2009年08月11日

特権階級のない社会、ある社会

 一昨日の続き(?)です。法則という名前に適しているかどうかはちょっと微妙なのですが、僕の好きな自製の「自然の法則」の一つに、「自然は公平。特権階級もオールマイティーな生物も存在しない」というのがあります。

 「特権階級」というは擬人的に表現してみただけなので脇に置いておくとして、もしかしたら意外に思われるかもしれませんが、自然の世界には、オールマイティーな生物というのは存在しません。え、そんな。強いものも、弱いものもいるじゃない、と思われるかもしれませんが、それはあくまである特定の側面についてです。

 たしかに圧倒的に力が強かったり、足が速かったり、そんな動物は存在しますが、その動物が他の動物や生物に関してすべての面で勝っているわけではないのです。たしかに肉食動物は草食動物より力が強く、攻撃力、破壊力があることが多いのですが、そのために草食動物よりも多くのエネルギーを必要とします。あるいは草を食べて消化することはできません。したがって、常に狩りをして、獲物を食べなければ、自らの命をつないでいくことはできないのです。(ですから極端な場合、もしある肉食動物が増えすぎて草食動物を喰い尽くしてしまえば、もはやその肉食動物は生き延びられなくなってしまいます。)

 あるいは植物の場合はもっとわかりやすいかもしれません。というのも、すべての植物にとって、成長のために重要な資源は、光、水、そして二酸化炭素と共通だからです。この中でも特に激しい競争の対象になるのは光で、そのため植物は光を求めて背を高くしたり、大きな葉をつけたりします。しかし当然のことですが、そのために徒に背を伸ばせば、ヒョロヒョロして倒れてしまい、結局は元も子もなくなってしまいます。ですから無限に背の高い植物は存在せず、光を受け取る能力と、それを支える構造はうまくバランスさせる必要があります。光を獲得する能力も他より高く、強度も強いという、オールマイティーな植物は存在しないのです。

 オールマイティーな生物が存在しない理由の第一は、一つひとつの生きものが利用できる資源には限りがあるからです。もし無尽蔵の資源を持ち、使うことができれば、背も高くして、葉も大きくして、しかもそれを支える茎の強度も十分に高めることは可能かもしれません。しかし現実は、使える資源は一定であり、それを茎の長さ、太さ、葉の面積にどう分配するかという問題になるのです。

 もう一つの理由として、当り前ですが、いかなる生物も物理法則、化学法則には逆らえないということが挙げられます。ですから例えば他の生物より資源に恵まれている生物がいたとしても、物理法則や化学法則を超越したオールマイティーな性質は持ち得ないのです。

 そういうことを考えながら植物の形や生き方(生活史)を観察すると、非常に楽しいものです。この植物はどんな作戦でこういう形、こういう生き方をしているのだろうか? そこから私たちの生き方、暮らしの形へのヒントが見つかることもあります。

 実は昨日から、ベネチアに来ています。中世からの形が色濃く残る街です。人間の世界は他の生きものの世界とは違って、特権階級が存在します(した)。しかしそれが続くためには、いろいろと工夫をしたようです。しかし現実には、自然の法則に逆らう存在というべき特権階級は、やはり永遠には続きません。何がこの街を栄えさせ、かなりの長期間続かせ、そしてやはり変わらざるを得なかったのか。自然の法則と照らし合わせながら、そんなことを考え、持続可能な社会のヒントを探しています。

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posted by あだなお。 at 15:22| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 生物に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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