思いもしてきます。

 この本の最後で紹介されている、山口さんがバングラディッシュで感じたというメッセージは、僕自身に問いかけられている気がしてなりません。

 「君はなぜそんなに幸せな環境にいるのに、やりたいことをやらないんだ?

長文におつきあいいただき、ありがとうございます。
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posted by あだなお。 at 22:35| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月08日

長州ファイブ

 長州ファイブってご存じでしょうか? お恥ずかしながら僕は知りませんでしたが、幕末に死罪覚悟で長州からイギリスに留学(というか密航)した長州の若者5人、すなわち長州五傑をイギリスでそう呼ぶのだそうです。

 その五人とは、後の初代内閣総理大臣の伊藤俊輔(博文)、初代外務大臣の井上聞多(馨)、日本に鉄道を作った野村弥吉(井上勝)、造幣局長となった遠藤謹助、そして工部大学校(いまの東大工学部)を設立した山尾庸三です。いずれも各分野の「父」と呼ばれる偉人たちです。
《参考》
■「長州五傑」(Wikipedia)

 家の近くに名画座でこの連休中に何かやっていなかなと思ったら、ちょうどこの長州五傑を題材にした「長州ファイブ」をやっていました。
■映画「長州ファイブ -CHOSYU Five-」ウェブサイト

 これはおもしろそうと見に行ってみたら、まさに大当たり。いい映画でした。

 今からわずか150年前、黒船の登場に日本中が大騒ぎ。死罪を覚悟してイギリスに渡った長州の若者達が見たものは...  日本とあまりに違うイギリス。本当にこんな国と渡り合えるのかと何度も自信を失いそうになりながらも、それでも自分たちがイギリスの進んだ文明を持ち帰って日本を文明化しなければと奮闘する物語です。

 僕もはじめてロンドンを訪れたときには、かつての大英帝国の圧倒的な力と栄華を想像して気が遠くなったのを覚えていますが、文明開化の前、何も知らない東洋の若者が当時のロンドンを見たら、本当に腰を抜かさんばかりに驚いたことでしょう。

 命を賭してイギリスに渡り、彼我の実力の差に圧倒されながらも必死で技術を持ち帰ろうと勉強する。これだけでも十分に感動的な物語(しかも実話!)です。そして、それがわずか150年前の出来事かと思うと、先人達の努力には本当に頭が下がります。

 はじめは長州という藩の役に立つことだけを考えていた若者たちが、次第に日本という国全体を考えるようになったことは興味深いものでした。イギリスの進んだ文明を見て、藩同士で争っている場合ではない、日本という国をどうするかと、より大きな視点に立てるようになったのです。

 ですが、この映画で一番印象に残ったのは、山尾庸三が造船技術を学ぶグラスゴーで出会った聾唖の女性、エミリーの言葉です。

 「あなたの言うように、この国は文明国かもしれない。でも、ここには2種類の人間がいるの。持つ者と、持たざる者と。そしてその2種類の人たちの道は決して交わることはないの。」

 もちろん当時に比べれば、今は圧倒的に自由な、フラットな世の中になったはずです。しかし、今また世界各地で、国と国の間でも、あるいは同じ国の中でも、格差は広がっています。150年かけて、私たちはこの状況をまだ変えることができていないのです。

 その持たざる者の層に属し、言葉も発することができないエミリーですが、いつも笑顔を絶やすことはありません。そのことに驚く山尾に、エミリーはこう答えました。
 「でも、覚えておいて。辛い時こそ笑顔が大切なのよ」(表現はかなり違っているかもしれませんが...)

 しかし、私たちは彼女の言葉に甘んじるわけにはいきません。笑顔を絶やさぬことが辛い生活に耐え忍ぶために役立つ知恵だとしても、その知恵がなくても済むようにすることこそ、持つ者の義務だからです。もちろん、今や日本は圧倒的に「持つ者」です。

 山尾は日本に造船技術を持ち帰り、東大工学部の前身を設立しただけでなく、日本で最初の盲聾学校を作りました。39歳の時です。

 多少の脚色はあるようですが、これはほぼ150年前の史実に基づく映画です。150年前、20代の若者がこれだけのことをできたのです。日本人であることに誇りを感じました。

 けれど、これは単に過去の偉人たちを称賛する映画ではなさそうです。江戸から明治へ。黒船の到来をきっかけに彼らがこれまでの社会の仕組みを根本的に変革したように、地球環境の危機の到来をきっかけに、持続不可能な社会から持続可能な社会へ根本的な変革を成し遂げることができるのか。私たちの勇気と力が試されているように思います。

 10日ほど前に、「長州ファイブ」のDVDも発売になったそうです。ぜひご覧になってみてください。

今日も読んでくださって、ありがとうございます。
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2007年10月02日

地球を見る

 先日、素晴らしい映画を見ました。その名も「earth」、そう地球です。コピーは、「主演、46億、地球」です。私たちがいかに奇跡的な星、奇跡的な環境の中に生きているのか。そしてそこに住む生き物たちの壮絶な生活。もう本当に、圧倒的な映像で押し寄せてきます。

earth_poster.jpg


 製作期間5年、カメラマン45人、フィールド滞在日数2000日以上、ロケ地は世界7大陸、62ヶ国、204ヶ所に及びます。そして、BBCが参加していることから映像のクオリティが高いことは容易に想像できましたが、それでもこの映像は想像を超えていました。

 ただの迫力ある映像、じっくり取材した映像とはレベルが違うのです。地球の鼓動を映し取った、魔法のような映像です。え、一体どんな風になのかって? それは見てのお楽しみですが、一つだけヒントめいたことを書いておくと、本来は見えるはずのない時間の流れを、映像として見ることができるのです! どうです、これだけでも見たくなりませんか?

 もちろん今回このような映画が作られたのは、単に自然の美しさを賛美するためではありません。奇跡の星に生きる、奇跡のような進化の結果生まれた生き物たち。それが今、気候変動の影響を受けつつあるのです。このままでは、人間より先に、彼ら野生生物の方が生きていけなくなってしまうのです。

 気候変動が、ホッキョクグマ、アフリカゾウ、ザトウクジラの生活にどれほど致命的な影響を与えつつあるかを見たとき、誰もが自分たちの罪深さを感じないわけにはいかないでしょう。なにしろ、気候変動は人間活動が原因で、彼らにはまったくなんの責任もないのですから。

 監督のアラステア・フォザーギルは、「これまでカメラに収められたことのない、地球上で最も美しいものを目にする これが最後のチャンスである。」と言いますが、しかしこれは彼の本心ではないでしょう。たしかにこの映画で、地球上で最も美しいものを見ることはできると思います。けれどそれを見納めにするのではなく、「まだ間に合う。今、行動すれば、この美しい生き物や光景をこれから先の世代にも伝えることができる」ということこそ、本当のメッセージなのです。

 日本での公開は来年1月です。しばらく先ですが、公開の暁には、ぜひご覧ください。

「アース」公式ページ 
「earth」公式ページ 
※英語ですが、こちらの方がコンテンツが豊富でオススメです。特に"CAST"と"Making of"は必見です。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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2007年09月11日

「華氏911」再び

 今日は9月11日。あの衝撃的な911から6回目の9月11日です。僕はあの日はマレーシアの熱帯林で調査をしていました。宿舎に戻り、電話回線のダイヤルアップでインターネットに接続すると、細〜い回線を通じて、あの衝撃な映像が流れてきました。何が起きたのか、最初はよく理解できませんでした。しばらくして全貌がわかるにつれ、これから世の中はどうなるのだろうかという不安感に捕らわれたのを覚えています。

 先週末はDVDで、マイケル・ムーアの「華氏911」を見直しました。映像を見ると、再びそのときの衝撃が甦ってきました。また、肉親や友人を失った方たち、そして自分たちの社会が崩れ落ちるかのような経験をした方々がどんなショックを受けたのか、見ているだけでも辛くなります。彼らは今、どうしているのでしょうか。
■「華氏 911 コレクターズ・エディション

 この映画は、911とそれに続くイラク戦争について、その背景について推理をめぐらし、自分たちの利益しか考えないブッシュとその取り巻きを痛烈に批判したものです。ちろんムーアならではの脚色もあるでしょう。当時の小泉首相は「政治的に偏った映画だ」と切り捨てて、見ようともしなかったそうです。しかし、ブッシュ政権やその追従派にとっては都合が悪くても、映像はすべて事実ですし、ムーアの主張も十分合理的であると思えます。

 911のその日はもちろん、その前も後も、ブッシュはあまりに無策でした。超大国アメリカに、いや世界に対して責任ある地位にありながら、公益のことなどまったく考えているようには思えません。ビンラディン家やサウジアラビア王族と協力な繋がりを維持しながら、考えているのは私利私欲だけ。これではどこかの将軍様のことなどとても言えたものではありません。

 イラク戦争も現場の目線で見ると本当に悲惨です。家族や自分自身の健康、さらには命まで失ったイラクの人々の悲しみ、苦しみが耐え難いものであることはもちろんですが、「勝った」はずの米軍の兵士もまた、肉体的にも、精神的にも大きなダメージを受けているのがわかります。

 そしてその若い命を失ったのも、これから向かう戦場に恐怖して泣くのも、あるいはどうしようもない自己嫌悪に陥りながらもイラクの民間人を殺すのも、アメリカのあまり裕福ではない、場合によっては貧困層に属する若者たちです。お金持ちや代議士の子どもたちなどは、間違っても前線には行きません。

 こうした現状を執拗に追いかけたムーアは最後にこう喝破します。これはテロ組織や外国に対する戦いではない。自国民に対しての戦いだ。階級(クラス)を維持するために、富裕層が貧困層にしかけている戦いなのだ、と。

 テロの恐怖よりも、もっと恐ろしい現実に慄然としました。でも、僕はこんな状態はもう長くは続かないと思います。なぜなら、もう世界はこれまでと違う社会に向かって動き始めたからです。ごく一部の人間が情報を独占して操作したり、力だけでコントロールすることはできなくなると思うからです。

 これに関連したことを、今日発行のメルマガ「サステナブルCSRレター」(No.15)の巻頭言に「911後の世界」と題して書きました。ご興味のある方は、以下のリンクからお読みください。
■「サステナブルCSRレター 2007/09/11 (No.015)

 ついでに(笑)、もしよろしければメルマガもご購読ください。サスラボとはちょっと違った情報も提供しています。もちろん無料です。

 今回あらためて見た「華氏911」では、「もう絶対あの戦場には戻りたくない。軍法会議にかけられ、投獄されても拒否する。」とカメラに向かって言った若い兵士が印象的でした。

 インターネットなどを通じて、世界中と瞬時に情報をやりとりし、誰もが自由に発言できるようになった今、情報が独占できないのはもちろん、暴力ですら力を失いつつあるのです。その変化に気が付かない911以前の方々には、早く舞台から退場を願いましょう。

今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
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2007年09月03日

ビョーキにならないために

 昨日に続き、マイケル・ムーアの新作「シッコ(Sicko)」についてです。それほどストーリー性の強い映画ではありませんが、ネタバレが嫌な方は、映画をご覧になってからお読みください。

 アメリカの医療費が高いという話は以前からよく聞きます。盲腸で手術をして一週間入院すると100万円とか。でも、最近はそんなに甘くないようです(^^;) ちょっとした手術で、すぐに数百万円の請求が来るのだとか... 

 これでは無保険ではとてもお医者さんにはかかれませんよね。僕はいつも海外ではクレジットカード付帯の保険で済ませていますが、それでも無理そうです。200万円ぐらいの保険ではすぐにお手上げです。これからアメリカに出かけるときには、必ず多額の医療保険に入ってからにしようと決心しました。

 こんな状況にも関わらず、アメリカには医療保険に入っていない人が4700万人!もいます。なぜかと言えば、アメリカには国民皆保険の公的医療保険制度はないからです。

 では、お金を払えばだれでも民間の保険に入れるかと言えば、それも違います。標準よりちょっと太めだったり、逆に痩せていても保険には入れないのです。既往症ももちろんダメ。え、一体誰が入れるかって? それはもちろん、健康体の人だけです。

 毎日せっせとジムに通って、あわよく医療保険に入れたとしましょう。しかし、それでも安心するのは早いのです。実際に保険が適用されるかどうかは、厳しい審査があるのです。

 笑うしかなかったのは、救急車の利用料が支払われるのは「事前に承認を得た場合のみ」というルール。事故にあっても、保険会社に電話をしてOKをもらうまでは、おちおち気絶もできません。救急車が有料なだけでも、日本だったら十分に違和感がありますが....

 一体いつから、なんでこんなことになってしまったのか? マイケル・ムーアもそのことを追求し、70年代のニクソン政権が、民間の保険会社が保険を拒否する割合を高めることによって利益率をアップする仕組みに目をつけたところが発端だったらしいと説明します。

 しかしおそらくは、なんの制限もなく競争する民間企業に医療保険を任せたときに、すでにその結果は見えていたと言うべきでしょう。

 ひるがえって、隣国のカナダ、兄貴分の英国、あまり仲はよろしくないフランス、そしてその存在すら認めたくないキューバではどうでしょう? これらの国に共通するのは、医療費がタダということ。もちろんいろいろと問題はあるでしょうし、財源で苦労もしているようですが、これまで医療費はタダを貫いているのです。

 イギリスの病院で「医療費は?」「いくらなの?」と聞いてまわるマイケル・ムーアは、「そんな質問をするのはあんたが初めてだ」と笑い者にすらされます。そのぐらい、イギリスでは医療費がタダなのは当然のことなのです。病院に来た患者に、病院が交通費を「払っている」のには、さすがに僕もびっくりしましたが...

 あるいはフランス。家のローン以外に何に出費がかさむかとマイケル・ムーアに聞かれたフツーのフランス人女性は「お魚」(^^;)、彼女の夫は「バカンス」。だんぜん優雅です。こんなフランス人や、フランスに住むアメリカ人と話をするうちにマイケル・ムーアが気付いたことは、「この国には絶望がない」ということです。

 そう、これは結局、自分たちがどんな社会を目指すかです。無制限な自由競争を認め、勝者にすべてを独占させるのか。それとも、困った人をお互いに助け合うことを良しとするのか。もちろんアメリカ人の多くは、マイケル・ムーアが言うように、困った隣人に手を差し伸べる優しい人たちです。だから、911の後にも、自らの身体を顧みず、救出作業や普及作業にボランティアとして参加したのです。

 しかし、今のアメリカでは、そうした心ある人が、正直な人が、馬鹿を見ているのです。保険会社で働いていた人も、良心の呵責にさいなまれます。たとえそれが仕事であっても、いや仕事であればこそ、目の前の困っている人を見捨てなければいけないことなど、耐え難いことです。

 日本の「民営化」や「自由化」の多くは、アメリカ政府の要求によるものです。アメリカは日本の公共制度の堅い蓋をこじ開けようとしています。これまでの日本のやり方がすべていいとはいいませんが、少なくともなんでもかんでも自由にというのがベストなやり方とは言えないのは確かでしょう。

 たとえ自由化、すべて民営化という極端なことはないにしても、今の制度をどう改革したらいいのか? イギリスもカナダも財源で苦しんでいるとは言いますが、それでもいろいろ学べることはありそうです。

 つくづく思うのは、ビジネスを金儲けの道具にしてはいけないということです。ビジネスはお金を儲けるためのものではなく、社会に役立つためのもの。儲けはその結果として、ついてくるものだったはずです。役に立つモノやサービスを提供することこそビジネスの目的です。金儲けが目的になった瞬間、ビジネスはどんどん歪んでいきます。

 「そんなのはきれいごとだ」という方には、マイケル・ムーアの描くアメリカとフランスの姿を見比べてください。そして、どちらの社会に住みたいか、考えてみるといいでしょう。

 選ぶのも、行動を起こすのも、あなたです。マイケル・ムーアは、この映画では何も具体的に解決していません。それは、画面の中でマイケル・ムーアが悪者をやっつけることで溜飲を下げるのではなく、観る人が「もうたくさんだ」と声を上げ、全員で立ち向かうことを期待しているだからそうです。

 持続可能な社会やCSRを考えるためのヒントも満載。本当にオススメの映画です。ぜひご覧になってください。僕ももう一度観ます。

最後までお読みいただいて、ありがとうございます。
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2007年09月02日

ビョーキだ

 一週間ほど前から公開されているマイケル・ムーアの最新作「シッコ(Sicko)」を観てきました。素晴らしい映画です。マイケル・ムーアの最高傑作と言っていいでしょう。その内容が重要な問題を含んでいることはもちろんですが、映画としての完成度が高く、あっという間の123分間です。フィルム・メーカーとしての腕を相当にあげたなと感じました。3年間、待たせただけのことはあります。

シッコ(Sicko)公式サイト

 宣伝などには「医療関係者必見」などとありますが、そうではありません。すべての人が必見の映画です。私たちが安心して生活することに欠かせない医療制度の問題を扱い、それがアメリカでいかにヒドイことになっているかを教えてくれるのですから。

 その状況は、まさにビョーキ(sicko)というしかありません。医療保険に入っていない人が必要な医療処置を受けられず、命を落としたり、不必要な苦しみを強いられているのはもちろん、医療保険に入っている人すら、いざというときに保険会社が「不適用」と宣告されたり、さらには医療費を払えない低所得者は、病院が路上に「捨てる」のです。一体なんのための医療制度なのでしょうか。

 日本は国民皆保険制度だから関係ないと思うかもしれません。でも、アメリカの保険会社や医療機関は次なる市場として日本を狙っていますし、日本の保険制度だって、医療費ゼロのイギリス、カナダ、フランスなどに比べれば、まだまだ負担が高いと言えるかもしれません。さらに質を比べるとどうなのか、ぜひ聞いてみたいものです。

 医療保険は金儲けの道具では断じてなく、困った人をお互いに助けるための手段のはずです。それが医療保険も完全な「ビジネス」に成り下がってしまったところに、アメリカの悲劇があります。この映画を観ると、アメリカにだけは住みたくなくなります。いや、とても住めません。

 今回の作品はマイケル・ムーアが企業や役所に突撃取材するのではなく、一般市民へのインタビューが多くなっています。ごく普通の市民が、しかも家族や自分の国のために尽くそうと営々とまじめに働いて来た人たちが、医療費を払えずに苦悩している様子は、見ていて本当に辛くなります。

 そうした女性の一人が、「魔王の住む地上最悪の国」と教えられ、そう信じてきたキューバに、マイケル・ムーアに連れられて行きます。ところがそこで彼女が体験したことは... キューバの国民と同じように必要な医療をすべて無料で受け、薬もタダのような値段で提供されます。そのとき、一体彼女はどのように感じたのでしょうか。思わず涙する彼女の姿に、観ている方も胸がいっぱいになります。

 一体なぜこんなことになってしまったのか。いつからアメリカはこんな国になってしまったのか。これは多くの登場人物が感じる疑問であると同時に、マイケル・ムーア自身の苦悩であり、この映画を作った理由でもあると思います。

 多くのことを考えさせてくれる映画ですので、内容については改めて考えたいと思いますが、まずはこの素晴らしい作品の存在を皆さんにお伝えし、一人でも多くの方に観ていただきたくて、お知らせしました。間違いなく、必見です。

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2007年08月02日

本当の戦争って

「イラクで爆弾テロ、死者xx人」 こんな見出しが新聞に載っていても、ほとんどの方は「またか」と思うかもしれません。正直言えば僕もそうでした。

 でも、よく考えてみたら、これはちょっと変です。「戦争」はほぼ終わったはずなのに、アメリカが全土を制圧(?)しているはずなのに、なぜこんなにテロが続いたり、イラク人もアメリカ兵も殺され続けるのか? なぜ一向に治安は良くならないのか?

 たしかにメディアは死者の数こそ報道しているかもしれないけれど、その数の向こうにある、何がそこで起きているのかとか、なぜそうしたことが続くかということを全然伝えていないのではないのではないでしょうか?

 シバレイこと志葉玲さんの「たたかう!ジャーナリスト宣言―ボクの観た本当の戦争」を読んで、本当は何が起きているのか、なぜそんな事態が続くのか、やっと少しわかった気がしました。

 もちろんそこに書かれているのは、実際に起きていることのごく一部、断片的な情報でしかないでしょう。それが一面的な見方に過ぎないと言う方もいるかもしれません。しかし少なくとも僕には、新聞が報道する死者数だけではわからなかったことが、頭の中で立体的につながったように感じられました。「なるほど、そういうことだったのか」と。

 この戦争がアメリカの一部の権力者たちが自分たちの権益のために仕組んだものだとはよく言われますが、酷いのはそれだけではありません。いかにこの戦争で、多くの民間人が無駄に殺されたか、いわれなく酷い目にあわされたか... 目を覆いたくなるような記述が続きます。

 イラク人同士、あるいは周辺諸国の人々を互いに憎しみ合わせ、殺し合いをさせたり、同盟国の日本のジャーナリストですら、「捕虜」として不当に拘束したり(シバレイさんは米軍に不当拘束され、8日間拘禁されています)... 少なくともイラクで行っている行為からは、アメリカが「正義」という価値観からはもっとも遠いところにあることがわかります。

 しかし、これはアメリカだけがしていることではありません。日本はそれをしっかり支援しているのです。しかも、再生復興支援のために派遣されたはずの自衛隊は、地元には何もしていない。月にい1〜2回しか給水がない村の近くで、自衛隊は毎日風呂浴びだそうです。もしこれが本当だとすれば、まったく恥ずかしい限りです。

 イラクだけではありません。シバレイさんの怒りは、レバノンでも続きます。死者の数だけでは語りつくせない、とても想像できないような酷い世界がそこには広がっていたのです。

 また、日本の無責任さは、こうしたアメリカの支援に留まりません。大地震で壊滅的な非難を受けたインドネシアのアチェ、あるいは日本国内での難民の扱い。こうしたあらゆることころに、無責任で、他人の痛みに鈍感な、日本人の姿があぶり出されています。

 なぜ彼がこの本を書かねばならなかったのか、なぜ命の危険を冒してまで戦地に赴かねばならなかったのか。その気持ちが伝わってきます。

 新聞やテレビの報道を観ている限りでは、それは遠くの国で起きている理解不可能な殺し合いに過ぎないかもしれません。しかし、それには私たちも間接的ながら確実に関係しているし、そこで起きていることも、その場所の人々の立場になれば理解できる、いやそれ以上にその理不尽さを一緒に嘆きたくなる、そんな本です。

 皆さんにもぜひお読みいただきたいと思います。ただしこれを読んでしまったら、イラクにも、アメリカのやっていることにも、日本の無責任な態度にも、もはや無関心ではいられなくなることに覚悟が必要です。

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2007年06月07日

「労働ダンピング」を食い止める

 「無料お試しキャンペーン実施中! 一週間無料、一ヶ月35%オフ、三ヶ月13%オフ」一体、なんのチラシかわかりますか? 「これはコピー機のリースではなく、人間のリース、つまり労働者派遣契約の激しい争奪戦の1コマ」なのだそうです。こんなのは、もはや雇用とか労働ではありません。労働が、いや人間が、「商品化」されているのです。

 派遣、契約社員、偽装請け負い、ワーキングプア、....  働きたくても定職につけない。きちんと働いても暮らしていけない。いつの間には、日本の雇用は大変なことになっています。終身雇用や家族主義経営といった日本型経営の美風はどこへやら。いつからそんな国になってしまったのでしょうか。

 そんな日本の雇用の液状化現象を見事に捉えて、分析しているのが「労働ダンピング―雇用の多様化の果てに」(中野麻美、岩波新書)です。あ然とするしかない非正規雇用の現実が、これでもか、これでもかと紹介されています。しかし、残念ながらこれはすべて現実に起きていることなのです。

 労働問題専門の弁護士である著者は、正規雇用が請負化するなどの昨今の現状は、1986年の男女雇用機会均等法制定、労働基準法見直し、労働者派遣法に端を発すると指摘します。特に影響が大きかったのが、労働者派遣法です。

 当初はOA化に伴うニーズに対応して、専門性のある人の常用雇用による派遣が主流であり、業務内容も専門性の高い26業務に限定されていました。ところが99年の改正では、派遣を許可する業務を特定するポジティブ・リスト方式から、禁止する業務を特定するネガティブ・リスト方式に大転換し、派遣先が一気に拡大したのです。

 さらに2004年の改正では製造業への派遣が解禁になり、紹介予定派遣も法制化されました。こうなるともう制限はないも同然です。ほとんどすべての業種において、派遣先の都合で、自由に派遣を開始したり、終了したり、やりたい放題です。当然、割高の(と言うか、きちんとした処遇の)正規社員はクビにして、企業にとって都合が良く安い派遣社員に切り替え用という動きが加速します。

 つまり、ふり返ってみれば、「雇用の多様化」という錦の御旗の元に制定された労働者派遣法が、すべてのきっかけだったと言えるかもしれません。

 しかし、著者はさらに重要な、鋭い指摘をしています。ちょっと引用してみましょう。
非正規雇用化とこれによる低賃金不安定雇用の広がりが女性を源とし、しかもその非正規雇用は、男女の性役割に規定されて、長時間労働に象徴される働き方の男性モデルに対して、仕事の生活の両立をはかる家計補助的労働としての性質を有し、それゆえに低賃金不安定雇用である
(同書、p.78)

 つまり、日本ではもともと働くことに関して、男女の間に明確な役割分担が存在したのが根源的な原因なのだという指摘です。具体的には、男性は家計を維持するための長時間労働、女性は結婚前や、子育て後の家計補助的な低賃金の専門性の低い労働というすみわけです。

 こうした制度の元では、もし女性が長期間働き続けたとしても、昇給は昇格はほとんど期待できませんし、身分保障すらありません。さらに安い労働力が現れれば、簡単にすげ替えられてしまいます。

 一方男性はと言えば、人生のすべてを会社のために投げ打ち、長時間労働や単身赴任などを断ることはできないのです。これはもちろん、男性にとっても幸せな働き方ではないでしょう。

 そこで著者は、差別の撤廃均等待遇保障をキーワードに、誰もが安心して働くことができる制度を目指した改革を提唱します。より具体的には、働き方のスタイルを男性モデルから女性モデルに切り替えること。さらには、性差や、雇用形態によらない均等待遇、そして安心して働けるよう「リビングウェッジ(生活保証賃金)」を保障することを訴えています。本当は、ごく当たり前のことですね。

 これを実現するために著者は、私たちが自分の損得ではなく、同じ職場の仲間や、同じ人間として、自分の賃金が多少の犠牲を受けることがあっても連帯することや、自治体に「リビングウェッジ条例」を設置させ、これを通じて公正な労働基準を確立する手法を唱えます。

 しかし、正直な感想を言えば、私たちが毎日「生き残りのための競争」をしているようでは、これはかなり困難な目標と言わざるを得ません。しかし、これ以外に有効な方法はちょっと思いつきません。難しくても、やるしかないでしょう。

 著者はこんなことも言っています。「働くことは生きること」、「何もしなければ、悪くなるだけ」。新しい経済の仕組みに対応した新しい働き方は、私たち自身が考え、作っていく必要がありそうです。そのためにはまず、本書を読むことをお勧めします。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。
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2007年04月12日

これは大人の問題だ

 先日ちらりと書きましたが、この夏公開される「それでも生きる子どもたち」の試写会に行ってきました。ブラジル、イギリス、アメリカ、セルビア・モンテネグロ、ルワンダ、イタリア、そして中国の世界7ヶ国に生きる子どもたちの今を切り取った短編のオムニバスです。
kodomo120_60.gifそれでも生きる子どもたち」公式サイト(音楽が流れます!)

 どの子どもたちも思わず抱きしめてあげたくなるのですが、中でも良かったのが「ビルーとジョアン」に出て来るブラジルの貧民街に生きる兄妹。妹思いの、優しくて、強くて、機転も利くお兄ちゃん。きっといい男になると思います。

 他にどんな子どもたちが出て来るかというと...
両親の別離、ストリートチルドレン、HIV胎内感染、少年兵士など、7つの国の子供たちの現実を、7つの国の監督たちが
ドラマチックに描く。
子供時代ならではの恐れを知らない逞しさと、劣悪な状況をも新鮮な遊び場にしてしまう想像力。
と公式サイトでは解説するのですが、それでも僕は何ともやりきれない思いを感じてしまいました。

 たしかに「子供たちは、生きることの天才」です。どんな境遇でも、どんな場所でも楽しもうとしています。しかしそれはおそらく、彼らが単にその世界しか知らないから、自分の境遇を相対視する経験も能力も未だ持ち合わせていないからだけのような気がします。子どもたちがどんな場面でも絶望しないとしたら、それはただ彼や彼女にとって唯一の世の中がそうでしかないから、つまり、世界はそういうものだと信じ切っているからなのではないでしょうか。

 このことはまさに、「ジョナサン」という作品のテーマにもなっています。フォトジャーナリストのジョナサンは、自分が戦地でただ写真を写すだけで何もできないことに、激しく自己嫌悪します。しかし、同じ状況の中でも、子どもたちがそんな最悪の状況も少し楽しみながら生き抜いていることを知り、再び自分の仕事を続けようとする。そんなストーリーです。

 「ここに描かれた子どもたちをどうか哀れまないように。」 監督たちは口々にそう言います。たしかに、彼らは哀れまれるだけの存在ではないし、僕たちが彼らを可愛そうにと思ったところで何も変わりません。でも、だからと言って、子どもたちは逞しいで終わらせるわけにはいきません。

 この映画の中ではほとんど描かれていませんが、ここに登場する子どもたちは皆、実際にはとても傷ついているはずです。表面的いくら逞しく生きているようであっても、そうした傷が彼らの人格形成や、人生観に暗い影を投げかけないことがないとは言えないでしょう。

 そして絶対に忘れてはいけないことは、この7つの辛い物語の原因を作っているのは、すべて大人だということです。戦争、HIV感染、離婚、貧困... すべては大人がもたらしたことであり、子どもたちはただそれを受け止け、その状況の中で「生きていくしかない」のです。なのに、子どもたちは誰一人、泣き言なんて言いません。泣き言を言うのは、大人だけです。

 ですから、僕はこれは子どもたちにエールを送る映画ではないと思います。そうではなくて、こんな境遇の子どもたちが生まれないように、僕たち大人がもっと頑張れよ。そういう映画なのだと思います。

 それにしても、7本の作品の子役たち。みんな無茶苦茶にうまいですね。完全に役になりきっているのですが、なぜ小さな子どもたちにそんなことができるのか、不思議です。たしかに、子供には大変な適応力があるのかもしれません。でもね、それに甘んじるのは反則です。頑張るのは、僕たちですよ。

今日も読んでくださって、ありがとうございました。
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2007年02月25日

少女たちの死因

 数日前に書いたように「世界がもし100人の村だったら」のシリーズ4作目として子ども編が出ていたのを知り、さっそく入手しました。(ちなみに、アマゾンで夜遅くに頼んだのに、翌日の午後には届きました。速過ぎ(^^;)です。こんなことやっているから、みんな過重労働になるんじゃないかと... >関連エントリー「定休日を拡大」)

 この本では、世界中から子どもが消えている。それは「社会にいないことにされている『見えない子どもが』増えている」からだというのが一つのテーマになっています。100人の村のうち34人が子どもなのに、その半数以上はその存在が認められていないというのです。僕たちの知らない世界の子どもたちの実情には驚かされますが、それだけでなく、日本のこんな数値もショッキングです。
50年前、
日本がもし100人の村だったら、子どもは
35人でした。それがいまは
14人です。このまま減ると、2050年には
7人なります。

 少子高齢化っていうのは、こういうことなのですね。持続可能性を考えた場合、僕は人口の減少はむしろ歓迎すべきことだと思います。それでも、これだけの速さで人口構成が変化することについては、十分な対策は必用です。

 さて、この本を読んで、そうなのかと唸ってしまったのがこの文章でした。
世界のお母さんのうち
40人は、避妊の方法を知らず、
1人が、妊娠やお産のために亡くなります。
貧しい国だけだと、100人のお母さんのうち
6人が亡くなります。そのうち
3人は、まだ子どもです。

10代の女の子が亡くなる原因のうち
もっとも多いのは、お産です。
若すぎるお産のために体をこわし
社会や家族からうとまれる女性が、たくさんいます。

 以前、21世紀の国際社会の開発目標として掲げられている「ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)」をご紹介しましたが、覚えていらっしゃいますでしょうか?(詳しくは、「MDGs」)

 このMDGsの最大の目標は、2015年までに極度の貧困と飢餓を撲滅することです。貧困と飢餓が多くの問題の根源的原因であることを考えれば、これが第一の目標になることはわりと容易に理解できます。しかし、MDGsの8つの目標の中で、「HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延防止」や「 環境の持続可能性の確保」よりも先に「妊産婦の健康の改善」が挙げられています。

 もちろん妊産婦の健康管理が重要であることは理解できますが、それがハイライトされる背景にはこういう残念な事実があったのですね。10代の少女が亡くなる最大の原因が、命を産むことだったとは、なんとも皮肉です。こうした悲劇を減らし、人口増加の速度を鈍らせるためにも、避妊や衛生の教育が必要なのですね。

 以上、今日の出典はすべて、世界がもし100人の村だったら 4.子ども編」(池田香代子+マガジンハウス編、マガジンハウス)です。簡単に読めるけれど、多くの気付きに満ちた一冊です。お薦めします。

今日も読んでくださって、ありがとうございました。
エッという発見はありましたか?
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posted by あだなお。 at 23:31| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月04日

こちら側からあちら側へ

 今日から少しずつ仕事に復帰しましたが、今年はまだお休み中という方が多いようですね。街中はまだまだ静かです。

 年末年始の休暇の間にたっぷり本を読もうと思ったものの、ダイビングに出かけるとやはりあまり読書は進みません。潜っているか、食べているか、寝ているかの生活になってしまいます(^^;) そんな中、前から読みたかった「ウェブ進化論 ー本当の大変化はこれから始まる」(梅田望夫、ちくま新書、740円+税)を機中の時間などで読むことができたのですが、期待以上のおもしろさでした。

 ここ数年、インターネットの世界で起きてきたことを鋭い切り口でわかりやすく解説してあり、目から鱗が落ちることしばしばでした。グーグルがマイクロソフトはもちろん、ヤフーなどともまったく異なる世界を目指していることの本質を、ネットの「こちら側」から「あちら側」へという表現で見事に喝破しています。今までは私たち一人ひとりが自分の手元(こちら側)で管理していたハード、ソフト、データを、ネット上のどこか(あちら側)にたった一つの巨大なシステム(グーグル)を作ることで、グーグルはこれまでは誰にも成し得なかった、「世界中の情報を整理し尽くす」という偉業を達成しつつあるのです。

 しかし著者は、このグーグルもいま進行中の変化の最初の一歩でしかないと言います。なぜならグーグルは完全なWeb2.0とは言い難いからです。Web2.0を著者は「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」と定義していますが(同書、p.120)、その重要性は、eベイの創業者ピエール・オミディヤーの次の言葉が端的に示しています。
「道具を人々の手に行き渡らせるんだ。皆が一緒に働いたり、共有したり、協働したりできる道具を。「人々は善だ」という信念から始めるんだ。そしてそれらが結びついたものも必然的に善に違いない。そう、それで世界が変わるはずだ。Web2.0とはそういうことなんだ」(同書、p.121-122より)

 なんというパイオニア精神、そして、なんというオプティミズムでしょう。しかし少なくともITの世界とそれが大きな影響を及ぼし得る世界では、このような考え方と、それを具現化するIT技術の進化が、実際に「世界」を変えつつあるのです。今はまだその影響は「あちら側」に関するものが多いのですが、その波は確実に「こちら側」にも押し寄せるはずです。

 これ以外にも、オープンソース現象の意味や、現実に動き始めたマス・コラボレーションなど、興味深い流れが説得力のある具体例で紹介されています。次にはどのような現象が現実のものとなるのだろうか? その結果、僕たちの社会はどのように変化していくのだろうか? 久々にかなり興奮を覚えながら読み終えました。

 著者はこうした状況を一貫してオプティミティックに紹介していきます。しかしそれは無責任なオプティミズムではなく、「積極的に未来志向で考え、何かに挑戦したいと思う若い世代を明るく励ます」ことが、「シリコンバレーの『大人の流儀』たるオプティミズム」だからだと言います。(同書、p.246)

 この考え方には賛成ですし、きっとこれが次のブレークスルーを生むのだろうと期待します。それではこうしたWeb2.0の力をいかにあらゆる課題に、あらゆる社会現象に応用できるのか。それが、これから私たちが考えなければならないことだと強く感じました。もちろん僕が一番興味あるのは、これを持続可能性の確立や環境問題の解決にどう活かすかです。

 おもしろい世の中になって来たぞ。本気でそう感じさせてくれる刺激的な本でした。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。
サスラボもWeb2.0的活動を目指します。
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posted by あだなお。 at 23:59| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月23日

2020年の日本

 サスラボのプロフィールにも書いてあるように、僕の個人的なミッションは、2025年までに持続可能な社会の基礎を作り、次の世代に手渡すことです。実は2025年という年にあまり深い意味はなくて、2020年でもいいのですが、個人的にはキリがいいので2025年としています。

 このように長期間にわたって大きな変化を起こそうとする場合、重要なのは辿り着く先、つまりゴールの姿を明確にすることです。この目指すべきゴールのことを、ビジョン(vision)と言います。明確なビジョンを思い描き、これを共有することで、私たちはそのゴールに向かって力を合わせていくことができるのです。

 それでは、2020年、私たちは今どんな日本を目指しているのでしょうか。環境や社会のことに配慮をして、私たちがめざすべき2020年の日本、それを考えるヒントになる本「未来をスケッチ Vision 2020」(GRI日本フォーラム 2020年の日本を創る会編、麗澤大学出版会、1800円+税)がこの度出版されました。

 著者名を見ればわかるように、実はこの本はサスラボにもしばしば登場するGRI日本フォーラムが関わっています。GRI日本フォーラムは、企業のサステナビリティレポートの汎世界的なガイドラインであるGRIガイドラインの普及を目的とするNGOですが、そうした活動以外にも、持続可能な社会を実現するための2020年の日本を考え、2020年までに日本を変え、2020年の日本を創っていこうという有志による活動なども行っています。今回の本は3カ年に渡るそうした活動をまとめたもので、僕も一つ寄稿しています。

 構成は以下のようになっています。
第1章 サステナブルな社会―物語で読む2020年
 通勤ラッシュよ、さようなら:通勤編
 従業員が元気になると社会が元気になる:ワーク&ライフバランス編
 日本食が世界の憧れに:食卓編
 ワンダフル子育て2020年:子育て編
 学校選びの自由が子供たちの可能性を広げる:教育編
 気の合う人たちが密につながるコミュニティ:コミュニティ編
 2020年の恋人模様:デート編
 麻子一家の週末エコツアー:家族の休日・旅行編
 2020年のお役所とその周辺事情:社会の枠組編
第2章 動き始める世界―世界の「未来計画」
 世界の「未来計画」
 世界の「未来計画」一覧
 各国の「未来計画」
 「未来計画」の入手先と各国情報の出典
第3章 日本の進む道―私たちからの提案
第4章 ひとりひとりの描く未来―個人のアクションプラン
第5章 2020年までに起こること―未来年表
 2020年の日本を考える未来年表
 2020年から、その先の「未来」へ
 キーワード


 2020年のビジョンが一つにしっかりとまとまったわけではありませんが、おおよそどんな社会にしたいか、いくつかの物語を通して描いたのが第一章の「サステナブルな社会―物語で読む2020年」です。

 そして、実は世界各国ではすでに2020年を目指した活動や政策が実施されているのですが、それが第二章で紹介されています。この部分は資料として非常に有用だと思います。

 第三章は私たちからの提案ということで、ライフスタイルや価値観も含め、持続可能な社会にフィットした、新しい暮らし方と社会像を示しています。

 2020年の社会を実際に作り上げていくのは、もちろん私たち一人ひとりです。そして、私たち一人ひとりが、個人としてどう生きて行くかも同様に長期計画で考える必要があります。皆さん自身のアクションプランを書き込むページも用意されています。

 そして最後の第五章。未来を予測することは一般には非常に困難ですが、既に計画として決まっていることや、専門家が予想したり期待したりしていることが整理されています。この通りになるわけではないでしょうが、これもまた、2020年を考える上で重要な資料です。

 本書の最後でGRI日本フォーラム会長の木内孝さんは、最大の敵は無関心であると指摘しています。そして、この本を出版する目的を、「国造りのロードマップのない我が国に、経済大国の次に何を創るかの大切な命題に私たち一般市民から応えて行く運動を始めたいから」だと締めくくっています。

 未来の社会は誰か特別な人たちだけのものではありません。私たち自身のものです。そして、それを作り上げるのも誰か専門家の仕事ではありません。私たちの考えること、価値観、毎日の生活の積み重ねが2020年の日本を作るのです。それが私たちの望んでいなかったものにならないように、どのような社会をめざすのかを考え、一緒に創っていきませんか?

今日も長文をお読みいただき、ありがとうございます。
将来の社会を考え、創るために、サスラボは役に立っていますか?。
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posted by あだなお。 at 23:59| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(1) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月17日

ゆとりある国へ

 以前「フローからストックへ」というエントリーで、日本人は頑張って長時間働いているのになかなか豊かになれない。その理由は、日本が「使い捨て」型、つまりは資源を大量に消費するフロー型の国だからであると指摘しました。そしてこれとは逆に、家も、家具も、車も、電化製品も、修理したりしながら大事に使えば、つまり、資産を大切にするストック型の社会にすれば、生活コストはずっと下がり、生活にゆとりが出てくるはずだとも書きました。

 フロー型社会からストック型社会への転換は、単に私たちの生活にゆとりをもたらすだけではありません。環境に与える影響も小さくすることができ、持続可能の高い社会になるはずです。では、どうやったら今の社会をフロー型からストック型に変換することができるのでしょうか? ストック型社会とは、具体的にはどのような社会なのでしょうか?

 私たちが目指すべきストック型社会とはどのような社会なのか。また、そのことと資源に関する地域の自立はどような関係にあるのか。そうしたことを説明した「ゆとりある国・日本のつくり方―ストック型社会転換マニュアル」(岡本 久人 (編著), 平澤 冷(監修)、電機書院、2600円+税)がこの度出版されました。

「 ゆとりある国・日本のつくり方―ストック型社会転換マニュアル」 目次
第1章 バックキャスティングで考える
第2章 地域資源自立圏の形成 森林資源
第3章 地球温暖化に伴う気候変動と災害リスク
第4章 地球の人間圏 ストック型地域都市圏
第5章 ストック型社会における離散的居住圏のあり方について
第6章 ストック型社会の形成と都市・住宅
第7章 ストック型社会に向けた地方自治体の取り組みの現状と課題
第8章 ストック型社会と社会システム
第9章 ストック型社会形成に向けた日本の政策

 さらに詳しい目次はこちらでご覧いただけます。
■「ゆとりある国・日本のつくり方」(電気書院)

 僕は第一章の「バックキャスティングで考える」を担当し、以下のような内容を執筆しました。
 ・ストック型社会とは
 ・継続不可能な社会
 ・予想される近未来
 ・バックキャスティングという考え
 ・危機を回避するための日本のシナリオ
 ・地域自立圏の必要性

 今のままで行くと、私たちの社会がいかに持続不可能であるか。このまま進んで悲劇を迎える前に、まず持続可能な社会のあり方を明確に描き、そこからバックキャスティングで考える方法を提案しました。そして、ストック型社会と地域自立圏を築くことが必然的であることを説明しました。

 地球環境を持続可能に近づけ、同時に私たちの生活もゆとりがあるものにする。このことにご興味のある方には、是非ご一読いただければと思います(チョット高いんですけど(^^;))。なぜなら、ゆとりある国を作るのは、そのような国を求めている私たち自身だからです。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。
こんな本はお役に立てそうですか?
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posted by あだなお。 at 22:06| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

「物乞う仏陀」

「物乞う仏陀」石井光太、文芸春秋、1571円+税

 アジアの大都市を歩いていると、物乞いの姿をよく見かけます。それもただの物乞いではなく、どこか身体に不自由なところがあったり、赤ん坊を連れた女性だったりします。

 これについて、同情を引くために親がわざと子供を不具にするのだとか、赤ん坊も借りているのだとか、おぞましい話も聞きます。たしかにあまりに障害を持った人の数が多いし、赤ん坊とそれを抱く女性がミスマッチに見えることも多くあります。

 それが単なる噂ではないことを、実際に自分の目で確かめたのがこの本です。社会調査とか、報道とか、そんな大義名分があったわけではなく、単に著者の個人的な興味を、いや好奇心と言った方が正確かもしれませんが、どんどんと深めていった私的記録です。

 著者自身もそのことは素直に認めていて、後書きにも「正義と理屈を述べるよりも個人の心情を書き綴った」とあります。それが故に、時に著者のやじ馬的な視線にぎょっとすることもあるのですが、普通であれば目を背けたくなる現実をひたすら深く追っていこうとする姿勢は、著者なりの覚悟なのかもしれません。

 著者のそうした愚直ともいえる好奇心のおかげで、私たちは普通であれば見ることのない、知ることのない、アジアの深部を一緒に探ることになります。

 かなりキツイ場面も多く、全ての方にお薦めしようとは思いません。それでも、僕は貴重な追体験ができたことに感謝しています。今すぐに自分で何かをできるわけではないのですが、それでも知っておくべきことだとは思いました。なぜなら、この本のおかげで、いくつかの大切な示唆を得たからです。

 例えば、物乞いを「仕事」としてする人々。たしかに彼らは、不運な境遇にはあるのだけれども、それでも生きるために、家族を養うために、あえて職業として「物乞い」を選んでいるのです。それが望ましい状態であるわけではないのは勿論ですが、何をしてでも自分の力で生き抜いてやるんだというたくましさには、安っぽい哀れみなどはね返してしまう強さがあります。

 そしてもう一つ、持続可能な社会のための知恵として絶対に覚えておきたいと思ったことがあります。

 障害のある子供が生まれると、豊かではない家庭は、大変な困難に直面することになります。両親のどちらかはその子供につきっきりとなり、もともと豊かでない一家はたちまち経済的苦境に陥り、疲弊して、崩壊していくのです。

 ところが、障害のある子供が生まれても、たとえ経済的に豊かではなくても、精神的には豊かに、おだやかに暮らす家族もあります。

 その違いは、何だと思いますか? それは、障害のある子供を一家だけで面倒を見なければいけないのか、それとも地域全体が支えてくれるかの違いなのです。

 家族が孤立せずに、周囲の人たちがみんなで当然のように支えてくれる地域においては、障害のある子供はその地域にむしろ幸福をもたらす存在なのです。

 日本でもかつては各地に「福子伝承」があり、そうした子供は、「福子(ふくご)」あるいは「宝子」と呼ばれて大切にされたと言います。

 しかし、最近の日本ではどうでしょうか? 福祉の充実の名の元に、そうした子供たちは地域からは切り離され、多少の公的な支援はあるにしても、本当の負担は、以前よりもずっと小さくなった、家庭の中に閉じこめられているしまっているということはないでしょうか

 この本に登場するたくさんのたくましい人々を支えているのは、実はいずれの場合も、家族であり、仲間であり、地域の人たちだということは、きわめて示唆的であると言えます。その意味で、孤立した先進国の路上生活者は、家族や地域の絆が強いアジアの物乞いよりもさらに辛い立場に置かれているのかもしれません。

 しかしこれだけは本当に悲惨だと言わざるを得ないのは、内戦も含めた戦争による障害、麻薬による障害、そして最後の章に書かれたインドのレンタルチャイルドです。こうした負の連鎖をどう断ち切っていくのか。残念ながら僕自身は有効な回答を提出できませんし、著者も何もヒントは与えようとしません。

 次にどこかの都市で「物乞う仏陀」に出会った時、少なくとも見なかったことだけにはするまい。その存在を現実だと受け止めることが、まずはなすべきことのように思いました。

今日も長文を読んでくださって、ありがとうございました。
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posted by あだなお。 at 23:59| 東京 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 本・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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