三日間の中国駆け足出張から、今晩帰国しました。三日間で三つの工場を回ったのですが、予想以上の強行軍で、結局スーパーでレジ袋のチェックをする時間はありませんでした(^^;)
中国の工場というと皆さん
労働条件が気になるのではないかと思います。実際、今回もそれが気になって確認しに(つまりCSR調達の調査です)行ったのですが... で、結果的に言えば、今回訪問した3工場はいずれもかなりキチンとしていました。ちょっと安心です(笑)
特にいいなぁと思った2工場は、偶然かもしれませんが、両方ともトップが女性の方でした。細かいところまで目が届いており、従業員の方々を大切にしていることがよくわかります。いろいろなところにトップ自らの工夫があり、どんな小さなことでもいいから、気がついたことはきちんと実行して、良い労働環境、良い会社にしていこうというトップの強い意志が感じられました。こういうところであれば安心ですし、実際、従業員の待遇もよければ、定着率も高いのです。
もともと人を大切にする経営者の方なのだと思いますが、それに加えて、従業員を大切にする理由(わけ)もありました。中国と言うと、安い労働力が豊富にある、多くの方がそう想像すると思うのですが、最近はそう単純には言い切れなくなっているのです。
賃金はすごい勢いで上昇していますし、キツイ仕事は敬遠され、カッコイイ仕事、割りのいい仕事には人が集まっても、根気の必要な、地味な仕事には、
なかなか人が集まらなくなっているのです。
つまり
中国と言えども、今や人手不足が現実の問題となっており、特に質の高い労働者を集め、そういう人に長い間働き続けてもらうのは、かなり大変なことになってしまったのです。ですから、従業員を大切にすることは、企業経営者としては当然のことにもなりつつあるのです。しかし、そのことに気付き、さらには実行できる経営者は、必ずしも多くはなさそうですが...
優秀な従業員の方が大切だろうなと僕にもとてもよくわかったのは、ニット工場でした。今は機械でもかなり人間に近い編み方をできるそうですが、それでも有名ブランドのニットは人が編み機を使って編んでいます。機械だとどうしても平板になってしまうのだそうですが、人が編むとなんとも言えない味わいが生まれるのだそうです。そして、もっとも細かい密な編み方となると、人手に頼るしかないそうです。
その中でも特にすごかったのが、インターシャと呼ばれる編み方です。典型的なのはアーガイル模様などの柄物なのですが、何色もの糸をモザイクのように編み込むので、柄がありながらも、薄く仕上げることができるのです。僕が説明するよりも、例えば以下のページなどを読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
《参考リンク》
■「
インターシャとは?」(Heart of Andes)
一段編むごとに糸の配列を少しずつ変え、それをひたすら正確に繰り返す。気の遠くなるような作業です。設計図にあわせて、それを何百列と一列、一糸すら間違えずに編んでいくのです(もし一つでも間違えれば、模様がズレるのですぐにわかってしまいます)。根気も、集中力も、視力も必要な大変な仕事です。
工場労働者というよりは、職人と呼んだ方がいいような気がするぐらいです。実際、なんとか一人前になるのには数年はかかるようですし、人によって向き不向きもあるそうです。同じ素材で、同じ機械で、同じように編んでも、人によって微妙に違いが出て来るといいます(それでも製品としてはうまく揃えなければいけないわけですが...)。
本当に見ている方が溜息が出て来るような仕事です。よくあるアーガイル模様のセーターの前身頃を編んでいる方に尋ねて見ました。かなり熟練しているように見えましたが、一日にせいぜい4枚しか編めないそうです。後身頃は無地なので比較的簡単に編めるのでしょうが、それでも一人で一日にせいぜい数着しか作れない計算です。
そう考えるとインターシャのセーターって、なんて贅沢なんだろうと思いませんか? この製品が日本のデパートに並ぶと2万円前後の値段がつくのだそうですが、この現場を見てしまうと、ちょっと安過ぎるのではとすら思えてきます。
この工場の編み手はかなりいいお給料をもらっていましたが、それでも日本円にしたら月給3万円足らずです。週5日、朝から晩まで黙々と働いてやっと3万円です。そう考えると、このセーターの値段は
本当にこんな価格でいいのかなと思えてきます。
僕たちはモノが安く買えると喜びますし、消費者のそういう気持ちをひくために、企業はコストを下げるべく努力します。それが単に無駄を省いているだければあればいいのですが、その値下げ圧力のために、モノを作っている方々に十分な対価が払われないようなことがあるとしたら... 話がまったくアベコベです。
いろいろな工場でいろいろな製品が作られるプロセスを見るたびに、現場の方々が実に丁寧に黙々と仕事をしているところを目にして、感謝を通り越して、なんどか申し訳ないような気すらしてくるのです。これだけのテマヒマをかけて作られたモノを当然のような顔をして消費している僕たちって、一体何様なんなのだろうと、申し訳ない気持ちになってきます。
そう考えると、重要なのは、モノをいかに安く買うかではなく、良いモノをいかに適正な価格で買い、感謝して使うことだと思えてきます。今回のニット工場では、特にそのことを痛感しました。
僕たちが今これだけ便利な生活をすることができるのは、様々な人が、様々な仕事を黙々とこなしていることに支えられてのことです。本当にそんな贅沢をしていいのかなと軽い罪悪感すら覚えますが、少なくともそれを支えてくれる方々に対する感謝と尊敬の念は忘れないようにしたいと思います。皆にそういう気持ちがあれば、働く人の生活も少しは安定するでしょうし、少なくともそれで苦しむ人は生まれないはずです。
そう考えると、CSR調達は企業のリスク管理や、消費者の自分自身の安心感のためではなく、自分たちの生活を支えてくれる見知らぬ人たちへの感謝の気持ちの発露であって欲しいと思いました。彼ら、彼女たちへの敬意を表す手段としてCSR調達が必要なのだと思います。僕自身、これからニットを見る目が変わりそうです。
さて、あなたの身の回りのモノは、誰がどんな風にして作ったモノなのでしょうか? ちょっと気になりませんか?
長文をお読みいただき、ありがとうございました。
今日の記事はいかがでしたか?
応援してくださる方は、Click me!
posted by あだなお。 at 23:59| 東京 ☁|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
CSR
|
|