2010年11月24日

私たちは何を食べさせられているのか

 食べるってとても大切なことですよね。人間は食べなければ生きていけないし、あたり前ですけれど、私たちの身体は、私たちが食べたものでできている。そして、それを支えてくれるのは他の生きものたちの命。だから、食べることは命のリレー

 そんなことを私たちは誰でも知っているはずですし、だからこそ他の生きものの命も大切にしなければならないことも理解しているはずです。肥沃な大地で育った穀物、太陽をいっぱいに浴びて育った野菜や果物、豊かな自然環境に囲まれて育った家畜。そんな健康的でおいしい食事を、私たち誰もが欲していますし、そんなものを食べている気になっています。

 しかし実際にはそうではないということは、皆さんもう薄々気がついているんではないでしょうか。しかし、これほどまでとは、この映画を見るまでは思わないでしょう。私たちが何を食べているか、いや食べさせられているか、その現実を突き付けてくれる映画が間もなく日本でも公開されます。

 映画の名前はその名も"Food, Inc."、つまり「フード・インク」=「食品株式会社」です。食品は今や農場ではなく、「工場」で工業的に作られているということを象徴したタイトルです。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、大規模農場に詰め込まれるだけ詰め込まれて飼育された家畜や、近代的農場や温室で作られて大型機械と大型工場で処理、パッケージされている食品は、たしかに工業製品という名前の方が相応しく思えます。



 こうした「工業化」は、効率化という名のもとに行われ、その結果、今やごく少数の大資本が寡占しています。アメリカではわずかに4社が全米の牛肉の8割を支配しているというのですから驚きます。かつては全米で数千とあった屠殺場は、今や13に集約されたそうです。あの広いアメリカで、たったの13です。そして、一時は優良な職場であったのが、今や不法移民による危険な職場になってしまっているのです。

こうなると地域の企業はもちろん、個人農家などもう誰も反抗できません。こうした寡占企業のやり方にNoを言えば、農業を続けることは出来ないからです。それどころではありません。大腸菌で汚染されたハンバーガーで幼子を失った母親がハンバーガーのことを発言しただけで、訴えられるというのです。もう無茶苦茶です。

 日本はさすがにここまで酷くはないと思いますし、それが救いなのですが、このまま日本の農業も自由化が進めば、あっという間にアメリカの大農業企業に取り込まれてしまうかもしれません。しかも、それは単に経済的な問題というわけではないのです。

 なぜなら、これほどの集約化が行われて、必ずしも経済的にメリットがあったというわけではないからです。むしろ食品が安くなったのは、政府からの補助金でトウモロコシや大豆などの穀物が異常に安くなったことが大きいのです。その結果、牛も、豚も、鶏も、まぐさではなくトウモロコシや大豆の濃厚飼料で促成肥育され、また、トウモロコシを原料としてありとあらゆる食品・飲料が格安で作られるようになった部分が大きいのです。

 お店買うハンバーガーの価格が、家で作る食事よりもとてつもなく安く、炭酸飲料の価格がミネラルウォーターよりも安いのは、まさにそうしたカラクリがあってこそなのです。しかし、そんなものを食べ続けていれば、飲み続けていれば、どうなるかはお分かりでしょう。肥満や成人病の治療にかかるコストを考えれば、個人にとってはもちろん、社会全体にとっても決して安くない食事なのです。

 この映画は名著「ファストフードが世界を食いつくす」の著者エリック・シュローサーが共同プロデューサーとして参加しており、当初は「ファストフード..」のドキュメンタリー版ということで企画が始まったそうです。しかし、それをすべて映像化することは難しく、途中で方針変更となったそうですが、それでもその本に出て来るエピソードのいくつかが映像で表現されており、印象的です。

 例えば、ハンバーガーに含まれる大腸菌で、アメリカでは少なくない子どもたちが死亡するという痛ましい事件が過去に何度も起きています。なぜそんなことが起きるのか、「近代的工場」の規模やプロセスを見れば、一目瞭然でしょう。

 しかしもっと衝撃的だったのは、O-157などの悪性の大腸菌は、濃厚飼料を食べさせられた牛の胃の中で発生したという事実です。牛の胃はもともと濃厚飼料を食べるようには出来ていません。まぐさを食べていれば健全に機能する牛の胃でも、濃厚飼料を食べ続けさせるとおかしな菌を作ってしまうというのです。

 いまアメリカの人々に起きていることは、もうその随分前に動物たちに起きていたということなのかもしれません。そしてこのまま放っておけば、日本でも同じことが起きてしまうのでは。そんな背筋の冷たくなる未来が脳裏に浮かんで来ます。

 それでも、この映画には救いも用意されています。そのアメリカでも、いやそういうアメリカだからこそかもしれませんが、昔ながらのやり方、つまり有機農法で安全な食品を、無理のない量だけ作っている人たちがいるということです。

 そして昔ながらのそのやり方は、「近代的工場」のような管理をしなくても、はるかに安全で、そしてはるかにおいしい食品を提供できるということです。価格は激安ではないかもしれませんが、その内容を考えればリーズナブルであり、長い目で見れば決して高くないはずです。

 「システムを変えるチャンスが1日に3回ある」といいます。そう、朝食、昼食、夕食に何を選ぶのか、何を食べるかです。
[食の安全のために私たちができること]
ー労働者や動物に優しい、環境を大事にする企業から買う
ースーパーに行ったら旬の物を買う
ー有機食品を買う
ーラベルを読んで成分を知る
ー地産食品を買う
ー農家の直販で買う
ー家庭菜園で楽しむ(たとえ小さくても)
ー家族みんなで料理を作り、家族そろって食べる
ー直販店でフードスタンプが使えるか確かめる
ー健康な給食を教育委員会に要求する
ー食品安全基準の強化とケヴィン法を議会に求める

 すべての食事で完璧にというわけにはいかないでしょう。それでも、出来るだけまっとうな食品を選び、まっとうな食事をする。その行動が自分と社会と環境の健康のためにとても意味がある、そんなシンプルなことを改めて意識させてくれる映画です。

 私たちは、私たちが食べたものでできています。それと同じように、私たちの社会は、私たちが選んだ方に進んでいくのです。今までも食べ物に気を付けていたつもりですが、これからは値段ではなく、質で選ぼう。そう固く決心させてくれた作品です。

 公開はお正月から、シアター・イメージフォーラムを皮切りに全国で行われる予定だそうです。ぜひ皆さんもご覧ください。詳しい内容や公開スケジュールについては、以下の公式サイトからどうぞ。
「フード・インク」公式サイト

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2010年10月07日

ワクワクする村

 今日からマニラなんですが、その話をする前に、先週岡山で聞いてきたおもしろい話をご紹介しましょう。
 岡山市で企業にとっての生物多様性の意味を考えるシンポジウムが開催されて、僕も参加して来たのですが、そこでお聞きした西粟倉村(にしあわくらむら)の取り組みが大変素晴らしいものでした。

 僕もそうですが、この村の名前を聞いて、どこにあるかすぐに分かる方はほとんどいらっしゃらないと思います。岡山県をネコのような動物の顔に喩えると、右上に耳のよう飛び出た小さな突起部分が、西粟倉村です。岡山に残る2つの村の一つです。

 つまりなんとか市町村合併を逃れた、しかし人口1600人あまりの、老齢化した山村です。失礼な言い方をお許しいただければ、森しかない、そんな村です。もちろんその森も、林業も、ご多分に漏れず衰退気味だったのです。

 しかし、一つ他の山村と違ったのは、諦めなかったことです。まだなんとか体力の残っているうちに、現状を変えようと思ったことです。誰が? おそらくもっとも腹を括ったのは村長さんでしょう。

 日本の山村はどこも、個人の小さな山持ちの集まりで、効率の良い施行が出来ず、そのことが林業がもうからない理由になっていると言われます。そこでこうした土地を買ったり、借りたりして、大面積で施行しようとするのですが、土地に対するこだわりもあり、なかなかうまく行かないのです。

 ところが西粟倉村では、すべてのリスクは村が負いますから、森だけ貸してください。50年前に植えられた樹を、これから50年間は村が守り、100年かけて資産価値の高い美しい森にするという「100年の森構想」を打ち出したのです。

 村人がすることは、村と管理協定を結び、土地を提供するだけ。費用や作業の負担はありません。なにしろ、すべてのリスクは村が取るのですから... 森林管理はもちろん生物多様性などにも十分に配慮した形で行い、何年か後には、全村(!)がFSC認証の森になる計画だそうです。
《参考リンク》
■「あなたの山をお預かりいたします。百年の森構想」(西粟倉村)

 森林管理の方法としてのアイディアもすごいのですが、それ以上に、自治体がこんなことを出来るのだというのが、本当に驚きでした。

 しかし驚くのはこれだけではありません。森林管理は村が事業として行うのですが、この木材を使って新しい産業を起すことが、こちらは他の地域からやって来た元気な若い人たちによって行われています。既に40人(すみません、いま出張中で手元にメモがないのでもしかしたら記憶が違っているかもしれませんが(^^;))がIターンで移住してきているのです。木工作家を始めとする才能と自由な発想に溢れた若者たちが、西粟倉で育った木を使って、新しい価値を生み出しているのです。
《参考リンク》
■「ニシアワー」(西粟倉・森の学校)

 その結果、まるで村全体が一つの組織のように(説明してくれた牧大介さんは会社のようとおっしゃっていましたが)、機能しているのです。この上のリンクの「西粟倉・森の学校」も、自社のことを「西粟倉村の営業部」と自称しているほどです。

 いやー、おもしろいなぁ。こんな風に出来るんだな。楽しそうだな。そんな月並みな言葉しか出てきませんが、話を聞いているだけで興奮してくる、ワクワクしてくるなんて、久しぶりの経験です。しかも、そんな場所が日本の中で現在進行中というのがすごく嬉しいですね。

 今回はお話をお聞きするだけでしたが、必ず一度訪問して、自分の目でいろいろと見たいと思っています。村長さんにもお会いしたいなぁ。そのときには、よろしくお願いします。>西粟倉村の皆様

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2010年09月23日

飽きない味、飽きない街

 これまで海外というと、仕事でもプライベートでも東南アジアが圧倒的に多かったのですが、去年、今年となぜかわりとフランスと縁があります。というわけで(?)、先週は一週間パリに出張してました。

 月曜日は、先ほど22:50までNHK BS1で放映されていたPROJECT WISDOMの「生き物を守る"コスト"は誰が払うのか 〜途上国 vs 先進国〜」にビデオ中継で出演。別に演出というわけではないのですが(笑)、たまたまスケジュール上、こうなってしまったのです。

 翌日火曜日から木曜日までは、ビジネスと生物多様性オフセットプログラム、通称BBOP(Business and Biodiversity Offsets Program)のアドバイザリーグループの会合でした。生物多様性オフセットの国際ルール作りのために、原則、判断基準(criteria)、指標(indicator)作りの作業と、途上国に制度を導入するためのコンサルテーションが中心でした。日本からは僕を入れて4人が参加。企業からの参加者も2社あり、日本の企業の間でも少しずつ関心が高まっているのだと思います。

 しかし、もっとすごいのは途上国で、今回はアフリカとアジアからそれぞれ3ヶ国、計6ヶ国が参加。いずれも関係省庁の担当責任者で、これらの国へ生物多様性オフセットのプログラムを導入するための準備が始まっているのです。このまま進めば、これらの国々では、日本より早く制度が導入されるでしょうね。
 
 さて、ホテルに終日缶詰めとは言え、パリで会議だと嬉しいのは、食事がおいしいこと(笑) 朝食のパンとカフェも、コーヒーブレークのプティフールも、いちいちおいしいので、ついつい食べ過ぎてしまいます。もちろん夜もゆっくり食事を楽しみ、最後はフロマージュにデゼール... かなりカロリー過剰です(^^;)

 しかし、おもしろいのは、食べ物はおいしいし、いつもたっぷりなのですが、その内容はおそろしく保守的であることです。朝食のパンだったら、クロワッサン、パン・オ・ショコラ(チョコ入りのパン)、バゲットなどといつでも、どこでも、ほぼ決まっています。街中にたくさんあるブーランジェリー(パン屋さん)の店頭にもおいしそうなパンやケーキがたくさん並んでいますが、どこのお店でもバリエーションはほぼ同じ。食事も店によって若干の違いはあるものの、メインの料理などはほぼ同じ。

 もちろん味つけやプレゼンテーションは店毎にまったく異なるので十分楽しいのですが、日本のように変に凝った、不思議な新メニューは、あまり登場しません。保守的、頑固、変化が嫌い。ネガティブに捉えることもできるかもしれませんが、奇を衒ったりしなくても、完成度が高く、時代を超えた価値(おいしさ)に対する自信があるのだとも言えるのではないかと思います。

 一つひとつがおいしいことや、毎回時間をかけてたっぷり食事を楽しむことを見ていれば、食に対する興味が高いことは間違いありません。しかし、求めるものの方向性が、新しいもの、変わったもの、ではなくて、今までと同じでいいので、変わらぬ良いもの、なのでしょう。そして実際、同じようなメニューでも、決して飽きを感じることはありません。

 これは食べ物だけでなく、町の景色についても同じことが言えるように思います。ご存じのように、パリの街の中心部は、この百年ぐらい、あまり変わっていません。もちろんガラス張りのモダンな建物もいくつかはありますが、建ててから二、三百年という建物も少なくありません。その間に、電気を使うようになり、今やインターネットや携帯電話のネットワークも張り巡らされているのですが、電信柱やアンテナの類はほとんど目に付きません。建物の中は大幅に手を入れてリノベートしてあっても、公共の財産である建物や街の景観は、新しくするよりも、完成された、古いものを守ることに意味があると考えているのでしょう。

 そしてそのことが、フランスの観光客数世界第一位を揺るがぬものにしている一因であることは間違いないでしょう。翻って、東京に戻ってきて見れば...  統一感のかけらも感じられない、色と形の不協和音だらけの街並みに、毎度のことながら溜息が出てきます。一つひとつの建物は随分立派なものや、凝ったデザインのものあります。そしてもちろん、建物の新しさという意味では、圧倒的に新しいものばかりです。なのに、美しさやアイデンティティがまったく感じられない街並み.... かたや時間を経るほどに価値が高まるのに、かたや生まれたときがもっとも輝いていて、あっという間に価値は低下。同じお金をかけているのに、もったいないことです。

 食べ物も、珍しいもの、新しいものはたくさんあっても、しみじみとおいしいものは案外限られているのではないでしょうか。安いもの、珍しいものは、はじめのうちこそ人を惹きつけられるかもしれませんが、すぐに飽きられてしまいます。しっかりとした中身のある、きちんとした食べ物は、用意するのに手間もかかりますので、それなりの費用もかかります。しかし、その普遍的な価値はなかなか色褪せることはありませんし、その中でさらに深めていくという愉しみもあります。本当は日本人は、決められた枠の中でとことん突き詰めていくということが得意だったのではないかと思うのですが...

 変わらないけれど、飽きさせない。そのためにはどうしたらいいのか? 持続可能性を考えるのに、そんなことがヒントになりそうな気がしました。

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2010年09月10日

情報開国!?

 日本の消費者は大人しい。いや、自分自身の損得や安全性に関することには必要以上に厳しいのに(^^;)、他人のことや社会全体のことになるととたんに感心が薄くなる。そんなちょっと寂しい傾向がこれまでよく指摘されましたし、それが日本のCSRをややユルイものにしているという分析も言われます。

 実際、サスラボでもご紹介したネスレに対するグリンピースの強烈なネガティブキャンペーンも、日本語サイトが作られたにも関わらず、日本国内ではさほど話題になりませんでした。児童労働についても、海外では大スキャンダルになるのに、日本ではせいぜい社会面に小さく載るぐらいです。

■「NGOを舐めてはいけません

 ところが、最近なんだか、日本の消費者も変わって来たのかなと思うことが増えてきました。例えば、無印良品がイスラエルへ出店することに対する反対キャンペーンであったり、資生堂などに対して大規模な動物実験反対のキャンペーンが行われたりするようになっています。

《参考リンク》
■「Stop無印良品キャンペーン:アパルトヘイト国家イスラエル出店に反対します
■「化粧品の動物実験反対キャンペーン

 こうした動きが広がってきた一つの理由は、やはりインターネットでしょう。これまでは消費者=一般市民は情報の受け手でしかなかったのが、自由に発信できるようになったということが大きいと思います。

 いや、webならもう10年前、いや20年近く前から始まっている、という反論が聞こえてきそうですが、最近になって変わってきたのは、webよりむしろSNSやソーシャルメディアの台頭が大きいのではないかと思います。

 実際、僕もこうした情報の多くをtwitterで入手していますし、自分自身も中継点となって、それがどんどんと拡散していきます。つながりが多いユーザが発した言葉は、それがたとえ一般市民の発言であっても、あっという間に数万人、数十万人に伝搬するのえす。

 もしかしたらこうした活動そのものは、これまでも草の根でたくさんあったのかもしれませんが、そうした情報が伝わるようになったということが大きいのだと思うのです。そして、さらにそうした情報が刺激となって、自分自身でも情報を拡散させていく。そのスパイラルが効き始めたということです。

 またもう一つ興味深いことは、ツイッターをはじめとするインターネット上で流れている情報と、マスコミが発する情報との間に随分ギャップがあることが明らかになってきたということです。もちろん一律にどちらが正しい、間違っているとは言えないのですが、マスコミが発する情報がすべてではない、必ずしも正しいとは限らない、そのことに多くの市民が気がつき始めているように思います。

 たしかに「日本人は大人しい」のかもしれません。しかし、情報を知ってしまった、そして自分でも情報を発信できるようになった日本人は、これまでと同じままでいるかどうかはわかりません。ちょっと大げさなこと言えば、ソーシャルメディアという黒船の登場で、情報鎖国が開国しつつあるのかもしれません。

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2010年03月31日

黄砂が見えた!

 先日、3月21日に名古屋大学でCOP10 PreConferenceが開催された日の朝のことです。大学へ移動するバスから見た景色が随分と煙っていて、この季節は名古屋は靄が多いのかなぁなどと思っていたら... 実はこれは黄砂だと知って、後から随分とびっくりしました。九州ではしばしば影響があるのは聞いていましたが、まさか名古屋までこんなになるとは、です。

 しかし、以下のニュースを見ると、むべなるかなとも思います。

 中国は本当に大変なことになっていそうですね。中国政府も対策には本腰を入れており、国内での森林伐採の禁止はもちろん、植林「面積」も毎年増えています。ただその効果が出るには、まだしばらく時間がかかりそうですね。

 自然の変化を考える際には、こうしたタイムラグも十分に考慮しなくてはいけませんし、また限界を超えてしまうと元の状態には戻れなくなってしまうことにも注意が必要です。さて、果たして中国の植生は本当に元に戻すことが出来るのでしょうか?

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2010年02月22日

インドネシアの大進化!

 今週は、会議のためインドネシアのバリに来ています。前にも書いたかもしれませんが、インドネシアは短期でも入国にビザが必要。ただし、事前に大使館に申請しなくても、空港に到着したときにVisa on Arrival(VOA)と言って、その場で発行してくれます。というか、要は入国税みたいなものです(^^;)

 問題は、そのビザを取得するために列に加わって待たなければいけないことです。そしてやっとビザを取った(買った?)かと思うと、今度はイミグレーションの長い列が... そんなわけで、飛行機を降りてから、空港を出るまでにかなりの時間を要し、それだけですっかり疲れてしまうのです。

 やれやれ今回もまたそれをしなくてはいけないのかと思ったら、なんと「2月から機内でビザが取れます」とのこと! つまり、今度はVisa on Boardというわけです。

 今のところガルーダだけのサービスのようですが(というか、ガルーダに乗ってもらうための国策かもしれませんが...(^^;))、成田空港でチェックイン後、VOAの代金を支払い、レシートを受け取ります。そして機内での食事が終わった頃、日系の飛行機だったらCAが機内販売のカートをゴロゴロと押して来る頃に、制服を来たインドネシア人の男性係官がカートを押して来て、一人ひとりのパスポートとレシートを確認して、ビザの発給をその場で行うのです。

 小さなシール状のビザをパスポートに貼ってくれて、機内で手続きをしたことを示す青いカードを渡されます。一応パスポートは機械で読み取りますが、何も質問もされないし、機械はオフラインでしょうから、なんのチェックもできないと思います。

 で、インドネシアに到着後ですが、空港ではVOAのカウンターの前は素通りして、そのままイミグレーションへと進みます。これだけでもずいぶんと早いなぁと思ったら、なんとイミグレーションでも件の青いカードを渡すだけなのです! つまり、入国審査までが、機内で済んでしまっているのです。つまり、Visa on Boardではなく、Immigration and Visa on Boardなのでした。

 そんなわけで、飛行機を降りてからほとんど並ぶこともなく、あっという間に荷物受け取りのターンテーブルまで進むことができました。以前はそこまで最低30分、下手をすると1時間以上かかることもありましたから、大進化です!

 ただちょっと気になるのは、先にも書いたようにパスポートを機械で読み取っただけなので、これで本当に入国審査が出来ているのかなぁというのと、以前は7日間までのビザは10ドル、30日間までが25ドルだったのが、一律25ドルになったことです。日本人はたいてい7日間以内に帰国することが多いでしょうから、実質値上げです。

 それでも、長時間並ばなくて済むようになったのは素晴らしいことで、インドネシアも結構頑張っているなぁと感心しました(本当は短期の訪問はビザ不要になれば一番いいのですけれどね...)。
《参考リンク》
■「機内入国サービス(到着ビザ・機内取得プログラム)」(ガルーダ・インドネシア航空)

 でも、世の中にはもっと頑張っている国もあります。僕が今まで一番感心したのは、カンボジアです。カンボジアは何年も前からe-Visaと言って、インターネットでビザが申請できるようになっているのです。

 webページで必要な項目を記入し、写真をアップロートし、クレジットカードで費用を支払うと、メールで受領書とe-Visaが送られてくるのです。これを印刷してイミグレーションに提出すると、その場で本物のビザをすぐに印刷してくれるというシステムです。

 さらに感激するのは、その申請が英語だけでなく、世界25カ国語で出来ることです。もちろん日本語も含まれています。これにはさすがに舌を巻きました。さすが、慣行に力を入れている国だけのことはあります。
《参考リンク》
■「Cambodia e-Visa」(カンボジア政府)

 翻って、日本はどうでしょうか? 観光庁の英語サイトを見てみたら、ビザはトップ画面に記載がなく、Visit Japan Campaignのページの一番下に「ビザの必要性について」という項目があり、「外務省の以下の公式サイトを参照してください」と書いてあり、リンクはなくて、URLの文字列が記入してあるだけです。これを自分でコピペしないといけないのです! いくら何でも、これはないでしょう。本気で観光客を増やしたいと思っているのか、疑問になってしまいます。

 「お役所だからこの程度」なのではなくて、役所だって工夫次第でいろんなことが出来るのです。やる気のあるなしは、いろんなところで見えてしまうものですね。

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2009年12月10日

頼りの情報源

 皆さんは日頃どんなメディアから情報を仕入れていらっしゃいますか? もちろん新聞、テレビ、雑誌という方が今だ多いと思います。インターネットからという方も増えていらっしゃるとは思いますが、それでも、新聞やテレビなど、既存の大メディアのネット版でニュースなどを読んでいる方がまだ大部分なのではないかと思います。

 僕にとっては最近、ツイッターが非常に重要な情報源になってきました。いま120人ほどの方々をフォローしているのですが、そうした方々の「つぶやき」、いえ発言には、自分の興味とピッタリのものに加えて、自分とは微妙に違った興味や視点の発言もあり、自分の興味を中心に、ちょうど良い広がりをもった範囲の情報が、実にうまく入手できるのです。

 もう一つ良いのは、既存の大メディア発の情報に加え、マイナーなメディアや、個人の発信する情報をソースとする発言も多く、これが実に役に立つのです。というのは、そうした情報の多くは、既存の大メディアではまったく報道されないか、報道されたとしてもかなり違った角度からになっている場合が多いからです。

 ハッキリに言えば、現在の大メディアの多くは、多かれ少なかれ、体制寄りの「大本営発表」に成り下がっているように感じることも多く、それだけではどんどん自分の視点が狭く、偏ったものになりそうな気がします。

 もちろん逆にマイナーなメディアや、個人発の情報も、別の方向に偏向していたり、間違っている場合もあるでしょう。しかし、その両面を知っておくことが大切でしょうし、どうも大メディア以外のものの方が、真実に近い気がすることも多いのです。

 例えば、今日こんなことを教えてもらいました。日本のエネルギー用途の化石燃料の輸入額は、「10年前までは毎年5兆円程度だったのが、23兆円にも増えている。主因は価格の上昇。実に4倍以上になっている。」のだそうです。
importedfuel.gif
こんなに増えてたら、国内の暮らしもきつくなって当たり前でしょ。
排出量の削減費用で騒いでる人達(特に、石油に縁の深い某研究所)が居られるけど、その方々には
たった一年で国の金を18兆円も余計に流出させて何を言ってますか
と問いたい。
出典:「ゆでガエル」(壊れたら直そう日記、2009年12月9日)

 本当にその指摘の通りです。これは財務省の貿易統計という公開情報から作られたグラフなのですが、なぜこんな公開情報を大メディアは報道しないのか、議論しないのか。気付かなかったのか、作為なのか。いずれにしろ、ひどい話です。

 メディアの中にも、いくつかは骨のある、ジャーナリスティックなものもありますが、残念ながら必ずしも財政的には安定しているわけではないようです。毎号目を背けたくなる思いを感じながらも読むようにしているDAYS JAPANもそんな雑誌の一つです。

 ですが、この雑誌もまた、存続の危機に曝されています。この秋から「DAYS存続キャンペーン」を実施しており、12月31日までであれば定期講読料が1000円割引になるそうです。
DAYSJAPAN.JPG
 あと500人定期講読者がいればDAYSは存続でき、あと1500人増えれば安定するそうです。いまの日本に絶対に必要な雑誌です。こういう雑誌はぜひ大切にしてあげてください。

 僕もDAYS JAPANを定期購読しているのですが、その割に、このキャンペーンのことは、やはりツイッターで気付きました(^^;) ネットの口コミメディア、侮り難しです(笑)

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2009年11月30日

ジャカルタの憂鬱

 昨夜からジャカルタに来ています。よく考えたらもう3年半ぶりぐらいになるのですが、その前はわりとよく訪れていたので、なんだか懐かしい感じがします。

 今やどこもが近代的な巨大空港に建て替えているなか、ジャカルタは昔からのスカルノ・ハッタ空港。作られたのは既にスハルト時代ですが、かなり古びた空港です。

 暗い通路を通過して、まずはビザを取得。アセアン以外の国からの短期訪問者は、空港でビザを取得しなければいけないのです。7日間まで10ドル。お金を出すだけで、フォームに何も記入することなく、ペタリとビザを貼ってくれます。ビザを「買わされる」という感じで、まずこれでちょっとだけ嫌になります。

 昔よりは随分良くなったものの、それでもイミグレーションはいつも混んでいて、長蛇の列。別にエコを目指しているわけではないと思うのですが、イミグレをやっと通過した頃にはじっとりと汗ばむぐらいです。ここでさらに不快感は高まります(^^;)

 やっと荷物を受け取って外に出ると... 混とんとしたいかにもアジアの空港の風景が広がります。インドネシアではタクシーが強盗に早変わり(!)することがあるので、安全と言われている会社のタクシーに乗って一安心と思ったら.... おっといきなり渋滞。まぁ、これがまたジャカルタらしいわけですが、正直「やれやれ」です。

 幸い夜だったので高速に入ると車は流れはじめましたが、ジャカルタ市内に入るとまた渋滞。片道3車線か4車線のかなり立派な道路なのにです。これでは日中、ましてや朝夕はいかに大変なことになるか、容易に想像がつくでしょう。

 それにしてもなんでこんなに渋滞するのか? ジャカルタではそんなに自家用車が普及しているのか...  いえ、決してそんなわけではありません。庶民が持てるのはせいぜいバイク止まり、みんなが自家用車を持てるほど豊かなわけではありません。

 しかしもともと人口が多いのと、お金持ちはそれなりにいることに加え、公共交通網がほとんど整備されていないために、車がないと移動できないけれど、車に乗れば大渋滞という、きわめて不便な状況に陥ってしまっているのです。おまけに大通りはどこも片道3車線の立派な道路ですので、歩行者は道路を横断するのも一苦労で、とっても人に優しくない街です。

 ホテルに入るには厳重な検問を通過する必要があります。ホテルを狙った爆弾テロが何度も起きているからです。しかし一度中に入れば、そこは別世界。壮麗なエントランスで、美しい民族衣装を着たホテルのスタッフが恭しく出迎えてくれます。

 そして部屋に入れば、やっと一息つけます。何しろ広くて豪華な部屋は涼し過ぎるほどに冷房が利いていますし、もし何か足りないものがあれば、夜中でも電話一つで届けてくれます。朝食には焼き立てのパンを始め、中華、インド、和食、ローカルと、あらゆる新鮮な食材がこれでもかと並びます。ああ、なんという極楽! こんな生活がわずか1泊100ドル足らずで出来るのですから!

 いや、でもちょっと待ってください。僕たちにとってはたかだか100ドルであっても、インドネシアの庶民にとっては一カ月の給料に相当するような金額。日本の感覚で言えば、「一泊20万円いただければ何不自由ない環境をご用意しますよ」と言われても、そんなものはまったく意味をなさないのと同じです。そんな世界が自分たちの住んでいる街の中にあったとしても、夢のまた夢でしかないのです。

 ホテルと大企業の立派なオフィスを往復するだけのビジネス客は気付かないかもしれませんが、一歩路地裏に入ると、ブリキの板で囲っただけの掘っ建て小屋で、一日数百円で暮らしている人たちもたくさんいるのです。いや、むしろそんな人たちの方が、数としては圧倒的に多いのです。まぁ、テロだって起こしたくなるかもしれません(^^;)

 もちろんこうした物価や貧富の差は、途上国であればどこでも多かれ少なかれあります。しかし、ジャカルタでさらに憂鬱になるのは、それがあまりに極端で、お金持ちにはそこそこ快適でも、お金のない、いやごく普通の人々にとってはきわめて住みにくい街であるということです。一部のお金持ちや、先進国からのビジネス客にとってはそこそこ快適でも、その街の主人公である一般の方々にとっては恐ろしく不親切な街であり、しかもその理由が単に「途上国である」からではないことです。

 インドネシアは本来は豊かな国です。鉱物資源について言えば、東南アジアでもっとも恵まれていますし、生物多様性も豊かです。実際、第二次大戦直後はこの辺ではもっとも豊かで発展した国だったと言いますし、日本からも巨額の戦後賠償を得ています。人口が多いことも、20世紀型の国力という意味ではアドバンテージだったはずです。

 にも関わらず、なぜマレーシアやシンガポールに圧倒的な差をつけられてしまったのか? 門外漢が大胆に想像し断言すれば、それはガバナンス、あるいは政治の差と言っていいのではないでしょうか。

 どれだか豊かな資源があったとしても、それを有効に使わないことには、目的を考えずに使わないことにはダメだということです。資源の少ないマレーシアどころか、土地も水も不足しているシンガポールにすら、敗けてしまっているのです。

 気の毒なことに最近のインドネシアは、地震や津波、洪水など、多くの自然災害にも苦しめられています。もちろんこうした自然現象自体はインドネシアの責任ではないのですが、もう少し社会インフラが整えられていたら、被害は最小限度にとどめられたはずです。その意味で、被害の何割かは人災とすら言えるかもしれません。

 このようにジャカルタは、いかにガバナンスが重要であるか。そのことを如実に知らしめてくれる、わかりやすい反面教師に思えるのです。そして下手をすると日本も、特にもし自民党政権のままだったら、いつの間にはこんな風になってしまわないとも言い切れないのではないでしょうか。

 幸いなことに現在のユドヨノ大統領はかなり頑張っているように聞きますが、いったんここまで混とんとしてしまった国を建て直すことは、どんな優秀な政治家にとってもかなりの難問でしょう。もちろん一日も早くインドネシアが見事に復活し、ジャカルタが住みよい街に変身することを切に願っています。そして、住む人たちが主人公だということ。住人にとって住みやすいことが、何より街にとって大切な条件だということを、決して忘れないようにしようと思います。

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2009年11月26日

「あと少しの命です」

 2日ほど前にTwitterをかけめぐった話しです。
あるスーパーの話。賞味期限切れ間近の 商品に、「ここの商品どれでも半額!」というPOPをつけていたが、「あと少しの命です。お助け下さい」と書き換えた。すると客の意識が「半額を買って悪 い」から「助けてあげる」に変わり、ためらいなく購入。売上は向上、廃棄処分がほぼなくなった。 日経MJ
 なるほどね! やはり、一般的には賞味期限が近いものはどうしても避けられてしまいます。もちろんそれを見越してお店も値引をしたりするわけですが、今度はそうなると「値引目当てか?」と思われないかと、恥ずかしがる方も多いようです。あ、もちろん我が家では、値引になってなくても(笑)、賞味期限が近いものを選んで買うことが原則にしていますが...

 しかしこのお店のようにストレートに「助けてください」、ましてや「あと少しの命です」なんて言われると、本当は必要なくても思わず買ってしまうかもしれません(笑) 実にうまいコピーです。

 つまり、単に「安いですよ」というより、「助けてください」の方が、人の心に訴えるわけですね。これがまさに行動を喚起する言葉、表現ということなのでしょう。ちょっといいことをした、人の役に立った。そう思えることがあ、人間にとっては重要な意味を持つということなのですね。

 もしかすると、こういうところに人間社会存続の望みがあるかもしれない。ちょっと大げさですが、そんなことを思いました。なんでも「損か得か」、どちらが「より儲かるか」、そんな利己的な視点に流れがちな世の中で、「役に立つ」という利他的な視点を実は人間が好むところに、社会や経済が変わるきっかけが潜んでいるかもしれないと思うのです。その気持ちをどう掘り起こしていくか、そこに新たな言葉や仕組みが必要なのではないかと思います。

 であれば、私たちは本質的に利他的である。人間にとって利他的な行動は心地良いのだということを信じて、その気持ちを刺激するような言葉をもっともっと探し、仕組みをもっともっと作って行きたいですね。頑張りましょう。

※ちなみにこの話は、11月25日日経MJに掲載された、小阪裕司さんさんの「招客招福の法則」というコラムが出典だそうです。
《参考リンク》
谷川俊太郎の「詩情」を商売に持ち込め!」(結城義晴のBlog[毎日更新宣言])

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2009年11月24日

The Girl Effect

 途上国でのCSRは、貧困削減を中心とした地域開発の話題が多くなります。そしてより途上地域になると、女性関係の話題が多くなるような気がします。もちろん先進国だって問題はあるのですが、とにかく途上濃くでは圧倒的に女性が抑圧されている場合が多く、そのことは当の女性だけでなく、社会の発達や繁栄の足かせにもなっているし、また貧困の再生産にもつながっていて、本当に悪循環なのです。

 ですからもし女の子が男の子と同じように教育を受ける機会を与えられたら、その結果収入になる仕事を得たら、経済的に自立できるようになったら... 次に次ぎに良い出来事の連鎖も起きるはず。これをThe Girl Effect(女の子効果)と名づけた人たちがいます。
The Girl Effect, n.
The powerful social and economic change brought about when girls have the opportunity to participate in their society.

<仮訳> 
女の子効果(名詞)
 女の子たちが社会に参加する機会を持つときにもたらされる強力な社会的、経済的変化。




 実際、アジアでも頑張っている女の方々、たくさんいます。何もしないでブラブラしているのはいつも男。お母さんたちはいつだって働き者。そして、CSRの世界やNGO活動で頑張っている女性もたくさん。日本はNGOに元気な女性はたくさんいるけれど、企業では数は圧倒的に少ないですよね。なんか勿体ないですよね。

 途上国に住む6億人の女の子たち。彼女たちが学校に通い、仕事を得るようになったら... 地域も、国も、地球も、間違いなく変わるはず。その変化を作るのに、私たちも参加できる。そんなサイトをご紹介します。



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2009年11月13日

全体最適に、神は要らない

 一昨日もちょっと書いたように、部分最適ではなく全体最適を目指すことが、しばしば環境問題の解決に役立ちそうです。

 ただ実はこのことについて、正直に言えば、個人的にはちょぴっと違和感を感じています。たしかに全体最適というのは効率はいいのだろうけれど、それではそれをどうやって実現するのか? また、それは一歩間違えると全体主義に陥ってしまうのではないか? という疑問と懸念です。

 パーツではなく、システムで考えようということであればまだいいのかもしれませんが、あまり無邪気に「全体最適」と唱えると、ちょっと危険な気がするのです。

 このことは、共産主義が机上では理想的に見えても、実際にはなかなかうまく行かなかったことからも想像できます。「人間の性質」以上に、中央集権は無駄なコストがかかるという性質を持っているのだと思います。

 とは言うものの、「個々が好き勝手に」はもちろん、「個別最適の単なる積み重ね」でうまく行かないことも、私たちはたくさん見てきています。

 それでは一体どうしたらいいのか? こんなときには僕はいつも自然がお手本になるのではないかと思います。

 例えば空を飛ぶ鳥の群れや、海を泳ぐ小魚の群れ。いずれも司令塔があって指示を出しているわけではないのに、まるで全体が一つの生命体のように動きます。特に魚の群れなど、本当に信じられないような素早さ、信じられないような滑らかさです。

 つまり、たとえ全体像を正確に把握していないくても、司令塔がなかったとしても、個々がバラバラに動くよりはるかにスムーズに動くようなシステムというのは可能だし、それを真似すればいいのではないでしょうか。

 間違いなく一つのポイントは、相互のコミュニケーションです。隣の個体(部分)とお互いの情報を常にやり取りすることが、きっと鍵になるはずです。そしてもう一つは、すべての個体(部分)が従う、おそらくはかなりシンプルなルール。その二つがあればかなりスマートな挙動ができるようになるんじゃないかなと思います。

 以上は僕のまったくの直感なのですが、制御工学とか、そんな分野ではこの辺のことはもう随分と研究されているんじゃないでしょうか。どなたか詳しい方がいたら教えてくださいね。

 この原理を整理して、実際の社会に応用できれば、個々が全体のために縛られることなく、それぞれがある程度の自由を持ちながら、しかし全体としても高い効率を実現できるのではないかなと...

 つまり、私たちは必ずしも、全てを見て、全てをコントロールする、全知全能の神になる必要はなく、ほんのちょっとしたシンプルなルールを見極め、従うだけで、もっとうまく行くようになるのではないかと思うのですが... 皆さんはどう思われますか?

 そしてもしこれが正しいようであれば、ぜひそのシンプルなルールを見つけて、様々な社会や環境の問題を解決したいなぁ。

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2009年11月11日

大は小を兼ねない

 今日の午前中は某省庁の研究会だったのですが、その中で非常におもしろかった話しをご紹介したいと思います。

 環境問題など社会全体に関わる問題ではしばしば、「部分最適ではなく全体最適を目指せ」(※)と言われます。良かれと思ってどんどんファインチューニングしていっても、それが部分最適でしかない場合には、かえって全体に悪影響を与えてしまう。それよりも、もう少し広い範囲を見て、できれば全体を見て、その中で最適化する方がいい場合が多いということです。

 その例として委員の善養寺幸子さん(オーガニックテーブル株式会社 代表取締役)が挙げてくださった例は、ヒートポンプを使った冷暖房です。

 日本のヒートポンプは非常に高性能です。ヒートポンプを使った冷暖房で、家庭におけるエネルギー効率をかなり上げることは可能です。効率の悪い冷暖房を使っている場合には、ヒートポンプ式の冷暖房(エアコンがそうです)にすることで、効率的に冷暖房できるようになります。

 ところがです。ヒートポンプを入れた後で、さらに根本的に家の断熱性も高める改修工事をするとどうなるか? 当然環境性能は高まるはずなのですが... 実はそれでも思ったほど改善できないことがしばしば起きるのだそうです。

 なぜか? 断熱性が高くなった家では、その前に比べて小さな仕事で冷暖房が出来てしまうのです。すき間風などないわけですからね。ところが、ヒートポンプの大は小を兼ねません。最大能力に近いところで運転する分には非常に効率の良いヒートポンプも、小さな出力で運転するとそれほど効率は良くならないのだそうです。となると、せっかく必要な出力が小さくなったにも関わらず、必要な電気エネルギーはあまり減らないということが起きるのだそうです。

 ですから冷暖房と家を個別に最適化してもダメで、家というシステム全体で最適化を図る必要がある。システムとしての性能が重要だというわけです。なるほどですね。

 また、家を改修する予定がなかったとしても、最悪の日(もっとも暑い日やもっとも寒い日)にあわせてヒートポンプの容量を選ぶのも、同様に愚かしいことになります。もしそんなことをすれば、一年の大半は効率が悪いところで運転をすることになります。それよりも、通常は最大能力周辺の効率が高いところで運転をし、それで能力が足りなくなる日には我慢するか、他の追加的手段でカバーすればいいわけです。

 「最悪の日に合わせてはいけない」、なるほどじゃありませんか?

 ヒートポンプの場合には、最大能力の付近で運転する場合が効率が良くなるという独特な性質も作用しているわけですが、似たような考えはいろいろな場面に応用できそうです。

 私たちはついつい「大は小を兼ねる」と、日頃使いもしない容量や能力を求めてしまいがちです。でも実際には、その「大」が必要になる場面は極めて限られるのであれば、そのときにまた別のカバー方法を考えれば十分なのではないでしょうか。

 さすがに都会で「客間」のある家は少ないと思いますが、もしかしたら客用の布団が押し入れを占領していたりしませんか? 滅多に使わない客用の布団のために、貴重なスペースが奪われるのは、都会暮らしではかなり勿体ないことかもしれません。

 あるいはもっと言えば... 月に2,3日しか乗らない車を所有していることは、もっと勿体ないことかも....  ちなみに僕の場合には、「お腹が空いてしまうかも...」とついつい腹12分目まで食べてしまうことがよくあるので(^^;)、この強迫観念をなんとかしたいと思います(笑)。

 身の回りの不必要に大きなものを探してみると、生活はもっと身の丈になり、無駄や環境負荷も減りそうですね。

※全体最適については他の重要な視点もあるので、あまり単純化するのも危険ではあるのですが... これについては改めてご紹介したいと思います。

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2009年11月10日

高いものが買いたい

 お弁当が290円だとか、ジーンズが780円だとか、ちょっと常識では信じられないような価格の商品が話題になりますよね。もちろんその背景には景気が悪くて、少しでも安いものを買いたいというニーズがあり、また安くなければ売れないという現実もあるのでしょうが、こんなちょっと異常としか思えない価格競争には、どうも違和感を感じてしまうのです。

 理由はいくつかあります。まず、安いのには、安いなりの理由があるはずです。製造プロセスを簡略化したとか、効率良く売りさばいていますとか、そういう理由ならいいのですが、これだけの安値がそのようなことで達成可能なのか、素人からは非常に疑問に思います。

 質が良くない程度であればまだしも、食品などの場合には健康面で問題がないのか気になります。安いものはたいてい、代替原料を使っているからです。ご存じの方が多いと思いますが、ハンバーガーが安いのは、肉に脂肪をたくさん混ぜているからですし、炭酸飲料は砂糖の代わりに安価なコーンシロップを使っています。いずれも毒とはいいませんが、健康に良くはありません。

 あるいは製造過程のどこかで、誰かに無理が押し付けられているのではないか、ということも気になります。サプライヤーが買い叩かれていたり、工場で働く方々の労働条件も心配ですし、もしや児童労働も... なんて想像しちゃいます。

 もう一つは、これだけの安価な商品は、国内ではなかなか作れないだろうということです。となると、当然製造の現場は海外へ。安いものを買う→価格競争のために工場は海外へ→職を失う→もっと安いものを買うように→・・・ 以下その繰り返し。悪循環です。つまり、無闇に安いものを買うということは、日本の職場をなくすことで、つまりは私たち自身の首を絞めているかもしれないのです。

 さらに嫌なことは、安く買ったものは、やはり値段なりにしか扱われないということです。ファストフードとはよく言ったものですが、モゾモゾと口に入れ、ゴクゴクと流し込み、それでおしまい。食事というよりは、栄養補給、いやただのカロリー補給になり下がってしまいます。

 あるいは500円とか1000円で買った服に、私たちは本当に愛着を持てるでしょうか。むしろ逆です。安ければ安いほど、愛着など感じることなく、使い捨てになってしまうのではないでしょうか。もしかしたら、一回あたりの価格はむしろ高くなってしまうかもしれません(^^;) 環境にはもちろん、結局はお財布にも優しくないかもしれないのです。

 それよりも、ちょっぴり高くても、いいものを長く使う。少し痛んできたら直したり、手を入れたりしながら使い続ける。そのうちに、そのモノの中に自分のいろいろな物語が同居するようになる。さらに自分にとってかけがえのないモノになっていく。そんな使い方の方が、はるかに楽しいのではないでしょうか。

 そう考えると、安いのが本当にいいことなのかなぁと思ってしまうのです。許される範囲内ではあるのですが、むしろ高いものを買いたいと思えてくるのです。

 もちろんただ高いものを買えばいいというわけでもないし、懐具合に応じて、無理をしない範囲でというのは当然です。あるいはそのときの状況で、どうしても安いものが必要なときだってあるかもしれません。それはそれでいいと思います。

 しかし、断じて安ければいいわけではありません。安いから買うのではなく、その商品の価値に見合った対価を支払いたいと思います。そしてできれば、その商品の背景にあるストーリーまで想像して、自分が納得するモノを、それに相応しい価格で買いたいと思います。

 本当は「対価」というのもオカシイのかもしれません。等しい価値のものを「交換する」というより、自分に必要なものを準備してくれてありがとう。その感謝の気持ちをこめて、自分が他のことをして稼いだお金を差し上げる。そのぐらいの方がしっくりきます。

 お店の方に「ありがとう」と言われるのではなくて、自分の方がお店の方や作ってくれた方に「ありがとう」と頭を下げる。そんな買い物をしたいと思います。皆がそういう気持ちなれば、安ければ安い方がいい、なんて気持ちには決してならないと思うのですが... 皆さんはいかがですか?

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2009年11月08日

デザインで世界は変わる

 世の中難しい問題が多いわけですが、でもホンのちょっとしたアイディアで一気に問題が解決する場合もあります。最近知って感動したのは、これです!
 
 アフリカなどで、毎日水を汲みに行くために女性たちが大変な苦労をしているということは、多くの皆さんが知っていると思います。

 途上国だから、乾燥地域だから、しかたないことなのか... 水を汲みに行く方々はもちろん、様々な技術や知識を持っているはずの私たち先進国の人間も、やはりしかたないことと考えてしまいがちです。

 しかしどうですか、この発想は! コロコロと転がせば、はるかに苦労なく大量の水を運ぶことができるのです。重い水がめを頭に載せて健康に害が及ぶことを防止できるどころか、女性たちにより自由な時間を増やすことができるのです! こんな道具であれば、男の子たちも喜んで手伝ってくれるかもしれません。すばらしいイノベーションです。

 これを開発したのはデザイナーの方で、こうした素晴らしいデザインを集めた「世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある」という本があるのだそうです。もちろんすぐに注文しました。以前、サスラボで紹介した、100ドルパソコンも載っているようです(「$100パソコンは世界を変えるか?」参照)。届くのが楽しみ!

 このQドラムを現地で作れば、これは立派なBOP。あるいは、まずこのQドラムを作って寄付するだけでも素材メーカーらしいCSRが出来ます。どこかの企業、考えないかな?

 それにしても悔しいのは、乾燥地域にある途上国で、毎日何百万人、何千万人という女性や子どもがこうした重労働を繰り返して来て、それを僕たちは何度も映像で見て知っているはずなのに、なんでこういう簡単な発想ができなかったのでしょうか? 僕の創造力なんかはあてにならないにしても、今まで誰も考える人がいなかったのは本当に悔しくありませんか。こういうところにこそ、私たちの頭が使われるべきだと思うのです。
《参考リンク》
世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある」(情報考学 Passion For The Future)

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2009年09月26日

もっとも世界を助けるアイディアは?

 おそらく誰もが毎日お世話になっているであろうGoogle。もしかしたらGoogleがなければ、ここまでみんなが簡単にインターネット上で情報をやり取りするようにはならなかったかもしれませんし、少なくとも今のように簡単に「探し物」は発見できなかったでしょう。

 しかし、このGoogleが出来たのは1998年9月、そうまだたかだか11年しか経っていないのです。創立10周年を記念して、Google社が「世界を助けるアイデア」を募集したところ、なんと15万4千件ものアイディアが世界中から寄せられました。


 さすがにそこまで集まってしまうとGoogle社としても整理に苦労したそうですが、それがようやく16に絞り込まれたそうです。

 Googleが「世界を助けるアイディア」を募集したのは、「人の役に立つことは、自分の役にも立つ」と考えているから。そして、この16のアイディアのうちどれが世界中の人の役に立つのか、あなたはどれを実現したいと考えるのか。

 最もたくさんの人に役立つプロジェクトを実現するために、世界中で投票が始まりました。投票期間は10月8日まで。さて、あなたはどれを選びますか? もっとも優れたアイデアには、Google社が1000万ドルを出資します。
■「プロジェクト10^100

 なお、対象の16のアイディアは英文の説明しかないようなので、ご参考までに以下にタイトルの仮訳を掲載しておきます。ただし、アイディアが表示される順番は、公正を期すためか、毎回入れ替わるみたいなので、お気を付けください。
現実の社会の問題を報告するシステム
科学技術教育の向上
集団殺害のモニタリングと警告システムを作る
健康のモニタリングとデータ解析を促進する
アフリカの生徒に質の高い教育を提供する
政府の透明性を高める
自然災害をリアルタイムで追跡するシステムを作る
社会起業家が変革を起こすことを支援する
世界の都市についての情報を収集し、整理する
すべての人へのより良い貯金制度を作る
技術者と科学者のことをメディアがより良く描写することを奨励する
社会に配慮する租税政策を推進する
オンラインで無料で教育コンテンツを入手できるようにする
公共交通のイノベーションを促進する
より効率的な地雷除去プログラムを作る
ユーザがリアルタイムに報告するニュース・サービスを作る


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2009年08月04日

裁判員制度をめぐって

 昨日、裁判員制度の初公判が開かれました。結論から言えば、僕には今の裁判員制度は、何がメリットなのかわかりません。重大な犯罪(刑事事件)の量刑について素人が、職業裁判官に比べて安定して正確な判断を下せるとは思えないですし、またその精神的な負担はとてつもなく重いと思います。実際、昨日の初公判は殺人事件についてだったわけですが、選任手続きで裁判員に選ばれなかった方からは安堵の声もあったとか...

 ちょっと話が飛ぶのですが、先日目にしてから、自分の中でどうにも落ち着かない、もう一つの裁判関連のニュースがあります。これも人の命に関わることなのですが... 訴えが認められて満面の笑顔のこの女性、一体どんな判決を勝ち取ったのだと思われますか?
 実はこの女性、自分が安楽死をする際に夫に付き添っていてもらいたい、看取られたいと願っており、そのことによって自分の夫が自殺ほう助で後から訴えられることがないことを確認出来て喜んでいるのです。

 たしかに彼女の気持ちも想像できるし、その気持ちも尊重されるべきだと頭ではわかります。安楽死は彼女にとっては唯一の満足できる選択肢なのかもしれません。それでも、その横に立つご主人の複雑な表情(リンク先にいくつか写真が掲載されています)に、いろいろなことを考えてしまうのです。

 日本の裁判員が判断を求められるのとはまったく別のシチュエーションですが、どのような犯罪だとしても、人の命に関わるような判断をするのはとても難しく、重いことだと思います。その重みに、くじ引きで決められた素人は耐えられるのか? その重みを背負わせることが、本当に必要なのか? あるいは逆に、なんの重みも感じない人に、きちんとした判断ができるのか? そう考えると、とてもこれが合理的な制度であるようには思えないのです。

 それでもやはり裁判員制度が必要なのだとすれば、対象とすべき事件は凶悪犯罪ではなく、個人の倫理観や価値判断を問うようなものに限定した方がいいのではないでしょうか。時代によって、状況によって、固定的には決めかねない。そういう性格のものこそ、市民の日常感覚や常識を反映させる意味があるのではないでしょうか。それとまったく逆行する今の裁判員制度には、なんの目的があるのだろうと思ってしまうのです。

 安楽死の付き添いを認めるかどうかという先のケースは非常に難しいものだと思いますが、むしろこうしたものこそ、市民の議論、国民の判断で答えを出すべきものなのかもしれません。

 持続可能な社会は、私たち一人ひとりが作る、自立した社会です。私たちはどんな社会で暮らしたいのか、どんなルールでおり合いをつけたいと思うのか。そうした意味からも、裁判員制度のあり方はこだわっていきたいと思います。

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2009年07月13日

なくなってもいいもの

 「モッタイナイ」が環境を配慮するときの合い言葉のように使われますが、たしかに世の中モッタイナイというか、「そこまでしなくてもいいんじゃない」ということが多いですよね。

 贅沢を言い出せばキリはないのだけれど、でもどこか「ほどほどに」とか、「足るを知る」とか、そんな言葉を思い出した方がいいかもという瞬間がありますよね。

 だったらあなたは何だったら、「まぁ、なくなってもいいや」って思いますか? そんな調査をgooランキングがしていました。結果は以下からどうぞ。


 どれもなるほどですね。

 1位が「マンガ喫茶の深夜営業」なのはちょっと意外な感じもしましたが(もちろん僕はなくてもまったく困らないのですが、時にすごく困る方もいるだろうし、これが1番なくてもいいものでもないのではと思うので...)、後は本当にまったく同意です。良かったらどうぞ6位以下も見てみてください。

 野菜は旬が一番おいしいし、料理に季節感があるのは大賛成。飲食店もコンビニも、11時ぐらいまで開いていれば十分でしょう。そう考えると、なんて無駄が多いことか...

 最近はかなり割り箸ではない、洗って使うお箸を出すお店も増えてきましたよね。(なんとついにラーメン屋さんでも! 僕がわりと好きな「山頭火」も最近割り箸でなくなったので、ちょっと嬉しくなりました(笑))

 お客さんが「なくなってもいい」と言っているんですから、お店もちょっと考え直してみたらいいかもしれませんね。

 さぁ、あなたは何ならなくなってもいいと思いますか? え”っ!、サスラボですか?それはちょっとご再考を...(^^;)

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2009年07月07日

リサイクルの芸術

 今日は七夕。五色の短冊に願いごとを書いた方もいらっしゃるかもしれません。でも、この短冊を笹に飾る風習は、日本だけのものなのだそうですね。

 五色の短冊を見ていて思い出したわけではありませんが、アップルのiPod nanoは鮮やかな9色。原色のペンキをしたたらせた、以下のような広告をご覧になった方も多いでしょう。
nanochromatic1.jpg
画像:Photoshop VIP

 鮮やかで楽しい、アップルらしいデザインの広告とは言えるのですが、垂れたペンキがどうなるのかは、ちょっと心配ではあります。

 そんなことを思う人は他にもいたようで、カナダではこんな楽しいゲリラ広告が展開されたそうです。
rona.png

 iPod nanoのホンモノの広告の下で流れるペンキを回収しているのはRONA、カナダのホームセンターだそうです。コピーには「私たちは残ったペンキを回収しています」と書いてあるのだそうです。上手いですね。

 なんでも「5月3日の日曜深夜のうちにクレーンでつり上げ、翌朝月曜の午前6〜11時半の間だけ、高速道路を朝の通勤で走り抜けたドライバーらの目を楽しませた」(電通報、2009年6月29日)なのだそうです。その様子は、以下のビデオでご覧になれます。


 おそらくアップルの許可は得ていないのでしょうが(^^;)、オリジナルの看板に何かしたわけでもなし、これには「やられた」と苦笑するしかなかったんではないでしょうか(笑)

 ちなみにビデオのタイトルは"L'art de la récupération The art of recycling"(リサイクルの芸術)。こちらもなかなか上手いネーミングです。

 もしかしたら、「ちょっと前提を変えることで、世の中まったく違って見える」という深遠なメッセージなのかもしれませんよ(笑)

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2009年06月30日

グリーンは動詞

 企業が環境に熱心になってきたのはいいのですが、逆に「これってどうよ?」と思うようなグリーンウォッシュ紛いの広告も増えてきました。残念なことです。(グリーンウォッシュについては、「グリーンウォッシュにご用心」、「グリーンウォッシュ!?」を参照)

 でも、「部分的には環境に良いわけだし、やらないよりはマシでしょ?」という意見もあるかと思います。最初からあまり完璧を求めて参入障壁を高くしてしまうのもせっかくのやる気をそぐようですし... 難しいですよね。

 さらに過激なことをおっしゃる方は、「いや、完全に環境にイイことなんて有り得ない。どんなものだって、いい面もあれば、悪い面もあるんだ」と。確かにその通りです。総合的に、あらゆる面で改良するというのはなかなか出来ませんからね。

 「じゃあ、一体どうしたらいいんだ!」と叫びたくなる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな方に良いヒントがあります。

 今読んでいる(正確にはAudio Bookで聴いているですが...)"Ecological Intelligence: How Knowing the Hidden Impacts of What We Buy Can Change Everything"の中にあった言葉なのですが、「グリーンはプロセスで、状態ではない。グリーンは動詞として使っても良いが、形容詞として使ってはいけない」という意味のことが書いてありました。

 つまり、これまで環境負荷が高かったものを「グリーン化する(より環境負荷をへらす)」ことはできるし、そう言うことは問題ないけれど、この製品は「グリーン(環境に悪影響がない)が」と言うことは正確ではないだろうということです。

 なるほどです。日本語でも、「環境に良い」とか、「地球に優しい」と、形容詞で使ってあったら、ちょっと眉に唾をつけた方がいいかもしれません。逆に「環境負荷を低くしました」と言っている場合には、わりと正直なのだと思います。もちろん、何の点において、どのぐらい環境負荷が削減できたのか、ということはきちんとチェックする必要があります。

 「グリーンは状態ではない。形容詞として使うな」 覚えておくと良さそうです。

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2009年06月28日

自宅住所にメールします

 最近は友だちとの連絡はもうほとんどメールになったので、郵便物と言えば、ダイレクトメールと請求書(^^;)ぐらいなのですが、皆さんのお宅ではいかがでしょうか?

 請求書や計算書などの事務的なものであれば、紙でなくてもメールでも十分ですし、DMもその方が捨てるのが楽です(笑)(「DMどうします?」参照)。もちろん、紙という大切な資源の節約になりますしね。

 だったら、もう郵便物は止めて、みんなメールにしましょう。え、メールアドレスがわからない? それなら、住所宛にメールを届けてあげます。

 そんなことを考えて、実際にそのサービスがアメリカで始まったそうです。Zumboxというのですが、その人のメールアドレスを知らなくても、住所宛に送れば、当人がそれをメールとして読めるというものです。メールといってもテキストメールだけではなく、専用ページの上ではあたかも印刷物のように表示されるので、紙の郵便物で受け取るのと同じ感覚で使えるようです。
mk_screenshot_1.jpg
出典:"Product Info/How it Works"(Zumbox)

 受信する側は、一度住所を登録すれば、後は24時間365日、世界中どこからでも、タダで「郵便物」を受け取ることができる、というのがメリットのようです。たしかにかさばる紙の書類をもらうより、ファイルで受け取った方が整理も処理もずっと楽ですよね。長期の留守で郵便受けが溢れることもありませんし...

 送る側は若干の費用がかかるものの、郵便に比べればはるかに安く、そして速く、また大量に送付する場合でも簡単というわけです。おもしろいことに、企業や個人が送る場合には有料なのですが、行政やNGOなどが送る場合には無料なのだそうです。

 もちろん通常のメールを使っても同じことができるわけですが、より伝統的な郵便物に近い形にして、利用者の敷居を低くしたところが面白いですね。なかなか良い発想だと思います。

 しかし、何にもまして素晴らしいのは、このシステムで伝統的な郵便物が電子的な郵便物に置き換われば、ものすごくコストが節約できることです。ここで言うコストとは、単に郵送料のことだけではなく、それ以外の様々な環境コストも含めたものです。

 つまり、紙の使用、印刷の環境負荷、輸送・配達のための環境負荷、紙の廃棄とリサイクルのための環境負荷... より詳しく知りたい方はzumboxの"What's the REAL COST of a 44-Cent Stamp?(44セントの切手の本当のコストは?)"(PDF)をご覧ください。

 なんしろ現在アメリカでは毎月150億通(!)もの郵便物が送付されているそうですから、これがすべて電子化されたら大変な環境負荷の削減になります。もちろん、産業構造に与える影響も大変なものですが...

 日本だったら「郵便事業を守れ」と既得権益を握った方々が非難しそうですが、官業を止めるのではなく、民間が勝手に代替サービスを始めてしまったところがうまいですね。

 誰か、日本でもこれを真似する人いませんか? 物理的な配達網を作る必要はないので、宅配便を始めたりするよりは、はるかに参入は楽ですよ(笑) 

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